17話 白く黒き華
聖華さんが過去を話すところから始まります。
五人がただ聖華さんを見つめる中、彼女は独白する。
「プロノービスについて話す前に、あたしの昔話でも聞いておくれよ」
明るい口調とは異なり、その顔には何かおぞましい物を見たかのような恐怖が出ていた。
* * * *
あたしは元々孤児だった。気が狂った父は家を出て、愛の冷めた母は他の男とどこかへ旅立った。
家族を恨んでいない、と言えば嘘になる。何せ、物心つきたての子供を放って行ったのだから。
あたしはどこへ行こうか、何をしようかも分からなかった。当然だ、幼い子供は無知に等しい。
ただ何の偶然か、孤児院が近くにあった。外には遊ぶ子供、そして見上げるほどの大きな施設。幼いあたしが行かない道理はなかった。
そこが『プロ・ノービスの孤児院』とは知らずに。
*
そこはまあ優しい世界だったよ。座ってたとしても、誰にも怒られないし蹴られない。
幼いあたしには、そここそが天国に見えた。
もちろん食事制限もされないから、あたしはすくすくと育っていった。その時やっと食べ物の好き嫌いが分かったくらいだしね。
そんな、あたしが小学五年生になったあたりの、初夏の出来事さ。
*
「えっ、引き取り手……?」
「そうなの! 新しいお父さんとお母さんができたの!」
その人は白髪の天パの先生だった。歳は老けているが、その分優しい印象の先生だった。
ただ、あたしはもう親なんていう制度は懲り懲りだった。その反面、「いいなー」という周りの言葉に翻弄され、ついには親というものが分からなくなった。
結局複雑な気持ちのまま、あたしは顔を隠した数人の男に外へと連れてかれる。半強制的に。
その連れていく勢いが強くなっていく。だんだんとあたしをある場所に近づける、という意思が目に見えてまでいた。
「あたしをどこ連れて行くの……!? ねぇ!」
あたしは我慢ならずに叫びに近しい声を出した。すると男の中の一人が「ちっ」と舌を打つ。
そしてあたし以上の大きな怒声をあげだした。
「うるっせぇなあぁ! 『サンプル』は大人しくしてろ!」
あたしは「ひっ……!」とその声に恐怖心を煽られる。
必死に藻掻くあたしを逃がすまい、と男は大人げなく、力強くあたしの手を掴む。
幼く非力だったあたしにとって、その手はもはや手錠と言っても過言じゃなかった。
*
連れて行かれたのは小屋のような施設だった。そこには地下があり、中に入ると案外広かった。
あたしは転がされるように、近くにあるベッドに寝た。やはり暴れるあたしを三人係で完全固定して、口にマスクをかけられた。
初めての全身麻酔だった。
*
「おい、これ成功したんじゃないか?」
「まだ分からないだろ。少し様子を見よう」
耳がその音を聞く。目がまぶた越しの光を捉える。
目を開けてもいいものか迷ったが、結局、恐る恐る開けた。
すると男性の一人と目があった。彼の素顔がライトで不気味に照らされる。
「あっ……君、どこか体に悪いところは? 僕達は君を助けに来たんだ……!」
さすがに子供をバカにしすぎている。ここに連れて来た男と声が全く同じことぐらい分かる。
あたしはふいっと顔を背ける。会話はそれを機に終了した。
*
あたしはその施設からある所まで連れてかれた。足掻こうという気持ちはもう無かった。
色んなことが一日に詰め込まれて機能が停止した人形のようになったからだ。
そこは廃墟を改良して作られているようで、見た目は陳腐であったが、内装はしっかりとしてる所だった。
案内役の男性と共にその中を歩いていく。腕を掴まれてはいたが、先程までの力ではない。
*
男は扉を開けると、「連れてきました」と言ってその場をあとにした。
そこには動きやすそうな格好をした、『高校生ほどの赤髪の男』と、椅子に座る『四十代ほどに見える病弱そうな男』が居た。
大きなテーブルの上には、ロウソクが何本か立っている。
ゆらゆら揺れる火に魅入られたあたしは、「おい」と乱暴に呼ぶ声を聞いて我に返る。
「お前、罪人なのか? あの実験、成功かどうか曖昧だからな……。とにかく、ここに来た以上戦え」
あの人は何を言っているのだろうか。ただでさえ幼い自分に、そんな難しいことを言われても困る、と言わんばかりに睨む。
自分の目線に気がついたように、「あ?」とあたしを睨み返した。刹那、目が熱く、潤んでいくのが分かる。
すると座っている隣の男性は、品よく咳払いする。それに男は「っ……」と顔を歪めて急に黙る。
その男性を知らない自分にすら分かる。絶対に彼に逆らってはいけない、と。
「……失礼、私はここの長の、『黄龍』という者だ。暫く私と『白虎』を中心に世話をする」
そう言って黄龍は、黄金色の長い髪を明かりで照らす。そして指を組み、感情が無い真っ赤な瞳であたしを見る。
その瞳があまりに怖くて、後ずさりしてしまう。
まさに、ここが『プロ・ノービスのアジト』だった。
「まずは、この世界について少し語ろうか……まあ、そこに座って」
あまり外に出れず、社会に無知だった自分に彼は、『罪人』について、『実験』についてを噛み砕いて説明した。
*
彼の話、孤児院では『人体実験』を行っていたらしい。『一般人を無理やり罪人にする』っていう残酷な実験を。
都合がいいのは、孤児には親もいないから例え実験で子供が死のうが誰も気づかないことだ。
実験の成功確率は圧倒的に低いとのことだ。成功者はあたしを含め、片手の指に入る数だというぐらいだ。
だいたい運が良くても後遺症が残る。もし悪ければ四肢爆散レベルの、残虐な死を遂げる……。
どうやるのかは詳しく聞かなかった。聞いてもどうせ理解できないし、そもそもそんな実験に興味がなかったから。
詰まるところ、あたしは誰かを殺した罪悪感も抱かずに、一人の罪人に成り果てたということだ。
*
あたしは早速、白虎という男から能力の使い方などを教わる時間に入った。今は逆らうことをやめて、ただ彼に従う。
荒々しく教える……と思いきや、とても丁寧に、怒鳴ることも無く手ほどきをする。
『そういった意味』では、親よりは善人に見えてくる。
ただあたしは、どうしてこんなことをしているのかも、誰が善人なのかも分からないままだった。
だれも教えてくれないから、言われたことをするしかない。そう、まさに人形のように、この組織で過ごしていった。
*
憎たらしいことに、生活は孤児院と大して変わらなかった。
自分用の個室があり、衣食住も備わっている。ただ、授業が無くて代わりに訓練があるだけだ。
いくら変わらない生活だとしても、あたしは感情の大部分を損失した人形だった。喜怒哀楽なんて深い沼の中。
ただそんな人形にも、能力をずっと練習し、少し使える程の時に一つの感情が芽生えた。
それは『闘争心』だ。
無論、自分はこんな物なんて欲しくない。もし捨てることができるなら、「是非とも!」と言いたい。
しかし、能力を使うたびにそれは増幅していく。誰かと戦いたいと思う。
ただでさえ人形なのに、さらに自分じゃ無くなっていくようで怖かった。
白虎いわく、それは『実験の後遺症』だ、と言う。彼も成功者の一人らしく、彼にもれっきとした後遺症があるみたいだ。
*
そんなあたしがここに来て、およそ二週間経った頃だった。
今日も訓練だ、とその時を待つ。しかし、思ってたものと違う展開になった。
「話がある。一緒に来い」
白虎はあたしの傍に来ると、突然そのようなことを言った。断るも何も無いからなぁ、と従うことにした。まさしく人形のように。
終始無言のまま、白虎と共に部屋に辿り着く。その部屋はまさに、初めにあたしと白虎、黄龍と話した部屋だ。
そこには黄龍と、自分と同い歳くらいの茶髪の少女が居た。
鋭い目つきの彼女は、ぼんやりと遠い何かを見ているようだった。
黄龍はあたしを見やる。希望も何も投げ打ったような目で。
「彼女は君と同じ施設で育ち、そして同じ方法で能力を手に入れた。君より一つ歳上だが、新人同士で仲良くするように」
なんでもあたしと同じ『成功者』らしい。成功がこんなに続くのは奇跡だろう。
違う学年という理由もあるのか、施設では彼女に見覚えがない。
「……よろしく」
か細い女の子の声が聞こえた。その正体は彼女以外にありえなかった。
普通、こんな状況で挨拶なんてできる訳が無い。
あたしと違って、彼女は今の境遇への疑問や、困惑が無いように見えた。要は、肝が据わっているのだ。
あたしはまだ、誰かと話すのに躊躇いがあるらしい。
そのため、「変だと思わないの?」という疑問は、声に出さず心の中にしまった。
*
「名前は? あっ、私は『彩』、『増田彩』」
彼女は自らをそう名乗った。
口を動かそうと、もごもごさせる。上手く声を出せるか不安だった。
しかし、喋ろうと自然に思えたのは、ここに来てから初めてのことだった。
そうして恥ずかしさから、うつむき加減になって声を出す。
「岡田……聖華」
気になって彼女をチラッと見る。
彼女は相も変わらず目つきは鋭いが、口元をほころばせている。優しく、可愛らしい笑顔。
「そう。よろしくね、聖華」
「……うん」
それが彼女との、初めての交流だった。
同時に、あたしが人形になってから、楽しいと思えた瞬間だった。
*
彼女と意気投合するのに時間はかからなかった。同じ境遇、立場ということが理由なのだろう。
何も感じなかった訓練の後も、彼女が来てから心に華が咲いた。
「聖華、今日のはキツかったね。……ふふっ、お疲れ様」
彼女は爽やかな笑顔であたしに言う。……眩しいくらいの明るい笑顔で。
「うん……お疲れさん、彩」
その表情につられ、あたしも思わず笑顔で答える。
彼女は『初めての親友』と呼べる存在になった。孤児院ですら居なかったのに。
彼女の影響もあって、あたしは『あたし』になってきたのだ。
喋りも、表情も、行動も……もう人形のようにぎこちないものじゃない。
彩のおかげで、人間らしい生活を送れるようになったんだ。彼女には頭も上がらない。
*
ここに来て一年ほど経った頃だ。黄龍があたしと彩を呼ぶ。何やら大事な話があるらしい。
あたし達は、指を組む黄龍の前に立つようにして、話を聞く。
「……これから、君たちの名前を決める。まず君」
そう言うと彼は、細く白い指であたしを指さす。
名前を決めるというのは、一体どういうことか分からなかった。そのため、確認するようにたじろぎながら聞く。
「あ、あたしかい?」
「そうだ。君の名前は、これから『玄武』だ。元の名前は捨ててくれ」
まあ別に、この名前に思入れがあるわけじゃないし断る理由もないから、あたしはそれに頷いた。
こうしてあたしは、玄武として生きていくことになった。そして彩には、『朱雀』という名前が与えられた。
……しかし、本題はここからだった。
「これからは君たちにも、『任務や戦闘』をこなして欲しい。……やってくれるね?」
「せ、戦闘!?」
あたしは嫌で驚いた訳じゃない。
なぜなら、いくら『あたし』に戻ったとしても『闘争心』、つまり誰かと戦いたいという、後遺症は消えなかったからだ。
もはや、これが元のあたしなのか……? と、迷うほどに。
朱雀も、あたしが心配だからという理由で了承した。
あたし達には闘う技術が身についたから、正直言って心配事はないけどね。
こうしてこの日を機に、あたしと朱雀の呼び名は変わっていった。
*
呼び名が変わった程度で、あたしと彼女の仲が変わるなんてことは無かった。
例え態度が変わっても、何だとしても。
それほど無自覚に、あたしと彼女は固い絆で結ばれていた。
その絆は共に生活や任務をする度に固くなっていった。
苦労することも、喧嘩することもあった。その度に互いを救い、そして許した。
辛いことも楽しいことも……全て彼女と共有した。
傍から見れば、こんな犯罪組織で友情はおかしい、と言うだろう。その通りだ、だけど実話なんだ。
人形だったあたしは彼女に救われ、彼女もまた、あたしを心の拠り所にした。
もう途切れない絆……のはずだった、あの日までは。
*
ここに生活して十年にもなる。
つまりあたしが21歳、朱雀が22歳になった、春の出来事だ。
ついに黄龍の口から、この組織についての話を聞いた。
「この組織の名前は『熟練者と未熟者』に由来する。熟練者は私たち罪人、未熟者は一般人だ。この力は人類が変わる為のものだ。……どういうことか分かるか?」
あたしの頭に「?」が浮かぶ。人類とか、そんなスケールで話されても分からない。
隣にいた朱雀も顎に手を当てる。必死に頭を働かさせているのか、床のただ一点を見ている。
少し時間が経って、黄龍は微笑を浮かべる。まだ訓練が終わってないから早くしてくれないだろうか。
「人類を変えるんだ。要は、『罪の力を持たない者を消す』。無理やり罪人に変えたり、殺したりして……」
彼の光の無い目を見る。そして背筋が凍りそうな何かが、腹の底から込み上げてきた。
あたしは、弱い者虐めをするために、今まで頑張ってきたのかい……?
あたしは、ただ殺すためだけにプロ・ノービスに入ったのかい……?
「あたしは……!」
ドン、と目の前の机を叩く。憎たらしい怒りを表すように。
朱雀は体をビクッと震わせて、驚きを露にした。
しかし、黄龍は何も動じずにあたしを眺めた。
「……玄武は、どうしても嫌なのか? 罪人が生きやすくなるのに?」
「ったり前だろ!? あたしは人を殺すためだけにここに来たわけじゃないんだよ!」
と……いうことは、あたし達は何の罪もない人を殺してたのか……!?
黄龍や白虎は悪さする人だ、とあたし達に嘘ついていたのか!?
「……行くよ、朱雀……いや、彩。こんな組織、辞めてやろう」
そう言ってあたしは彩の手を掴む。しかし彩は、それを乱暴に振りほどく。
「っ!?」
あたしは驚いた。そんな行動をされるなんて思ってなかったから。
彼女は未だうつむいて、ポツポツと話す。
「……私は、親を強盗に殺された。一般人が、一般人を。結局のところ、罪人がこの世を仕切らないといけない……! 救いは、もう無いんだよ!」
今は彩の過去に驚く暇はない。声を荒らげる彼女に、あたしはすかさず反論する。
「何言ってる!? 一般人にも良い奴が居る……」
「お前の親はどうなんだ!? 結局、お前を捨てて逃げたじゃないか!」
「っ……!」
朱雀の声に怒気が含まる。しかし、あたしはそれに何も言えなかった。
……事実だからだ。
「私は、お前に失望したよ。今まで……一緒に、頑張ってきたのに……」
彼女の声が震える。不思議と、それに怒りは感じとれない。
あたしも怒り以外の感情が込み上げる。目が熱くなって、声が震える。
「あたしだって、失望したよ……。あんたが、そんなに……歪んでるなんて」
強がりは文面だけだった。心の中を覗かれたら、涙が待っている。
今まで笑いあった日々は嘘じゃない。だけど、失望も嘘じゃない。
「後悔……しろ!」
捨て台詞を吐いて、あたしは振り返って走り出した。
*
追っ手が来たら容赦せずに殺す、と心に決める。
あんな組織に入り続ければ、絶対心が壊れる。また人形になってしまう。
追っ手は、背後に居なかった。
路頭に迷っていたあたしは、罪人取締班の存在を知った。そしてそこに足を進めたのは、ちょうど優貴が入る三年前のことだった……。
ご愛読ありがとうございます。
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