92話 不協和音
美羽と白虎は、床や壁から生える黒い何かを発見した。
「ワレら、と人つがおすスメ。チャンスです、ます、これ」
不安を脳内に流し込むような声。壁や床には目が歪に生えた黒い触手、目の前には視界を覆うくらい大きな口。
美羽と白虎がその時に感じたのは、純粋無垢な『不快』だった。
「あなたは、誰?」
「ワレはオマえ、大きく看れバ。でもオマえはオマえ、小さく看れバ」
白虎はため息をついて、疲れたように頭を抱える。
「やめろ、頭がおかしくなりそうだ。じゃあこう聞こう、俺と闘いてぇのか?」
「チャンスを棄てル、です、ます、よ」
「はっ、なるほどな。一つ分かった」
白虎はその大きな口を大きく蹴り上げた。喉元と思わしきものが、岸に打ち上げられた魚のように跳ねる。
「がギぎギぎ」と有害な断末魔を上げるそれに、白虎は笑いかけた。
「要は、てめぇと話し合いができねぇってことだ」
「──失敗、交渉。オマえは負要、この世界においテ。馬禍なオマえら、馬禍スギて棄てルから馬禍でス。ワレに歯向かう馬禍でスは、祈血を簡誕に馬禍でス」
相手の有害な佇まいに、美羽の心臓はすでに凍っていた。冷や汗を流し、動悸は激しくなっていた。
白虎はそれを横目で見やり、言葉を投げ出すように話す。
「おいピンク髪。闘えねぇんだったら、芽衣を連れてどっか行け。邪魔だ」
白虎は美羽に、芽衣を連れて外まで退くことを指示した。
「でも、あなたは──」
「確かに、能力は使えねえな。だが、こいつを使って俺の価値を測ってやるだけだ。こいつに殺されるようだったら、俺はその程度のモノって分かるからなぁ」
白虎のその表情は、悲しそうでも怯えてそうでもなかった。
ただ、笑っていた。
「──今はあなたの言う通り、芽衣ちゃんを安全な所に連れてくよ。だけど、絶対に戻ってくるから!」
「はっ、好きにしろ。だが、邪魔も手助けもするなよ」
美羽は言動を行動に移そうとした時だった。
人間は、あるはずのものがないと思考が停止してしまうものだ。
「芽衣、ちゃんは?」
「なんだと……?」
思わず白虎も、芽衣が元いた位置に顔を向ける。そこに、芽衣は居なかった。
「うあっ…………」
次には、芽衣のうめき声がどこからか聞こえる。
美羽は、芽衣が近くにいるという安心とともに、どうして苦しそうな声が聞こえたのか不安になる。
恐る恐る声の聞こえた方向に目線を向けると、そこには黒い触手で磔にされている芽衣の姿があった。
「芽衣ちゃんっ!」
悪夢でも見ているかのように苦悶の表情を浮かべ、魘されている。
腕や脚は触手に侵食され、鼓動のように脈打ちながら圧迫と緩和を繰り返している。
「ぎゃあぁっ……!」
鼓動の最中、黒い触手が青く光るタイミングで芽衣は一番の苦しみを見せた。
美羽にはもう、恐れという感情はなかった。
ただ、怒っていた。
「何してるんだよっ……! 芽衣ちゃんに!」
「馬鹿、うかつに──」
白虎の制止も聞かず、美羽はまきびし──通称『茨星』──を全速力で放つ。
触手は茨星が刺さると同時に、痛みに悶えるようにうねる。
「っ…………?」
同時に美羽は右のふくらはぎを抑えて、しゃがみ込んだ。声のならない叫びを上げる美羽に、白虎は頭を強く働かせる。
「──どうした? 答えろ」
「急に……痛い」
白虎が美羽を観察する。すると、床から生えた触手が、美羽の左靴に絡まっているのを見た。
白虎は口の端を吊り上げる。
「なるほどな……芽衣の能力を自分の物にしてやがんのか」
「もとモト、これはワレのもノ、です、ます、ガ? 馬禍にハ判らないです、ます、ガ?」
「俺はてめぇと話をしたい訳じゃねぇって言ってんだろ? 俺はただ、てめぇと闘いてぇだけだ」
白虎は芽衣を殴らないギリギリの位置を、思い切り振りかぶって殴る。
同等の痛みが、白虎の左脇腹に伝わる。
「ぐっ……こいつの能力は一回食らってんだよ。今更どうってことはねぇ。ってか、そこが脇腹かよ? もう少し人間らしい形してくれねぇと分からねぇ」
しゃがみこむ美羽に、白虎は話す。
「お前のその痛みは、芽衣の能力を模したものだ。なんてことはねぇだろ? あのまんま芽衣を放っておきたいなら、そのまんましゃがんでろ」
「そんなわけ……ないじゃん!」
美羽は痛みを堪えて立ち上がった。
「絶対に……救ってみせるんだ!」
美羽に対し、白虎は微笑を浮かべた。
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