169話 落下と幻と
そんなの──設定してない……
「ええ、あなたは設定していません。私が設定しましたので。あなたに勝つ方法は──設定外の情報だと気がついたが故の作戦です!」
眼音は強く言う。
次の瞬間、風は吹き飛んだ。軌道上にあった岩を何枚か貫通させながら。
なに、が…………
「すげーな、これ。俺じゃねぇみたいだ」
和也が吹き飛ばしたようだ。
誰も目に追えぬ動き、もはやそれは、風の身体強化15倍という域を逸脱していた。
「私は今の遺伝子強化で、もうそこまで能力を使えません。後はお願いします──優貴、そして和也」
……ありえない。どこかに不具合が? それともこの小説そのものが不完全な物……?
「ああ、不完全だろうな。こんなひとりよがりの小説、誰も読みたがらねえよ!」
優貴はそう言って、風に追撃する。風の腹へ、確かな打撃が加わる。
がはっ!
「俺たちは生きている。みんなだ、みんなが意志を持って生きてるんだ! ねじ曲げていいもんじゃねえんだ!」
今までの不満を、怒りをぶつけるように、優貴は語気をより強める。
やめろ、やめなさいっ! 頼むから──黙って私に殺されてくださいよ! あなたたちは生きられない、もう存在できないから!
「っ!?」
風は全ての能力を解放した。地面はせり上がり、彼は雲ほどの高さまで浮かび上がり、分身し障壁を貼り──。
と、その瞬間──希は優貴と和也に耳打ちをした。
二人は彼女の話を聞いた瞬間、目を合わせて頷いた。
あなたたちは、誰かに見られることでしか存在できないんだ! この小説はいつか、誰も見なくなる! その瞬間にあなたたちは『死んでしまう』んだ! だからその前に私が──
「お門違いも甚だしい! ──みんな、援護してくれ!」
優貴の言葉に、その場の全員が頷いた。
「死んだら承知しないから! 《発動》!」
菫の言葉と共に、地面が一直線に伸びる。彼女がノアの『外患罪』を使ったのだ。
その地面は、風へ届く活路だ。
っ! こんなもの──何?
「……ありがとう、菫さん。二人がかりなら、奴の『外患罪』を止められる!」
「二人同時の『外患罪』にはさすがに勝てないのね!」
ノアは立ち上がり、菫と共に道の保護に徹底した。
風は舌打ちをする。
何故ノアが起き上がっている……!
「私が治しました! 皆さんお願い、頑張ってっ!」
ノアの隣にはアリスが居た。アリスの『内乱罪』でノアを修復したのだ。
優貴と和也はその道に乗り、とてつもない速さで駆け上がる。
「もう思い通りにはいかないぞ! 名も無き風!」
っ……やれ! 分身たちよ!
『凶器準備集合罪』で増やした分身が優貴と和也の方を向く。
地上、そして瓦礫上から一斉に射撃する作戦だろう。
地上で銃を構えた分身は、優貴と和也に向けて射撃しようとした──しかし、それが届くことはない。
「わっ、いたっ! ──こ、この程度ならお任せを!」
「はっ、起き上がってみれば面白ぇ展開になってんじゃねえか!」
しかし、地上にはフローリー、そして起き上がった白虎が分身を制圧していた。
フローリーはひび割れた地面に足を取られ、その度に転んでいるが、むしろそれが『過失傷害罪』のトリガーとなった。
白虎はあちこちの傷口から血が流れているが、それをものともしない暴れぶりを見せている。
「っ、ダメです!」
「時間が足りねぇ」
それでも地上の分身を、一瞬で全て制圧できるわけではない。実際、数名の分身の発砲があった。
銃弾は、届くことは無かった。
「……即興のプログラムだ。穴はあるが、カバーしてくれて助かった、聖華」
「そっちこそ、完璧な防御で助かってるよ。おかげで足場が安定したからねえ! やりな、彩!」
「ああ──総員、一斉射撃!」
まるで屋根のように、地上との間に防壁と障壁が貼られた。それぞれ、届称と聖華の壁だ。
その壁の上に、彩の分身が乗っている。銃声と共に、瓦礫上の風の分身を一掃した。
「行きな! 優貴、和也! 一撃で沈めてくるんだよ!」
「──っ!? まずい!」
彩は焦りをみせる。なぜなら、瓦礫の道の下──彩の分身の射線が通らないところに、風の分身が、優貴と和也を狙っていたからだ。
「『その分身は銃を打てない』」
声が聞こえる。
次の瞬間、その分身は撃ち抜かれた。
──死にかけの、他の風の分身が放った弾が、偶然その分身に当たったのだ。
「やっと、能力を使うタイミングができたね」
サーシャはドヤ顔でそう言った。
これで、一応は分身の脅威から逃れた。
和也は笑みをこぼす。
「みんなありがとう!」
ならこれはどうだっ!
風は次に、『墳墓発掘罪』で罪人の死者を再出現させる。
それらは、瓦礫の上で戦闘態勢をとっている。
優貴と和也なら、二人でも制圧できるが──あまりにも数が多いため、かなりの時間がかかることが予想された。
「っ……すまない! 私のプログラムのせいで地上から手出しできない!」
「私の分身でも処理は厳しいぞ……!」
次の瞬間、タンと軽い地面の音が聞こえたかと思うと、ある男が円を描くように、刀で障壁と防壁の一部を切り裂いた。
その男、広は空中で眼鏡をかけ直し、冷静に言う。
「やれ」
「オッケーっ! 【☆可憐賽──積☆】! 『2』と『5』──いくよっ、優貴、和也っ!!」
『5』の効果である機関銃で、その一部の隙間から光線を放つ。
優貴と和也は跳んで回避し、瓦礫の分身はほとんど消滅した。
一方、『2』の効果は──ワイヤーガンだ。
それを手にしたのは、芽衣とバードルード、そして二人に抱きかかえられている天舞音だった。
天舞音は、多くの衝撃音で目を覚ました。意識は朦朧としているが、それでも行く覚悟はできていた。
「しっかり捕まっててください!」
「失敗すんなよぉ?」
「……っ!」
死者の一人にワイヤーを引っ掛け、一気に瓦礫の道の上へと飛び上がる。
それとは対照的に、広は落下して着地する。──上手く着地できなかったのは、片足が使い物にならなかったからだ。
それでも来たのは、この瞬間を好機と見たからだろう。
「殺して来い──元凶を!」
彼はそう声を上げた。
道では、バードルードが先導する。
彼は、自分の手の親指と人差し指の間を噛み切り、血を振りまく。
「壊れろ! 何もかも全部!」
これにより、ほとんどの死者の体が崩壊する。ただ──まだ意識がある者が大半だ。
なお、道も破壊されたが、ノアと菫の働きによりすぐさま修復された。
倒れた死者は、最後の力を振り絞って能力を発動しようとする。
しかしその前に、菫が彼らに触れた。
手を伸ばせない天舞音の代わりに、彼女が触れることで──
「お願いします、天舞音さん! 私と感覚を共有する者全ての能力を!」
「……任せてっ! ……《発動》!」
天舞音は菫の背中で深呼吸して、『窃盗罪』を発動する。
これにより、能力を発動できなくなった死者は、完全に無力化された。
「ごめんなさい! 無理させて──」
「お礼は、戦争が終わったらたっぷり貰うよ?」
天舞音は、芽衣の背中の上でニヤっと笑った。
優貴は振り向かずとも、最大限の感謝の気持ちを言葉で伝える。
「助かった!」
風はすぐ目の前だ。
っ! やれ、『殺人罪』!
「無駄っスよ。予め、優貴さん達に付けといて良かったっス」
ルドラの声がする。その直後、優貴と和也の服から触手が活性化する。
それらは的確に『殺人罪』の毒針を防ぐように動いた。
「そんな毒針、気にせず殴るっスよ!」
優貴と和也は道の切れ端まで到達し、風に向かって拳と脚を振りかぶる。
「終わりだっ!」
そして、思い切り地面に叩きつける。
これで終わり──かと思いきや。
はぁっ──甘いですよ? 地面に分身を残すなんて。移動できちゃったじゃないですか
直前に地上の分身と位置を入れ替えたようだ。
つまり、今優貴と和也が殴ったのはただの分身だったようだ。
しかも、この時のためにまだ死者の罪人は残しておいたのです!
地上にいたのは、死者のアダムだった。
『犯人隠匿罪』によって隠されていた、多量の死者が一気に姿を見せた。
油断大敵ですよ! これで私は──
「わざと分身を残したに決まっておるじゃろ?」
和傘を差す音と共に、風は希の『誘拐罪』の空間に取り込まれた。
希は、わざと分身の一人を生かすように、地上の罪人らに言っていたのだ。
つまり、ここまでの全て彼女の計画通りだ。
次に、優貴たちは希に耳打ちされたことを実行する。
──『わっちが名も無き風の位置を調整するから、空中から何も考えずに、最大限の攻撃をするんじゃ』
故に、優貴と和也は落下攻撃を始めた。
つまり後は、この死者を全て無力化するだけだ。
「《発動》! 全員、能力を発動するな!」
翔は声を大きくして言う。
瞬間、死者らは能力を発動できない木偶の坊に成り下がった。
しかも優貴と和也のいるところはまだ、地上からかなり距離がある。
つまり翔の声も聞こえないため、依然として能力は発動できる。
──しかし。
「っ! しまった!」
どうやら全ての死者を封じた訳ではなく、命令が聞こえなかった死者もいたようだ。
その死者は──よりにもよって、狩魔だった。
「っ、今『遺棄罪』を発動されたらまずい! 落下攻撃ができなくなる!」
翔の言う通り──狩魔は彼らの方を見て物を落とそうとした。
「《発動》っ!!」
懐かしい声が聞こえる。そう、この声は──
「美羽! ……その脚──」
「脚なんてどうでもいい! もううんざりだよっ! ……だから、全部壊して! 和也くん──優貴くんっ!」
狩魔が移動した先には、サミュエルが居た。どうやら彼こそが、脚の使えない美羽をここまで連れてきたようだ。
彼と翔の位置はかなり離れている。故に命令が聞こえずに、美羽は能力が発動できたのだ。
サミュエルは、彼女が能力を発動する前に『自殺幇助罪』の空間に連れ込んだ。
これで──全ての準備は整った……。
*
くっ……希、ここから出してください!
一方ここは意識空間。
荒れ狂う風を前に、希は落ち着きをみせる。
「どうしてそんなに出して欲しいんじゃ?」
っ……全てあなたの計画なのでしょう!? 私を地上に移動させたのも、あなたの能力範囲内に収めるため! やられましたよ……!
「だからここから出て、少しでも移動したいのか? まるで人間のような反応じゃのう」
風はあらゆる能力で、意識空間の破壊を試みる。
しかし彼女はものともせず、風に告げた。
「良いか、名も無き風──いや、作者よ。これが、小説の総意じゃ」
希はそう言って、外界との音声を接続する。使うことがないと思っていた機能の実践だ。
『──誰にも見られない!? ああ、上等だ! それでも登場人物は存在し続けてやる!』
『作者がなんだろうと知らねぇよ! 作者なんかが登場人物の生きる権利を奪うな!』
『『作者の都合で、勝手に登場人物を終わらせるな!!』』
彼らの声だ。
*
────不思議だ、目の前に彼らの幻が見える。優貴と、和也が。
優貴が問う。
「……もう一度教えてくれ。なんでこんなことをした?」
…………私は、この小説を終わらせたかった
…………それに、この小説は実は、そこまでの意味を持っていません──ただの、自己満足なんです
和也が問う。
「じゃあ、俺たちのことはどうでも良かったのかよ?」
そんなことはありません……と言っても、もう信じて貰えないでしょうね
────ただ、いくら自己満足でも……登場人物たちを産み出した。その責任をとりたかったのです。…………あなたたち一人ひとりを、大事に産み出した責任を。
ただ、私はこう思ってしまった。この小説が人気にならなければ、あなたたちの産まれた意味が無くなってしまうと
…………人気に、してあげたかったなぁ
分かっている。これは意識空間だからこその幻だ。そんな幻に言ってもしょうがない。
だけど、今この気持ちを吐露しなければいけない気がした。
これを読んでくれている読者も、きっといつか登場人物たちを忘れてしまう。それが怖かった
だから、その前にあなたたちを排除しようとしました。それを小説の最後にすれば、『BADEND』を創ったという形で、ここまで生きる意味ができると思ったのです。
ただ、大事だと思ったことも嘘ではありません。実際、手加減することで、あなたたちに少しでも希望を見出そうとしてたでしょう?
…………でも、あなたたちは──私が作らなくとも、既に生きる『動機』ができていたのですね
幻の優貴と和也の顔は、一切変わらなかった。
ただ冷徹で、鋭い怒りだけが伝わってきた。
…………ああ、本当は──きみたちに、そんな顔をさせるために、この小説を作ったわけじゃないのになぁ────
*
気がつくと幻は消えていた。
……もしかしたら、風がただ見たいがために、わざわざ作り出しただけかもしれない。
そんな様子に気づく様子もなく、希は冷たく告げる。
「……そろそろじゃな。せいぜい償え、罪人よ」
──そっか、こんなに恨まれていたんですね。作者は……
*
風が突如として現れる。その位置はちょうど──彼らの終着点だ。
「【断罪の拳──】」
「【真蕾──】」
…………当然、か
「【──消風雷】!!」
「【──凪祓】!!」
────地面が、空間が、全て捻り飛ぶような衝撃。
それと同時に、風は止んだ。
…………さようなら。