79話 エンカウント
椿が巻き込まれた、あの事件から数日の話。
* * * *
椿は外に出た。日光で作られた影の大きさを意識してしまうほど、外は明るかった。口から白い息の出る昼だった。
あれからしばらく、罪人取締班は罪人の対処をしていない。罪人の犯罪件数が圧倒的に少なくなっていたのだ。
ただ、暇を持て余した訳ではなく、取締班は民事の事件を、交番の警察官と共に解決していた。紛争で精神が廃れた人間が、ここ最近事件をよく起こしているのだ。
椿はひったくり犯を捕らえた帰りだった。椿としては、ある意味での気分転換になると思っていた。
これからどうしようかと考えていた時、後ろから突然声をかけられた。
「お仕事? ご苦労さま」
女性と認識はできるものの、低く聞こえる抑揚のない声。その声に、椿は聞き馴染みがあった。忘れるわけもなかった。
椿は後ろを振り返り、思い切り距離をとる。声の主の姿を確認してから、話を始めた。
「……アレクサンドラ」
「結構長い名前だから忘れてると思ってた。あと、サーシャでいいよ。久しぶり、椿班長」
アレクサンドラ──愛称をサーシャという少女は手を振っている。
対して警戒を解くことがない椿に、サーシャはため息一つ。
「ま、ボクのことを恐れるのも分かるけど、ここで戦っても互いに損でしょ?」
「この呪いをかけた張本人が言えたセリフじゃないね」
通行人の何名かは二人を不信そうに見つめている。その視線に気づいたサーシャは、「落ち着こうよ」となだめる。
「罪人の評価を下げたくないんでしょ? それに、ボクを殺してもその能力は『ジョニー』のもの。解除はされないよ」
「……それが嘘っていう可能性は?」
「正直、十二分にあるよ。ま、嘘だったとしても──ボクはキミなんかに殺されないけどね」
サーシャの眼光が鋭くなる──かと思いきや、すぐに雰囲気を戻す。
「ボクが来たのはキミと戦いたい訳じゃなくて、ただ話したいだけなの。キミも謎をもっと知りたいなら、話し合った方が互いに得じゃない?」
*
班員がこの場面を見たら、惨めを通り越して滑稽と思うだろう、と椿は思う。
椿が敵対組織の幹部であるサーシャと、喫茶店の隅の席でコーヒーを飲みながら話すなんて、誰が予想しただろうか。
この喫茶店の名前を『エンカウンター』という。この地域で暮らす椿は、この店の名前も存じ上げなかった。
「どう? ここの喫茶店、穴場だけどコーヒーの味はボクの好みなんだ。だから、よく来る場所なんだよね」
サーシャはコーヒーの味の感想を求めた。椿は反応を示さずに辺りを見回す。
少々古びた木造の壁と床、そして他の二名の客が一時を堪能している様子が椿の目に入った。
心が休まるBGMとアンティークな食器、家具。確かに良い喫茶店だと椿は感じる。
「さて、ボクが誘ったんだ。まずはキミの質問に、三つまで答えるよ」
サーシャは頬杖をしながら、ただ椿を見ていた。値踏みでも品定めでもない、信頼する人物を見るような眼差しだった。
「……さっき言った、ジョニーという男の能力を知りたい」
「うん、いいよ」
サーシャは、断られると思っていた椿の気持ちを裏切る。
「ジョニーの能力は『賄賂罪』。要は、強制的に『恩返し』させる能力。ボクが命を助けたから、みんなは警察の情報を送信するっていう、『恩返し』をさせてるの」
「それを、解除するにはどうしたらいい?」
「ジョニー本人が解除の意志を見せないといけない。だから、ボクには無理ってこと。あ、今ので丸ごと一つ目でいいよ」
椿は二つ目の質問をする。
「RDBの目的は?」
「ごめん、それは答えられない。あ、『意志』の問題じゃなくて、『可能』の問題ね」
「君も知らないっていうこと?」
サーシャは無言で頷く。椿は質問を変えることにした。
「これから、RDBは何をする? どんな計画を立てている?」
「RDBは警察の情報を元に動いていくよ。自分達が捕まらない、拠点がバレない範囲でね。闇取引から殺人まで、あらゆる犯罪に手を染めるつもりだよ。これが二つ目ね」
またもや、機密に近い情報を何の躊躇いもなく話すサーシャ。彼女が答えられる範囲なら、本当に答えてくれているようだ。
椿は最後の質問をした。
「RDBの拠点はどこにある?」
「フランスの凱旋門。これを持って凱旋門をくぐると、拠点にワープする。そのワープも日本で活動できるのも、全部狩魔の能力だね」
『これ』とサーシャが称したのは、青い宝石のようなものだった。直径三センチほどの球体で、キラキラと白い日光に照らされている。
「今、あっさりとバレたらいけない拠点の位置を教えたけど、いいの?」
「質問は終わったけど……まあ、いっか。RDBとしては困るけど、『ボクとしては』困らないかな。ま、それに関してボクの話を聞いて欲しいんだ」
椿はサーシャの話に耳を傾ける。
「ボスは本当に、君たち罪人取締班との戦闘を嫌がってる。そこで、君たちにお願いだ。──どうか、RDBを壊してくれ……」
今までで一番、彼女の本心が垣間見える。椿が目を広げる中、サーシャは続ける。
「ボクはRDBの中にいる、『レジスタンス』の一員なんだ。表向きではないから、まだバレてないと思う。実を言うと、RDBはこれまでにもこんな活動を続けてた。その度に、ボク達は色んな敵対組織と連絡を取っていたけど、全部失敗に終わってる」
「──質問に三つまでしか答えなかったのは? もし君たちがレジスタンスなら、俺達に全て教えてもいいんじゃ?」
サーシャは苦しそうに首を振る。
「前にも一回だけそれはした。けど、その時は失敗に終わるどころか……そのせいで広さんが……」
「広さん? それって──」
「とにかく、君たちの実力が本当に信頼におけると判断できたら、もっと色んなことを教えるよ。君たちと会うだけでも、ボク達にとっては大きなリスクがあるからね」
そう言って、サーシャは立ち上がった。気がつくと、サーシャが使ったティーカップは空になっていた。
「また、何かあったら会いに来るから。……ちなみに、今までのも全部嘘じゃないからね。あと、ここはボクが奢っておくから」
彼女はそう言い残して、その場を去った。扉の開ける音と閉まる音が、椿の煩いを増幅させた。
*
椿はティーカップにあるコーヒーを飲み干した。サーシャには言わなかったが、確かに印象に残る美味しいコーヒーだった、と椿は感じる。
そっと席を離れる。彼女を信頼してもいいものか、少し時間が欲しいと思いながらドアのハンドルに手を伸ばす。
「お客様、代金がまだです!」
店員がそう叫んだ。
奢りは嘘なのか、と微笑しつつ代金を支払って外に出た。
椿は改めて、彼女を信頼してもいいものか、少し時間が欲しいと思った。
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