58話 人と物
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嘘であってほしかった。いやもはや夢でいい、この戦争自体が絵空事だと思い込みたい。今の世界が、子供がクレヨンを握って塗りつぶした絵の中が良かった──のに。
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そのカプセルの中には、紛れもなく和也がいた。コードがついたヘルメットの様なものが、和也の頭から剥がれる。
すると、和也は歩き出した。普通に、何の変哲もなく。その足が向かわんとするのは、優貴ではなく白虎の方だった。
「和也に…………和也に何をしたっ!!」
優貴の言葉一つ、怒りの感情が敷き詰められている。事情を知らない天舞音も芽衣も、優貴の変貌に戸惑った。
白虎はあることに気がつくと、腹を抑えて笑った。
「だはははっ……! まさか、てめぇが優貴か? 和也の親友っていう! 運命だなこりゃ!!」
「耳がないのかお前……? 何をしたかだけを聞いてるんだ!!」
白虎は両手の平を見せ、「まあ、待て待て」と宥めて話し始める。
「そうだなぁ、てめぇの名前を使った対価として教えてやるよ。最初から最後までな」
白虎はそう言うと、高圧的に腕を組みながら話し始める。
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自主訓練が終わって少し休もうと、白虎は席に着いた。少しだけ羽毛が入っている、使い古された黒い椅子。
今度買い換えようと思っていた時、突然伝達係が部屋に入ってきた。彼の無礼さに白虎は、少しイライラさせる中、伝達係からこのようなことを言われた。
「白虎、朱雀からの言伝だ。『孤児院にある、罪人変換施設に近づいた男子を銃で何発か撃った。まだ息があるため、先生としての立場上延命はしているが、施設の重要な情報を知られている可能性が高い。生死の判断を委ねたい』と」
「はぁ……何故俺に聞く、勝手に判断しろ」
「まあまあ」と、伝達係は白虎に落ち着くように頼む。
「彼女にも、『亜喜』としての情が湧いたのだろう。それに、君にとって面白い情報があるのだけれども……聞くかい? ああいや、君がめんどくさいのなら、それまででいいんだけれどもね」
伝達係のうるさい言動に腹を立たせながらも、白虎は、「早く言え」とだけ言う。その日は少しだけ気分が良かったのだろう。
「その男子を撃った部下が全員殺された。それも凄惨にね。どうやらもう一人男子が居たらしく、罪人として覚醒したみたいだね」
「ほう」と、白虎は椅子を回転させて伝達係を見る。彼のちんちくりんなその体に見合わぬ覇気。その得体の知れなさに、白虎は前々から警戒している。
今回はそんな彼を警戒して見たのではなく、彼の話に興味が湧いたため顔を向けた。
「覚醒した罪人が撃たれた者を運んできた。その二人は元々親友らしく、その故に見殺しにしたという意味で罪人になったのだろうね。罪人のほうは──どこで漏れたかは知らないけど、罪人取締班に引き取られるみたいだし、ボスもまだあちらと穏便にすませたいらしいから、僕たちに残ったのは銃で撃たれた方さ」
『どこで漏れたかは知らないけど』のときに、伝達係は一瞬言い淀んだ。しかし白虎は、彼が情報を渡したかどうかは気にしなかった。
和也を部下にする方法を思いついたからだ。
「朱雀に、『そいつを生かせ』と伝えろ」
「ほう、意外だね。君がそんなに慈愛に満ち溢れた人だとは」
「だははっ」と白虎は笑う。
「おいおい、俺がそんな奴に見えるか?」
「見えないから、冗談という体で言ったんだ」
伝達係の飄々《ひょうひょう》とした態度に、「はっ」と白虎は微笑した。
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「白虎様、これが例の小僧です」
「ん、分かった。てめぇは下がれ」
手下は「はっ」とかしこまり、その場を後にした。残ったのは白虎と目を合わせようとしない和也だけだった。
白虎は、傷口がようやく塞がったらしい和也を呼び寄せたのだ。見た目はもはや中学生くらいだが、身体能力は高いのだろうと気迫で感じ取った。
そして白虎は和也に聞いた。
「何か聞きたいことはあるか?」
「優貴は……優貴はどこに!? そもそもここは!? あんたは!?」
さすがに混乱してるのだろう。和也の質問責めに、白虎は思わずため息が出た。
白虎は少し芝居をうってみた。
「優貴? あああの、お前の隣で死んでた奴か。残念だったなぁ。お前は息があったが、そいつはもう……」
白虎の白々しい演技も、嘘を見抜けない和也はすぐに真に受けてしまった。
「……そっか、俺に『力』が無かったから──。俺が優貴を、もっと守れる力があればっ! ──っ!?」
白虎の計画通りだった。
和也は自分を『力が無い』と責めた。そうして和也は──『暴行罪』を手に入れた。
そして心が荒んでいる所を洗脳した。伝達係が作ったという、専用のカプセルに押し込めて。
その後はずっと、カプセルから出しては実習訓練を繰り返させた。しかし、和也の身体能力には目を見張るものがあった。
わずか一週間で、三人の部下の罪人を同時に気絶させた。
白虎はこいつが次の、事実上の『玄武』になると確信していた。
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「と、まあこんな感じだ。つまり和也は、もう優貴を親友だと認識しちゃいねぇ」
気がつくと、優貴は前へ跳んでいた。狙いはもちろん白虎へ。
もう警戒も様子見も必要ない、そう思うほどに優貴の感情は臨界点をゆうに超えていた。
「やれ」と白虎は和也に命令した。刹那、優貴が白虎を殴ろうとする腕を、和也は下から蹴りあげた。
戸惑う優貴に、和也は更なる追撃として、もう片方の足の裏で優貴の腹を思いっきり蹴る。
「がっ──」
優貴の声が出切る前に、奥の壁へと叩きつけられていた。
そして様々な情報を処理しきれない芽衣に、白虎が近づいた。
「あっ──」
「んで、お前も罪人なんだろ? それと一緒に沈めてやるよ」
白虎が『それ』と呼称したのは、傷だらけで上手く動けもしない天舞音だった。
芽衣は、先程まで恐怖で動けなかったのに、気がつけばすくっと立ち上がると、白虎にこう言った。
「私、あまり頭は良くないです──けど、この人は物じゃありません! 生きてる人に、どうして酷くできるんですか!?」
「……人間も物だろ。困ったら頼られ、飽きたら捨てられ」
「っ──」
その時の白虎は、唯一悲しい顔をしていた。そして何も言わずに、薬を一錠飲み、関節を鳴らす。
危険を感じた芽衣は、とっさに髪を触る。
「「《発動》」」
二人の声が重なる。その声が消える前に、白虎は芽衣の腹を殴る。瞬間、芽衣は左へと飛ばされた。
「ううっ────!」
腹に加わった貫くような衝撃、背中で受けた壁の叩かれたような衝撃の痛さに悶える。
芽衣の目から思わず零れる涙。この種類の痛さは初めてだったのだ。
しかし、突如として白虎はその場でひざまづいた。
「…………痛ぇ」
白虎はそんな声を零す。まさか攻撃がくるとはという驚き、久々に痛みを感じた高揚感が大げさに混ざった一言。
芽衣の『重婚罪』によって、芽衣の痛覚が白虎へと伝わったのだ。
白虎はまた立ち上がると、芽衣を見据えてこう言った。
「今のは、感覚を共有する能力か? だが、傷もなければてめぇみてえに血も流れてねぇ。……実験だ、てめぇに致命傷を食らわせたら、俺は生きるのか死ぬのか──楽しみだ」
白虎は面白い人をただ見ていた。芽衣は体を震わせ、肌を青ざめさせていた。
白虎が近づこうと脚を出そうとした。しかし、脚には誰かの手があった。
「行かせない……僕が死んででも、君を離さない!」
天舞音は能力を発動していて、白虎は舌打ちをしながら、天舞音を上から踏みつけようとしていた。
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