78話 可能性
温度差を意識しました
──苦しい。首の中が焼けるように熱くなり、声は車がスリップしたように掠れる。──
そう思いながらも、体内で何が起きているのか、血を流した誰も分からなかった。
すると、ショートボブの彼女は表情を変えずに肩をすぼめて言った。
「ま、嘘だけどね」
その言葉が会議室に響いた途端、呼吸がしやすくなり、声も出るようになった。瀕死という事実が嘘になったように。
ただ彼らの口元には確かに血がついていた。
さらに苦しんだ感覚は鮮明に体が覚えている。首の中で何か蠢くような不快感を。
「『嘘から出たまこと』っていうフレーズが日本にあるんでしょ? だから嘘も所詮、一つの可能性」
あんなことが起こったあとで冷静に話を聞ける訳もなく、班長らは一斉に警戒態勢を整えた。
それに構うことも無く、彼女はそのまま話を続ける。
「ボクの能力は、その『可能性を変える』ことができる。……あ、これは嘘じゃないからね?」
「サーシャ、多分もう聞く耳もってくれてないよぉ」
狩魔の言う通り、彼女──サーシャの話を聞くものはいなかった。既に能力を発動する者もいれば、能力を発動する準備が整っている者もいる。
しかし、ある男の声で不穏な空気が流れ出す。
「……待て、やはり何かがおかしい」
埼玉の罪人取締班の班長、薙田広だ。
「サーシ──いや、アレクサンドラは打算的な奴だ。こんな場に現れることはない」
彼の言葉に、椿は言葉を返す。
「アレクサンドラとはあの少女ですか? ……そんな彼女がここに来た理由?」
「あいつにとって、ここに来たことが得に繋がるはずだ。あの司会役の警官の命一つでは満足しないだろう」
『少女』と言われて自らを指さした狩魔を無視して、サーシャは話す。
「ま、その通りボクは打算的だよ。だけど、さっきの嘘、生を死に変えるんじゃなくて死を生に変えたから、ボクは損しかしてないけどね」
「死を……生に?」
「本当はみんな死んでたんだからねぇー? 会議中に少しづつ流れてた毒ガスでぇ。それを、サーシャが『毒ガスで全員死なない可能性』に変えたのぉ。あまりにもタイミング良かったから騙されたんだねぇ」
会議中は不審な匂いもなく、体に違和感も感じていなかったため、彼らは驚いた。
本当は死んでいたという事実に、その場に座り込んでしまう班長もいた。
突然、「グレイト!!」という男性の声と一抹の拍手が聞こえた。
「オゥ、サーシャはエブリワンの命をセーブしたのですね! なんとインプレッシブ!!」
その声は会議室の最後列で聞こえる。大半が後ろを振り返ると、警官姿で扮装した金髪青目の大柄な男性が笑っていたのを見た。
その男性の声を聞いた広は、後ろを振り返らずとも顔を青ざめさせて、これから何が起きるのかを理解したように「まずい」とだけ呟いた。
「ソー、エブリワンはサーシャに『オンガエシ』しないといけない! 命をセーブしてもらった『タイカ』をペイ! プリーズ、サーシャ!」
「命を救ってあげた代わりに、みんなには──」
* * * *
「あっ、班長。会議はどうでしたか?」
執務室に戻って来た椿を見て、優貴は聞いた。
「うん、建設的で有意義な会議だったよ」
そう言ってにこやかな班長を見て、優貴は安心したように「それは良かったです」と言った。
椿は席に座り、いつも通り作業を始めた。
警察官の首が切られた事件は公にならず、捜査もされていない。菊村長官の働きかけだ。
会議では何事も無かったかのように、その参加者達は振舞っていた。
……心の奥底では、助けを求めているのに。
*
『命を救ってあげた代わりに、みんなには罪人取締班の班員のデータとか警察の内部情報とかを全て送信、そして逐一更新をしてほしいな。後、ここで起きたことは全て口外禁止、広さんに至ってはRDBの情報共有も禁止』
その命令を聞いた時からずっと、椿は周囲に伝える方法を模索した。口に出したり紙に書いたり、菫の能力で写真化させようとしたり。
しかし、口に出す前に声帯はシャットアウトし、紙を渡す前にビリビリに破き、菫が承諾しても結局断る。
その命令を、『破ってはいけない』のではなく、『破れない』のだ。無意識的に破ることを拒否する。なので当然、会議の日の夜に情報を全て送ってしまった。それも同様、無意識的に。
椿は、何か知っているであろう広にも電話し、あの男性の能力が何かを聞いた。その会議で起きた内容を口外していないので、これは聞くことができた。
しかし広は「何も知らない」の一点張りだった。
その返答が、この能力に対処法はないことを裏付けてしまった。
広もRDBについては口外できないということは、その能力の影響から抜け出す方法を知らないということになるからだ。
こうして、椿を含め能力を食らった者達はほとんど、抜け出すことを諦めてしまった。
内側から絶望が侵食し始めていることに気づく者は、彼ら以外にいなかった。
* * * *
天舞音の退院祝いとして、芽衣は二人で買い物に出かけた。芽衣が律儀にも天舞音を誘うものだから、天舞音は本当にアホみたいに喜んだ。
「いやーありがとね! まさか本当に誘ってくれるなんてさ!」
「いえいえ、行きたかったのは私もでしたので!」
「そっか! じゃあ、教えてくれるかな? ……女性達で行く買い物って、始めはどうすればいいんだろうね」
天舞音の苦笑いの質問に、芽衣は無言で目を逸らした。二人とも普通の買い物をしたことがないのだ。
「あこがれ半分で買い物って言ったけど──僕たちにはレベル高すぎたかもねぇ……」
「で、でも! 女子ならまずは服とかじゃないですかね!?」
「僕は女子なのか……?」
首を傾げる芽衣に、天舞音は「何でもない」とまた苦笑いすると、話を戻すように提案した。
「冬だから、限定スイーツを食べに行くのもいいね。先どっち行こ──」
「スイーツで!」
「即決だね」と笑う天舞音は、芽衣と共に近くの飲食店を探した。
*
「ここの飲食店が、なんか、『映え』? するらしいよ」
「『映え』……ですか? なんかうっすらと聞いた事ありますが、聞き馴染みはないですね」
「私も無いよー。でもなんか、『人気がある』ってことなのかな?」
その『映え』するスイーツをそれぞれ頼んだ二人。すると……。
「わっ、かわいい! このパフェ、お菓子で作られた羊の顔がありますよ!」
「こっちは豪華だね! パンケーキにこんな贅沢にクリームとソースがかかってる!」
きゃいきゃいと話しながら、携帯を取り出すことなくそのまま食べ始めた。
*
食べ終わるのも最後、天舞音が最後の一切れを口にしたところで、芽衣は突然わなわなと震えだした。
「天舞音さん、どうしましょう……! 私は罠にかかってしまいました! これは商業の戦略です!」
「ゴホゴホ……! ちょっと待って、どうしたの?」
天舞音が喉の詰まりを水で流し込んで、芽衣の方を見る。芽衣はとても深刻そうな顔をしていた。
「この羊の顔……可愛すぎて食べられません!」
真剣に悩んでいる芽衣に、天舞音は思わず笑みをこぼした。
「なら、それ僕が食べようか? 交換するものが無いからあれだけどさ……あっ、じゃあほら、その代わりここは僕のおごりでいいからさ」
「いえ! ここはせめて……私の、手で……ううっ」
*
羊の顔を美味しそうに食べた芽衣と、その様子を見て微笑んでいた天舞音は、それぞれでお金を払ってその店を後にした。
次に二人が向かったのは、服を着たマネキンがショーウィンドウに並んでいる店だ。
「こ、この服、足が出ますよ!? 絶対寒いですよ!」
「どれどれ? わ……今の若者はこんな格好するんだね。大変だけど、オシャレに犠牲はつきものなのか……」
とりあえず、気になったものを試着してみることにした。天舞音は黒いジャケットとジーンズ、芽衣は膝あたりまでの白いワンピースを。
「うん、やっぱりこれがしっくりくるかな。フリフリなのは……歳的にねぇ。あっ、芽衣! いいね、似合ってるよ! 年頃って感じがする!」
「やっぱり、少し寒いです……けど、この服いいですよね! 天舞音さんもそのジャケットとジーンズいいですよ! なんか、大人って感じがすごいです!」
二人ともその服を購入して、その後も様々な店に向かっていった。その様子は、まさに普通の女子二人が遊んでいるようだった。
彼女らに不幸さえなければ、そうなる『可能性』があったのかもしれない。
ご愛読ありがとうございました!
また次回も宜しくお願いします!