91話 残酷な現実
芽衣は翔の命令を半ば無視して、罪人刑務所にたどり着いた。
あまりにも、残酷だった。一歩と足を運ぶ度、焦燥感と恐怖感が沸騰して身体の中を満たしていく。
「……パパ? ママ?」
芽衣は動けなくなる前に、足早に、血塗れた罪人刑務所の入口だったものに向かう。
刑務所に通ってよく親と会う芽衣ですら、どこに入口があるかも分からない。それほどまでに、ここは被害を被っていた。
ぐしゃぐしゃになったクッキーのように転がっている残骸、あらわになる鉄骨、そこに立ちこめる煙や血の臭い。
中から救助隊の声がした。どうやら、ある程度の刑務官や罪人を救助できたようだ。だが、今の彼女はそのようなことでは安心できなかった。
「どこにいるの? 早く見つけないと──」
「おいてめぇ」
芽衣は突然の声に「ひゃん」と情けない声を出す。声の主を確認すべく後ろを振り返る。そこから血の気が引いたのは一瞬のできごとだった。
「白虎!? なぜあなたが……」
「何故も何も、俺は死刑囚としてここに囚われてただけだ。そんなことより、この状況をさっさと説明しろ」
「それが私にも分からなくて、恐らくRDBのせいだと思います」
白虎は芽衣の瞳を覗き込む。焦り、恐怖、戸惑い。おおよそそんな感情を白虎は読み取る。
「なるほどな……。てめぇは罪人取締班に所属したのか?」
「はい。それがどうし──」
「ってことは、ここには救援しに来た……にしては焦りすぎな気もするな。つまり、他の目的があってお前は来た──違うか?」
芽衣は一刻も早く両親の安否を確認したいところだが、話を途中で切り上げればあの攻撃的な白虎が暴れそうだと考えていた。
なので、ここは正直に話すことにした。そして、少しの可能性に賭けてみた。
「この人たちを見ていませんか? 私の両親なんです」
「──こっちだ、ついてこい」
そういうと、白虎は踵を返して歩き始めた。
不思議と彼からは危険性を感じ取れない、芽衣はそう思った。故に、彼の後をついて行くことにした。
*
「これが現実だ。罪人共よりも早く、看守が逃げたせいでこうなった」
はじめ、芽衣は理解できなかった。したくなかった、すべきでなかった。
意識が目に繋がっていくと同時に見えたのは、瓦礫の下から生えているあるものだった。それは、いつも彼女が愛用していたブレスレットを付けた手首だった。いつも彼が身につけていたペンダントを握った手だった。
次に意識が耳に繋がっていく。それと同時に聞いたのは、悲鳴だった。とても文字化できない、単語でもない悲鳴。醜い、惨めな悲鳴。
そして喉にも意識が繋がった。そこから、痛みが水に垂らしたインクのように広がっていくのをようやく感じ取れた。
それで初めて、自分の悲鳴だと理解できた。
「……壊れるか? それとも、持ちこたえるか? 見ものだな」
彼の言葉が聞こえないものとして認識していた。ただただ、悲鳴をこだまさせているだけだった。
*
「もう……大丈夫です」
彼女がそう言ったのは、その出来事からわずか十分後のことだった。
さすがに白虎は気遣ったのか、立ち上がろうとする彼女にそっと手を差し出す。
「大丈夫には見えねぇのは、俺が今まで人と関わってねぇからか?」
「そう──です、よ」
「おい! ……ちっ」
彼女が手を借りて立ち上がろうとした途端、糸が切れた人形のように倒れてしまった。
白虎が間一髪で、彼女の頭と地面との衝突を回避した。
「家族を失うっつうのは、こんなになるもんなのか? だったら、最初から居ねぇ方がいいじゃねぇか」
ふと、芽衣の母がつけていたブレスレットと、父が握っていたペンダントを拾い上げる。
ブレスレットには、恐らく子どもの名前であろうものが一つずつ刻まれている。ペンダントには芽衣の父や母、そして芽衣自身とその他の子どもたちの写真が小さく写っている。
白虎は「こんなモノは、所詮ただのモノだ」と確認するのを止めた。
そしてそれを、倒れ伏した芽衣の上にそっと置いた。
「とりあえず、死なずに外に出られたんだ。これからは俺のやりたいようにやらせてもら──」
前から飛ぶ物を、白虎は躱す。弾丸にしては遅く、大きい物を。
「あ? んだこれは、まきびしにしてはデケェな」
まだ原型を保っていた壁に突き刺さるそれを観察する。
細くも勇気のある女性の声が「《発動》」と聞こえた。
声の方へ顔を向ける白虎だが、その主を確認することはできなかった。
ただ、上から降り注ぐ女性から身を守る。右の手の甲から、鋭い痛覚と共に血が流れる。どうやら彼女は、白虎の頭上にワープした後にまきびしで手の甲を刺したようだ。
白虎が右腕で彼女を弾くと、彼女は空中で体勢を整えて着地する。
「……芽衣ちゃんに、何したの?」
「誰だか知らねぇが、取締班のやつだな? 俺は何もしてねぇが……闘争心にはかなわねぇな。来いよ、久々に楽しめそうだなぁ」
白虎は警戒心を剥き出しにする美羽に、不敵な笑みを浮かべていた。
*
「確か、あなたは白虎でしょ? ここに来てまで芽衣ちゃんになにしたの?」
「笑わせるなぁ! ここに来たのはあいつの方だろ! それとも、俺が初めからここに居たこと知らねぇのか?」
美羽が飛ばすまきびしを、白虎が躱し続けている。しかし、能力を発動できない彼では全て見切れない。そのため左大腿と左脇腹には、痛々しくまきびしが突き刺さっていた。
それを見て不思議に思った美羽は、攻撃をやめて彼に聞いた。
「どうして攻撃しないの?」
「本当はもっと闘いてぇところだが……能力のねぇ俺に人間としての存在価値はねぇ。所詮は攻撃できねぇ、ただのモノだ」
首を傾げる美羽に、白虎がこれまでの出来事を知らせた。
*
「そう、だったんだ。冷静に話を聞かなくてごめんね。てっきり罪人取締班を恨んでたから、芽衣ちゃんを攻撃したんだと……」
「ま、疑われるだけのことはしてるからな、当然の誤解だ。それよりも、なぜこいつの危険を察知できた?」
白虎の親指で指された芽衣を見て、美羽は答える。
「芽衣ちゃんの能力だよ。急に喉が痛くなって、そこから何も感じ取れなかったからここに来たの」
「その痛みは、そいつが泣き叫んだからだな。にしても、こいつの能力は思ったよりも汎用性に長けてんのかもなぁ」
白虎が芽衣を再び見た瞬間のことだった。突然、黒い何かが壁や床から生えてきたのだ。
「これ、何……!?」
「お前らが知らねぇっつうことは、RDBか?」
そしてその黒い物は、二人を呑み込めそうなほど大きい口となって、動き始めた。
そこから、雑音のような声が聞こえた。
「オマえらは、ワレらの仲魔になるです、ます、か?」
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