70話 限りなく親に近い『親』
練習試合が終わり、全員が帰路につく。寒くも照らすほのかな日光は、班員たちの体を優しく包み込んだ。
戦後の復興で閉まっていた美羽の大学は、明後日に通常授業で再開するらしい。そのため今日は、平日の日中になっても美羽は班員として過ごしていた。
「そうだ、優貴くんと和也くん、あと芽衣ちゃんは大学に行くの? ほら、将来どうするのかなって」
美羽はそう話しかけた。大学というものに、三人とも興味がないように首を振る。
「俺は、このまま班員として働くつもりだ。なんか、家って感じがするからな」
「俺もそうしよっかな! 仕事決めるのめんどかったから、ちょうどいいな!」
「今は、ここで頑張ってみようかなって思います。その方が都合がいいですし」
美羽は一つ咳払いをする。
「──私の大学は教育学部が大半で、私は国語教育専攻なんだけどね。実際に国語の先生になる人は少ないと思うよ。私の友達は──その大学の陸上部が強いからとか、もっといい文献がありそうとかだから……」
「おっ! じゃあ美羽は国語の先生になるのか?」
どこかで似たような経験をした美羽は、意表をつかれて口元を抑える。
「っ、和也くんも、呼び捨てする感じかぁ……」
「ん? 優貴がそう呼んでたからな!」
美羽は「そっか」と短く納得したことを伝えて、話す。
「まあ、今となっては私も先生になる気はなくて、中学の時の進路を辿ってるってだけかな」
少し困ったような笑顔を浮かべる美羽。その瞬間、寂しさが滲み出たような気がした。
その笑顔を直視できなかった芽衣は、ふと腕時計に目を落とす。そして、「ああぁっ!」と声をあげた。質素な住宅街に声が響く。
「ど、どうしたの? 芽衣さん」
「大事な用事を思い出しました! あの、バス停はどこにありますか!? ああ、それと小銭も貸してもらえませんか、あの、すぐ返すので!」
「じゃあ、あたしが近くのバス停まで案内してやるよ。小銭も渡すからね」
そう言って、聖華は芽衣の手首を掴んで走り去った。
芽衣の体力が持つかどうか優貴は不安だったが、今は心の中で応援するしかないようだ。
「あっ、つられて私も思い出しました! 班長、例のやつは……」
「ああ、執務室に保管してあるよ。翔くんいわく、『謝罪する。ごめん、完成間近で戦争になったから遅れた』らしいよ」
「なるほど。戦時中に間に合わなかったのは残念ですが、仕方ないですもんね」
優貴は首を軽く傾げた。
「例のやつって? それと、どうして翔さんが?」
「ふふん、それは実物を見せてから話すね!」
美羽はいばるように腕を組む。
「美羽さんと和也くんは先に実物確認してて」
椿はきっかけができた、と感じてそう言った。それと同時に、優貴に手招きする。
何かを察した美羽だが、和也はピンときていないように言う。
「俺は確認しなくてもいいと思うぞ!」
「い、いや! 和也くんにも是非見てほしいの!」
美羽が取り繕ったおかげで、「そっか!」と和也は納得して帰っていった。
*
椿と優貴は立ち止まって立ち話をする。
「優貴くん。これはまだ他の班員に言ってないんだけど、君に伝えるね」
「は、はい……」
椿は神妙な面持ちで言う。優貴は、少し緊張しつつ答えた。
椿は、優貴の想像以上の事実を言う。
「神奈川県の罪人取締班の班長、金山恵子さん。そして、君の先輩だった楠木雅人くん。……二人の死亡が確認された」
「そんな! ……すみません、でも本当なんですか?」
椿は頷く。言うよりはマシにしろ、無言の肯定は優貴の心臓を締め付けた。
「でもね、彼らの近くにもう一人の死体が発見されたんだ。ヴィクトリア・フラマレットとという貴族の令嬢の焼死体がね」
「それは……誰ですか?」
「日本警察がマークしていた人物だよ。なんでも、RDBと関係を持っていたらしいよ。戦争の場に居たってことは確定だろうね」
優貴は驚きを露にした。二人がRDBと戦っていたことにも、貴族がRDBに所属していたことにも。
「RDBは日常に溶け込んでる。いつ、どこで彼らと接触するか分からないから、気を引き締めてね」
「それを、なぜ俺だけに?」
「いや、本当は二人の死亡報告で済ませるはずだったんだ。なのに……はは、どうしてだろうね」
椿はそんなことを言いつつも、話した理由は分かっている素振りだ。ヴィクトリアのことを話したのは、優貴を信用してのことだった。
優貴は不思議な気持ちになりながらも、椿と共にその場を後にした。
* * * *
芽衣は息をぜえぜえと切らして、バス停の近くのベンチに腰掛けていた。隣には聖華が「ふぅ」とTシャツの襟を掴んでパタパタとしていた。
そのバス停は、偶然芽衣がいつも乗っていたバスが通っていた。芽衣が時刻を確認したところ、次のバスは三十分後だったため、体力を回復しつつ聖華と待っていた状況だ。
「いやぁ、いい汗かいたね!」
「ぜ、全然……はぁ、いい汗じゃ……!!」
「あんた、運動不足なのかい? 若いのにもったいないねぇ! ちょっと待ってな!」
聖華はすっと立ち上がって、その場を後にした。
芽衣は気にかける余裕もなく、ただ背もたれに首を置いて青空を見ていた。
どんなに不格好でも、今の芽衣にとって、周りからの見え方はどうでもよかった。
「ほれ」
「ひゃうあっ!」
喉が氷河期を迎えたような感覚に、変な声を出して姿勢を正す芽衣。
聖華はケラケラと笑って、水入りのペットボトルを手渡した。
*
そこから少し経過し、芽衣はようやくまともに話せる状態になった。
聖華がペットボトルから口を離すと、前触れなく芽衣に話しかけた。
「そういや、用事ってなんだい?」
「あっ、父と母に面会する予定がありまして……。はあ、なんでこんな大事なこと、忘れてたんだろ」
「両親って、あんたを保護してたっていう? 確か片川夫婦、だったね?」
芽衣は持っていたペットボトルに視線を落とすと「はい」と答えた。
「今よりももっと苦しかったとき──それこそ、死んじゃうかもって思ったときに父と母が保護してくれたんです。その頃にはとっくに私は罪人で、周囲は認知していたので、見て見ぬふりというか……」
聖華は無言で話を聞いている。芽衣はその様子を見る素振りもなく話し続けた。
「それから、父と母は私の衣食住を全て満たしてくれました。今は二人とも刑務所に居ますが、それも私を含めた子供たちの為ですし、私達は今でも、二人を家族だと思ってます」
「……でも、片川夫婦があんたにとっての『親』じゃないだろ?」
親というものを知らない聖華は、興味本位で聞いてみた。
聖華が驚いたのは、芽衣が何の躊躇もなく「いいえ」と答えたことだった。
「私を愛して育てて下さった二人は、完全な親です。だって、私を造った人を親と呼ぶ制度はないでしょう?」
聖華は芽衣の目を見合わせる。その目はいつもの芽衣のよりも、光が消えたような、それこそ深淵が覗くような──。
「あっ、バスが来ました! 案内とバス賃、ありがとうございました! お金は後で返します!」
「……おごるからいいよ! お金は気にしないどくれ!」
聖華は芽衣を見送った後、ゆっくりと立ち上がってその場を後にした。
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