25話 病院が満たすのは、安心か不安か 後編
30話も是非お楽しみください!
美羽の病室に向かうところからスタートです。
人の気配はあるが、会話をする音が感じられない廊下。これが病院なのか、と実感する。
これは余計だが、孤児院の外では目新しいものが多かった。人を殺して、初めて分かることは多いようだ。
3人は無言だった。決して、気分や機嫌が悪いわけでもない。この施設の雰囲気がそうさせているのだ。
その沈黙は、美羽の病室の前だとしても、変わりなかった。前にいた頼渡さんは扉をスライドさせる。
彼女の病室は、凛さんのよりも一回り広かった。ベットには桃色のウェーブヘアの人が、ベッドの上半身を傾けて本を読んでいた。言わずもがな美羽だ。
「えっ……だっ、誰ですか!?」
彼女の言葉を聞いて、心臓が飛び出る心地がした。いや、寒気だろうか? とにかく、悲しい気持ちになったのは確かだ。
しばし、音の無い状態が続く。俺と菫さんは、あまりのことに病室に踏み出せないでいた。
ま、まさか、彼女の記憶は……、と思った矢先、美羽は病室の入口をひょいと覗き込む。
「あれ? 優貴くんと菫ちゃん? ……この人は?」
どうやら、物語でよくある、記憶喪失ではなかったみたいだ。いきなり、面識のない頼渡さんを見た発言だったのだろう。
恥ずかしいことに、俺の考えは多少早とちりだった。
菫さんも同じ気持ちだったのか、意味を理解した途端、安堵の表情で、
「もっ……もうっ! 驚かせないでよぉ!」
と震えた声で怒鳴る。そんな彼女の青い目はキラキラ、と潤っていた。もし自分を忘れてしまったら、と思ったのかもしれない。
美羽はさらに混乱した、と言わんばかりに首を傾げる。また、菫さんの声が響いた廊下から、ナースがこちらへ来るのは必然のことだった。
菫さんは美羽に、頼渡さんのことを、俺はナースに異常無いことをそれぞれ説明した。その後になって、ようやくここは4人だけの空間となった。
「あっ、菫ちゃんが怒ったのってそういうことだったんだ! ふふっ」
「笑い事じゃない! 美羽が、私のことを忘れちゃったかと思ったんだから……」
その後も、2人の会話に花が咲く。それを見ていた頼渡さんは俺にこう耳打ちした。
「ねっ? 菫ちゃんもまだまだ可愛い子供でしょ?」
菫さんは本当に、楽しそうに話している。それを見ると、彼の言葉は妙に納得できた。
「聞こえてるわよ!」
そんな彼女はこちらをキッ、と睨む。次には、隣にいた頼渡さんの腕をつねった。
「あいててて!」
俺と美羽の顔には、思わず笑みが零れた。賑やかで、静かな笑い声がこの部屋を満たす。
声が過ぎ去った後、菫さんが話を切り出した。
「そういえば、怪我の具合は? 見た感じ元気そうだけど……」
「うん、奇跡的に軽傷だって。これに懲りて、これからは失敗しないように気をつけようと思う!」
美羽は自分のせいで怪我をした、と思っているらしい。実際のところ、どうなのかは誰にも判断できないが……。
「……本当に?」
「ふぇっ……!?」
突然菫さんはずいっ、と顔を美羽へ近づける。物理的な距離が接近したことで、美羽は少し顔をひきつった。そんな彼女に、菫さんは畳み掛けるように話す。
「美羽、いっつも都合の悪いことは言わないから。本当に軽傷なの?」
「……うん」
「じゃあ、なんで目を逸らすの? ……分かった、体見せて。」
「え」
「美羽に聞くより見た方が早いわ。だから、見せて」
「いやいや! それは……なんというか、その……」
美羽の逸らした目は、何故か俺の方を向く。オドオドしている彼女の赤面が目に映る。
つられて菫さんも俺を見た。……どういう訳か俺を睨む。
「大丈夫。この2人は外に行かせるから」
そう言うと、菫さんは俺と頼渡さんを外まで押しやった。俺たちはなすがまま、と抵抗せずに出口へと足を向かわせた。
追い出された2人は、扉の前で、あたかも門番のように佇む。
「あははー……。追い出されちゃったねぇ、ボクたち」
「……みたい、ですね」
苦笑という顔をして言葉を交わした。追い出されるのは当たり前か、という思いも、その表情に込められている。
「うっわ……。よくこれを『軽傷』って言ったものね。普通にするのも辛いでしょ」
病室から菫さんの声が漏れる。ここの病院の防音性は高くないようだ。
頼渡さんは、俺に手でジェスチャーする。耳を当てて会話を盗み聞きする、ということだろうか? ……その笑顔、悪人がする顔だろ、と思うほどに、彼の笑顔は酷いものだった。
……やましい気持ちなどないが、俺も美羽の状態が気になるため、渋々頷いた。
扉に耳を近づけると、布が何かに擦れるような、こと細やかな音まで聞こえてきた。会話など、より鮮明に聞くことができた。
「まあ、見た目は少し酷いけど、完全回復は近いって言ってたし……」
「まあ、これの治りは早いだろうけど……軽傷よりかは酷いわよ」
「あはは……あ、でも頑張って、プロノービスが来るまでには治すから!」
「この怪我は頑張って治るものじゃないわ」
パチン、と1つ音がした。恐らくデコピンだろう。
「痛っ! 怪我人にはもっと優しく!」
「とりあえず服着て。……どうせ、あの2人は耳すましてるんだから」
慌てて耳を離す。もちろん、図星だからだ。頼渡さんもほぼ同時に元の姿勢となった。
俺には、こういう日常が愛おしくてたまらなかった。この時だけ、自分の罪を忘れることができるから。
俺と頼渡さんはようやく病室へ入ることができた。美羽はこう伝える。
「……ま、まあいづれにしても、早く退院できるので気になさらず!」
3人は病室から出ると、駐車場まで足を運ぶ。道中、頼渡さんがこんなことを言っていた。
「いやぁー、ユニークな子だったねぇ。罪人取締班に、第2のムードメーカーが来てくれて良かったぁ」
和やかな笑顔の彼に、俺は聞く。
「第2? 第1は?」
「ん? ボクじゃないの?」
その言葉は聞き捨てならない、と言わんばかりに、菫さんが口を挟む。
「そんな訳ないでしょ。トラブルメーカーの間違いじゃないの?」
「酷いなぁ! 問題なんて1つも起こしてないよぉ!」
「嘘ばっかり!」
2人の押し問答は留まることを知らない。俺はそんな2人のやり取りを、後ろから微笑ましく眺めていた。
車を発車して、来た道をなぞるように進んでいく。助手席にいた菫さんは、
「凛さんも美羽も大事じゃなくて良かったわ。……仲間が傷つくのはやっぱり嫌だけどね」
と話す。頼渡さんは茶化すような台詞を放つ。
「その仲間にはボクは入ってるのかなぁ? 入ってなかったら悲しいなぁ」
「……まあ、入ってるんじゃない?」
「どうしたの?」
彼は、菫さんの素っ気ない態度に疑問を感じたのだろう。いつもの掴みどころのない態度が感じられない口調でそう聞いた。
「いや、これからもっと傷つく人が増えるから……不安で」
「大丈夫。そのためにボクが帰って来たんだ。ボクの前で、2度と仲間を死なせない。……絶対に」
頼渡さんの声ではないように思えたその声色は、時計の針をじっと眺めるように寂しかった。俺は、まだ決意を顕にできなくて口を一文字に結んでいた。
次回も宜しくお願いします!
次は3人が罪人取締所についてからのスタートにする予定です。