90話 悪い子
美羽、芽衣、翔の三人は、人災の報告を聞きつけてその場に向かった。
「……なんですか、これ」
芽衣は目の前で起きていることを理解できずにいた。
倒壊するビル、音を出して燃え盛る炎、生きるために逃げ惑う人の群れ。
「回答する。これはRDBが起こした人災」
「そ、それは分かってますよ──けど、なんで」
いつもなら冷静な対応のできる芽衣だが、彼女が心を乱す訳があった。
「なん、で……ここが」
被害が出た地域には、芽衣の両親がいる罪人刑務所があった。その両親とは、以前に取締班と交戦した片川夫婦だ。
その夫婦は芽衣にとって恩人であり、また家族でもあった。
不意に走り出そうとした芽衣の左手首を、美羽は優しく掴む。
「芽衣ちゃん待って。心配なのは分かるけど、今は避難誘導と災害の抑制に専念しよ? 私たち、そのために来たから」
美羽はそう言って、芽衣の単独行動を制止した。
「そう、ですね。そもそも私が父や母の元に行っても、災害から時間も経過してるのでできることは少ないですからね」
今の言葉は、芽衣本人を納得させるためのものだった。
しかし美羽は、そんな彼女の言葉から不安や恐怖を読み取った。
本当は芽衣に行かせたかった。なぜなら美羽にも、大事な人を心配する気持ちは分かるためである。
* * * *
温もりのない太陽は、まるで空に浮かぶ白色電球のようだった。
有象無象をただ照らして光と影を明確にするためだけに、今日の太陽はそこにあった。
そんな太陽を尻目に、美羽は取締所ではなく優貴の部屋へと向かった。
『最後に聞きたいんだが……もし俺に何かあったら、その時は助けてくれるか?』
優貴のその言葉が、何故か頭から離れなかった。彼からそう言われたあの日の夜、不安な気持ちになって眠れなかった。
美羽はその質問の真意を本人に聞くため、その次の日の朝に彼の部屋へと出向いたのだ。
中指の第二関節で扉を小突く。が、声も無い。
「優貴、くん?」
不安そうな声で美羽は呟く。そしてその声が壁に反射する。
胸が妙にざわめく。息遣いが僅かに荒くなる。
ふとドアノブに手をかける。すると、手にかかる重力だけでドアノブは下に降りてしまった。鍵が開いていたのだ。
胸の鼓動が早くなる。息が詰まる。
ドアノブを握る手に少量の汗がこもる。その手を握り直して思い切りドアを引く。
「これって」
美羽の怯えた声はそこで止まった。恐怖が限界を超えたわけではない。予想外のことに驚きを隠せなかったのだ。
美羽の目が捉えたのは、ものけのからとなった部屋だった。
*
「優貴くんが、消えた?」
椿は美羽の報告に動揺した。正確に言えば、椿を含めたその場の全員がだ。
美羽は二つ頷いて話す。
「靴も無くなってたし、多分優貴くんの私有物も全部無くなってました。何故かベッドはそのままでしたが……」
「とりあえず、俺は信頼できる人に片っ端から相談してみるよ。それまで、みんなは任務に影響のない程度に捜索してね」
椿の指示に、全員は従うことにした。
* * * *
それから数日経って、美羽は今に至る。優貴が消えた日からずっと、彼の身の安全を心配していた。
「班長たちも最終手段で頑張ってるし、私達も頑張らないとね!」
最終手段に向かった班員以外で構成されたのが、美羽と芽衣と翔の三人だった。
三人とも戦闘向きかと言われればそうではないが、居ないよりはマシだろう、と菫は話していた。
「提案する。三人で分かれて、各々でできることをする。自分の能力も駆使して、避難者の保護や消防隊への協力、そして倒壊を防ぐ。だけどRDBがまだ潜んでる可能性があるからあまり離れずに、接敵時は無理な戦闘は避けてすぐ救援を呼ぶこと」
「おっけーです!」
「了解しました」
美羽と芽衣は翔に返事する。そして美羽がそこを離れようとした時、「《発動》」という声が聞こえた。
美羽はとっさに振り返る。
その声は──芽衣の声だった。芽衣は能力を発動し、美羽に触れていた。
「もし万が一、私に何かあれば……助けに来てください」
「──うん、分かった」
美羽は芽衣の意図を理解し、強く頷いた。
そして、二人はバラバラに行動した。
*
「質問する。この事件の状況を教えて?」
翔は現場を二人に任せ、避難区域で避難者に話を聞くことにした。
一人でも現場は多い方が良いのだが、警官も多数出動しているため、あくまで対人向きの能力を持つ自分は後退した方が良いと考えた。
「はい。えっと、突然近くの建物が爆発して、その爆発が連鎖したように見えました。だけど何があったか分かりません」
「さらに質問する。爆発はどこから?」
「それも分かりません……。でも確か、東の方向だったと思います」
「感謝する。ありがとう」
翔は顎に手を当て俯く。
ふと視線を戻すと、二人組の警官が事情聴取をしていたのを見た。
「質問する。何か変わったこととか聞いた?」
「お前は罪人だ。警官面しているところ悪いが、話すことなど──」
「いや待て」
もう一人の警官が慌てて制止した。そして翔に聞こえないように、耳打ちで話す。
「彼は恐らく、菊村長官のお孫さんだ。いくら罪人だからと言って、突き放すのは少し恐い」
「彼が……そうか」
二人の警官は態度を改めると、敬礼して丁寧に話し始めた。
「はい。事情聴取によりますと、青いマフラーの青年が何名かの避難者を救ったという情報があります。そして爆発源は麻宮ビルという、今は使われていないビルの可能性があります」
「……感謝する。ありがとう」
翔は避難区域を後にし、再び現場に向かった。二人の警官はその後ろ姿を、複雑な表情で見ていた。
「青いマフラーの青年──まさか、な」
その視線を無視し、翔はそう呟いた。
*
その頃、芽衣は罪人刑務所の近くまでたどり着いていた。息切れは、もう気にしていなかった。
翔の言う通りにした方が良い、美羽の制止をもっと真に受けた方が良い。
そんなことは本人が一番よく分かっていた。しかし、自分を拾ってくれた恩が心臓をめった刺しにしてくるのだ。
「ごめんなさい。美羽さん、翔さん。私は……悪い子です」
口を噤むと、芽衣はさらに近づくように進んで行った。
ご愛読ありがとうございました。
次回も宜しくお願いします。