30話 不安に勝る焦り
神奈川県罪人取締所に入った所から始まります!
事務室の扉をノックする。扉を開けて俺たちを出迎えたのは、50代から60代ほどの女性だ。
物腰柔らかそうな目に、クルクルとした短いパーマをしている。どちらも明るい茶色で染まっている。
彼女のほんわかとした表情には、長く生きたという証でもあるシワがあちらこちらと刻まれていた。
「あら、椿くん! いやあ、また大人になってー! こっちは……優貴くんだった? ごめんなさいねえ、おばさんこの頃物覚えが悪くて……」
声と喋り方には馴染みある。どうやら、この人が神奈川県の班長、金山恵子さんのようだ。
*
「おせんべいしかなくてごめんなさいねえ。ここ、置いておくわね」
「ああいえ、お気遣いなく」
にこやかにも遠慮する班長の前のテーブルに、種類あるせんべいが乗ったお盆が置かれる。カタ、と短い効果音を鳴らして、恵子さんが話し始める。
「……あまり重い話はおばさん苦手だけど、神奈川県にも被害は及ぶのよね? 本当に、おばさんたちだけでやり過ごせるのかしら……?」
第一印象は穏やかな女性であった彼女も、今回の件に関しては不安を隠しきれないようだ。心無しか、彼女は眉を落としている。
「心配は恐らく杞憂になります。いくらプロノービスでも、全国を一斉に攻撃できる人員もいません。逆に言えば、全国を攻撃するなら集団ではできない。……プロノービスが何もしないのであれば」
班長の話に付け加えるなら、慈善活動を行っている罪人もいる。彼らが協力してくれるなら、こちらの人員は十分のはずだ。しかし、恵子さんは未だに不安を拭いきれないようだ。
「でも、もし敵の数が多かったら、おばさんたちが、班に入りたての新人たちを庇いながら戦うことになると思うの。戦い慣れてないのに戦場に赴かせるのはやっぱり怖いのよねえ……」
彼女は穏やかな表情とは裏腹に、厳しく的確な意見を出した。
確かに、俺や美羽を含めた新人が戦場に行けば何が起こるか分かったものじゃない。俺が今まで任務ができたのも、他の人と一緒だったから、と言っても過言ではない。
彼女はこちらに目をやると、何かに気づいたように口に手を当てた。
「あらやだ……。優貴くんも新人だったわね。ごめんなさいおばさん、言い方考えるべきだったわ」
「いえ、はっきり言って事実です。俺たちが直接敵と戦えば、予期せぬ犠牲が出ます。なので、戦い慣れてる人の邪魔をしないためにも、俺たちは一般人の誘導に専念した方が懸命です」
今までよりもデリケートになっている彼女に肯定した。ほっと安心した彼女だが、また暗い顔をする。
彼女は心配症なのだろう。しかし、それ故に優しい人だ。
班長は丁寧な瞬きを1つすると、俺を視界に捉えた。
「確かに優貴くんの言うことは一理ある。だけど、恵子さんが言ったように敵の数が多かったら、危険を冒してまで戦うことになるだろう。……ごめん」
最後に付け加えられた謝罪には、形容できない重さがあった。心臓が下に引かれるような錯覚が起きるほど。
場を切り替えようとしたのか、班長が恵子さんにこう言った。
「ここには、新人が来たのですか? あなたの口ぶりだと、まるで来たかのようだったので……」
「あっ、ええ。2日前くらいに。ほら、あそこに座っている露草色の髪の……」
彼女が指さした方向には、20歳ほどの男性がいた。少し伸びた前髪と縁の薄いメガネ、そして気の弱そうな顔……。見覚えがあった。
「ま、雅人先輩……!?」
彼は驚いたのか、クラッカーに反応したウサギのように辺りをキョロキョロと見た。そして何故か俺のことを見つけずに、気のせいか、と作業に戻った。
班長は顔を少し寄せて聞く。
「優貴くん、知ってるの?」
「はい。彼は孤児院の先輩でした」
彼は『楠木雅人』先輩。交流は(和也ほどでは無いが)あった。よくゲームの操作などを教えてくれたが、俺が16歳のときに外に出た。そんな彼が何故ここに?
「雅人くん、東京にある国立の孤児院出身でね。違法な実験をされて無理やり罪人にさせられたそうよ」
それって……。
俺と班長は目を合わせた。考えは同じ、プロノービスのことだろう。
聖華さん曰く、実験は成功確率が低いらしいが……先輩は奇跡的に成功したのだろう。
「すみません、少し席を外します」
俺はそう言って立ち上がると、彼の元へ向かった。
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「ゆ、優、貴くん? えっ、優貴くんだよね!?」
「はい。2年ぶりですね、先輩」
彼は少し泣きそうになっていた。俺のことを見て、懐かしく思ったのだろう。
俺も目がうっすらと熱くなっている。もらい泣き……未遂、といったところだ。
*
恵子さん、雅人先輩と別れて東京に戻ることになった。彼との連絡先を交換して、いつでもやりとりできるようにした。
少し歩いた所で俺の携帯が鳴った。……まさか、雅人先輩から? と携帯を見たら、菫さんからだった。
「はい、優貴です」
「優貴くん!? ちょ、ちょっと、お兄ちゃん居る!? 居たら変わって!」
「い、居ますよ。変わりますね……」
何だ? この焦りよう。不気味な気配を頭によぎらせながら、隣にいた班長に変わる。
「もしもし、菫? ごめん、電源切ってて…………え? ごめん、もう1度言って?」
班長の表情が、時間経過で強ばっていく。携帯を持っている右手が微かに震え、疲れてもいないのに口で呼吸している。
「わか、った」
それを最後に、彼は耳元から携帯を離す。右腕は力なく、下へと垂れる。
「班長……? どうしたんですか?」
「急いでもいいかい……? 聖華さんと凛さんが誘拐されたらしい……!」
「なっ!?」
俺たちは問答する暇もなく、行きよりも急いで東京に戻った。
その間、心配……それ以上に焦りの感情が班長から伝達していた。
*
「優貴くん。ここからは歩いて帰ってくれ。菫によると、犯人からの手紙では俺のみで来るように、と書いてあったらしい」
「しかし、班長……」
1人で行くのは危険です、と話すことはできなかった。彼の底なしの目は、早く行かせてくれ、と訴えていたからだ。
「……ご武運を」
俺はそれだけを伝える。彼は何も言わずタクシーに乗ると、どこかへ向かって見えなくなってしまった。
* * * *
何故こうなった!? また、プロノービスの仕業なのか?
自己解決なんてできなかった。犯人の目的も分からないからだ。ただ1つ、言えることができる。
犯人は……『聖華さんと凛さんよりも強い』と。
ふと気がつけば、昨日作った『束』を握りしめていた。
*
不吉な冷や汗が止まらない中、菫の言っていた所についた。
そこは最近になって使われなくなった大きな倉庫だ。……いや、ここまでくればもう工場だ。
入口付近にはパトカーが1台停まっていた。2人が乗ってきたものだろう。俺はゆっくりと慎重に中へと入った。
*
中を少し歩く度に、異様な肌寒さを再確認する。監視カメラはあるが、恐らく誰も見ていないだろう。……見られていても構わないが。
「こんばんわー! もしかして、君が班長の叢雲椿さん?」
突然、背後から幼い女性の声が聞こえた。俺は反射的に姿勢を翻した。
気配も何も無く登場したのは、黒いシャツにジーンズの少女だった。そんな彼女は不気味な雰囲気をまとってこう言った。
「班長さん。僕とお話……しよ♪」
次回は班長と少女との戦闘(?)になります! 予定では、『いきなり班長目線から』スタートさせます!
今回も見づらいものとなり、申し訳ございません。日々試行錯誤中なので、モチベーション向上のためにも、ご助言やご感想等宜しくお願いします……!