3話 猟奇的な思考と黒い車
優貴が複数の死体を見たところから始まります!
目の前の肉塊は全て、先程まで人であったものだった。今は目に意志が籠ってない人形たちみたいだ。
そのときの俺の恐怖心を例えるならば、朝起きたら目の前に血まみれの首吊り死体があるようなものだ。
首が折れたということは血管が顕となり、まさに肉も裂け、骨を絶つ寸前の状態だ。
頭部が潰れたということは頭部に歪な空間が現れ、まるで割れたピンポン玉のようになっている。
さらに和也を抱える自らの手は赤黒に染まっている。それこそが、俺が彼らを殺したという裏付けになってしまった。
俺は混乱し、悲鳴を上げようと大きく息を吸う。しかし、それは音にはならずに空気として吐き出された。そのときの俺は声を上げる元気も無い、と客観的に判断できた。
さっきのような催眠状態になるのには、全くもって時間がかからなかった。また目的のために動くモノになってしまうことに恐怖した。しかし、俺はそれに抗うことも叶わなかった。
*
孤児院に帰ってもずっと催眠状態だったようだ。その催眠は時間が経つにつれ、うっすらと晴れていった。それでも完全に晴れたのは相当な時間を要した。
ただ、晴れたからといってあの出来事を忘れることとは無関係だ。当時の光景や状況は、あたかも脳に刻印されたかのように離れることは無かった。
和也の、体の各所から湧き出る血しぶき、そして4人組の男性たちの変死体。それは誰が何と言おうと全て自分のせいだ。俺は、善人悪人関係なく5人の命を死へと導いた。許されなどしない大罪を犯したのだ。
後に聞いた話だが、先生たちは他の子に、和也は木から落ちて怪我をした、と説明していたらしい。そして肝心の和也は、孤児院から出てどこかへ行ったとのことだ。恐らく病院に緊急搬送されたのだろう。
そんな俺は、和也を殺したという罪の意識から、自ら命を絶とうと薄々思い付いてまでいた。
* * * *
上浦優貴が重症の来藤和也を連れて帰ってきておよそ1日経つ。そろそろ判断してほしいところだが……。
私が増田亜喜として勤めてきた中で、こんなことは異例の事態だ。私は確認のため『組織』の伝達係に連絡することにした。
「……上浦優貴の処分についてだが」
私は子供に対して一生向けることの無いような、低く沈んだ声で聞く。伝達係の彼には、それに1つも臆する様子など無い。
「何もするな、ただそれだけだよ」
彼は淡々とそう告げた。彼の声は、あどけないと言えばそうなのだが、冷淡ともとれる不思議なものだった。
しかしその声よりも、私は彼の言うことに目を大きく見開く。不意に腹立たしいと訴える感情が頭へと流れる。
「何? いいか、アイツは……! アイツは私達の部下4人を殺したんだぞ!? そのままにしておくのはリスクがある! なおかつアイツは『罪人』だ!」
私はここが孤児院だということも忘れて声を張り上げる。怒りややるせなさが、心でぐちゃぐちゃに渦巻く。彼は、そんな私に対しても驚くことなく、
「『ボス』がそう言っていたんだ」
人工物のような抑揚のない声でそう言った。
ボスが上浦優貴を放置しろ、と? あの人の考えていることが全くもって分からない。
「それの理由は3日後に分かるらしいよ」
彼は私の心を読み解いたのか、ボスの行動に何かしらの意味があるということを話した。私は意外な彼の言動に驚いて、思わず
「3日後だと?」
と聞き返した。
ボスは決して無意味なことはしない。しかしその行動1つ1つが私に分かるか、と聞かれれば否と答えるだろう。今回もまた、その例外などではない。
「報告は以上。無理はしないで」
彼が気味の悪い心配をかけた直後、通話は一方的に切られた。
「……心配される筋合いなどない」
私は、ツーツーという音が流れる電話にひねくれて話す。飽きれとも焦りとも言える感情を抱きながら。
*
そして、彼の予言した3日後、組織から上浦優貴の資料が送られてきた。それは上浦優貴の『今後』が明確に記載されている。それを見て、私は嫌でも察することとなった。
「……ふっ、なるほど。ほっとけってこういうことか」
どうやら、あの『罪人取締班』が動いたのだ。ボスも避けて当然だろう。
彼との通話よりも強い腹立たしさを、ただ堪えるように歯を食いしばる。そして無意識的に資料をグシャグシャに握りつぶしていた。
* * * *
俺は孤児院の中でずっと放心状態だった。もちろん、あの出来事が原因だ。ただ1つだけ案じることができていた。それは和也の安否だ。
死んだことがまだ完全に分かっていないが、恐らくは……いや、それ以上は口が裂けても言わないでおく。自覚しないでおく。
もし知ってしまったら、その瞬間で俺の精神は確実に崩れる自信があった。だから、俺はあてのない希望に縋って祈っていることしかできなかった。
*
そんな俺が孤児院に帰ってから4日後のことだ。
「優貴くん、大事な話があるの」
そう言って亜喜先生は俺を手招きする。その表情はいつものように柔らかくて、今の自分じゃなかったら微笑み返していただろう。
「分かりました」
俺はその大事な話というのを聞くために、彼女のもとへ向かう。
こんな優しい彼女だが、危険な組織と繋がっている可能性は否定できない。俺は警戒して行くことにした。
*
俺と亜喜先生はテーブル越しで対面する。時計の音と向こうで騒ぐ子供の声だけがこの空間に響く。
そんな虚しい時間のなか、先に話を切り出したのは彼女のほうからだ。
「優貴くん……おめでとう!」
「え?」
「なんと、優貴くんに引き取り手が見つかりました!」
驚いて当然だ。俺はてっきりあの殺人のことを聞かれると思っていたから。しかし引き取り手の話と分かった途端、俺は心の中で僅かに胸を撫で下ろす。
彼女は俺の気持ちに気づく素振りを見せずに続ける。
「って言っても、一般的な家族じゃないんだけどね……」
その安堵は止め結びの如く、すぐに解かれる。
一般的な家族でないとは……?
「それは……どういうことですか?」
俺は心の内の疑問を、そのまま彼女へと聞く。彼女は、
「君の引き取り手は、『警察のある組織』なの。でも決して、悪い所じゃないから安心してね」
といつも通りの明るい笑顔で答えた。
しかし懸念が無くなった訳ではない。なぜなら、この孤児院は国が運営している。
ということは国の組織である警察と、この孤児院は繋がっている。つまり安心することはできないのだ。
俺は内ではそう考察したが、
「安心しました。ありがとうございます」
建前でそう答えておいた。そのときの俺の顔は、まるでパーツを付けただけの仮面の笑顔だっただろう。
*
その話を聞いて少しの時間が経過した。それぞれ異なる色のスーツを着た男性2名が俺を黒い車に乗せる。それは決して無理矢理で乱暴なんかではなかった。
男性の内、1人はとてもがたいがよく、茶色のスーツを。もう1人はスリムでモデルのような体型で黒いスーツを着ていた。
俺は抜け出そうかと思ったが、この2人の素性を知ってからでも遅くないと踏んで、今は大人しくしていることにした。
俺は車の後部座席から孤児院を眺める。そこにはまだ義務教育を受けてない子供や、俊泰先生、そして亜喜先生が居た。そんな人達が俺を見送るなか車は林の外へと出発した。
住んでいた孤児院が徐々に離れていく。不思議と哀愁はちっとも感じなかった。ただ一番印象的だったのは、あの亜喜先生が氷柱のような冷たく刺すような視線で、俺を見送っていたことだ。
*
孤児院が、まるで水が染みこんだ絵画のようにうっすらとなり、そして見えなくなった。
これを機に、俺はスーツの男性2人に尋ねることにした。
「俺はどこに連れていかれるんですか?」
「『罪人取締班』というところだ。そこには一応寮があるから、衣食住は確保されるぞ」
意外にも素直に答えてくれたのは、運転していない方の、がたいのよい男性だ。
しかし、それが真実だとは限らない。この人たちの素性を知るため、さらに掘り下げて俺は質問する。
「その、罪人取締班というのは?」
「まず君は、罪人というのをご存じか?」
彼は振り返って俺のほうを見る。その男性の輪郭は太く、無駄な肉が無いように見える。髪は濃い赤でセンター分けのような髪型だ。
俺はそんな彼に、質問を質問で返されて少し機嫌を損ねながらも一応答える。
「知ってます。そのままの意味で、罪を犯した者のことです」
まるで俺のような、と言いかけた口を噤む。
そんな俺を見て、彼は顎にがっしりとした手をあてる。
「まあ、そちらの意味でも使われるな。だが、俺の言う罪人は違う。君の記憶の中で手紙のようなものはあるか?」
いつの間にか話の主導権が男性に渡り、それに従うように俺は少し記憶を巡らせて見つける。これは確か……俺が自我を失う寸前の時の……。
┏ ┓
上浦 優貴 様
貴方は罪人となりました。
これは貴方の能力、『暴行罪』の使用許可
証です。
・
・
・
┗ ┛
「これか……?」
俺は自分に聞かせるように呟く。そのときの、俺の怪訝そうな表情がバックミラーに映った。
「一番最初の文に、貴方は罪人となりましたってないか?」
彼の問いに、俺は表情を変えずにコクンと頷いた。彼は人差し指を立てて続ける。
「あるだろ? つまり君はもう罪人なんだ。罪人のもう1つの意味は、『特異的な能力を保持している者』ってことだ。君なら分かるんじゃないのか? 君自身に特殊能力があるって」
「……俺の能力」
忘れもしない。いやできない。約1週間前、あの建物の近くで起こった最悪の出来事を。思い出してはいけないことを。俺が無意識下で暴走したことを。
*
俺は……和也を殺して。俺は……あの4人を殺して。俺は……。
今でも鮮明にあのときが蘇る。
和也の苦悶の声。
舞い上がる暗赤色の血。
パッと目が醒めると、化け物に殺されたかのような変死体。
呼吸が乱れているのを自覚した。しかし全く整えられない。過去を抑えようと、過去に蓋をしようと必死だったからだ。
そうだ。俺の過去は、まるでパンドラの箱のようだ。開けたら終わり。開けたら自分が大きく崩れる錯覚に陥る。自分が自分の過去に呑まれて帰れなくなる感覚になる……と。
*
彼は落ち着きを失った俺に、固い表情で確認する。
「思い当たる節があるようだな」
俺は答えなかった。いや、答えられなかった、と言ったほうが適切だろうか。
彼は俺の心を察したのか、何だかばつが悪そうだ。その証拠に頭をかいて話を続けている。
「まあ、そこを言及するつもりはないさ。……聞き流してもいいが話を戻すぞ。この世界では能力を使って悪さする罪人がいるんだ。だからそれを対処する組織、それが……」
「罪人取締班」
俺は彼の声を聞いたからだろうか、少し落ち着きを取り戻す。しかし全く余裕はないため、彼の言葉を遮るような形で答える。
「おお、その通りだ」
俺の回答に、彼はまるでやんちゃな父親のような堂々とした笑みを浮かべて肯定する。少し元気になったのが嬉しいのか否か。
……余談だが、俺は父親を見たことがない。ただ、勉強や小説などを見ていくうちに理解していっただけだ。
「……なぜ俺を、引き取るんですか? 俺は……何を?」
「さあな。そこの班長にでも聞いてくれ」
彼は首を傾げて答える。とぼけているのか、それとも本当に知らないのか。
俺の暗い態度を見て、何か思ったのだろうか。彼の口調は少し明るめになって話を続ける。
「ああ、ちなみに俺は山寺京之助だ。そっちの無口なのが鈴木和葉だ。男なのに女みたいな名前だよな。だっせ」
がたいのよい男性……もとい、京之介さんはそう自己紹介した。そして小バカにしたように笑って、ついでと言わんばかりに、運転しているもう1人の男性を紹介する。
「俺は無口ではない、運転に集中しているだけだ、そして俺の名前を侮辱することは俺の両親もバカにしていることになる、それを自覚している発言なら今すぐこの車から出ろ」
モデルのような男性……もとい、和葉さんは表情を変えず、間髪いれずに返す。中々滑舌が良い気がする。無口というのは京之介さんの嘘のようだ。
「はあ……。お前もっと楽しくいこうぜ。新人が目の前にいるんだし」
「……新人?」
京之介さんの言うことに、俺は違和感を覚える。新人ということはつまり……
「あっ、言ってなかったな。お前は保護っていうよりは、罪人取締班の一員として活動することになっている」
「……え」
想像もしなかった展開に、俺は思わず声を短く吐き出した。
もし宜しければ、次回もよろしくお願いします!