162話 ある学者らの話 後編
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能力の伝染からさらに二ヶ月。ノアの危惧した通り、この作戦には綻びがあった。
能力に溺れて無法騒動に染まる者もいれば、わざと人を殺して能力を手に入れようとする者もいた。
一方で嬉しい誤算もあった。それは、実際に人を殺さなくても『殺した罪悪感』さえあれば良いということだ。
『私が殺したようなものだ』と思うことでも能力を手に入れることができる。そしてそれを思うのは基本的に良識のある者だ。
そんな副次的理由もあり、結果的には作戦は成功した。
ノアらも良識ある能力者として無法騒動の鎮圧に参加し、被害数を急激に減らすことができた。
無法騒動は、瞬く間に幕を閉じた。
──しかし、ノアたちにはさらなる懸念点があった。
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「そろそろ考えようか──名も無き風について」
「結局、無法騒動を舞台にするわけじゃなかったんだね。むしろ、いつ優貴くんと和也くんを主人公にするんだろ?」
サーシャは頬杖をつきながら、希と眼音に抱きかかえられている、二人の赤子を眺める。
「正直、考察は無理じゃのう。優貴と和也が何歳になれば主人公になるのか、を考えるようなものじゃ。未来を見る能力者でも探し出してみるか?」
「十年、二十年後の未来が見える能力者がいるなら解決っスね。……問題は、そんな未来を見通す能力があるかどうかっスけど」
ルドラが呆れ気味に言う。
「……なら、僕達が生き残ればいい。ついでだから言うけど、僕はRDBという組織を立ち上げるつもりだ。正義と悪を停滞させる、本当の『ヘイワ』を追い求める組織を。僕はこれから何百年でも、その組織を運営し続けたい」
「それは別にいいけど、具体的にはどうやって生き残るの?」
「私の能力でも──生き残りつづけるのはどうしても難しいかもしれません。情報を操るには膨大すぎるので……」
「……それに、正義と悪の停滞って──いや、やりたいことは分かるっスよ。物語の終結は正義と悪の決着がつくことだから、それを先延ばししようっていう魂胆スよね? でも……どう停滞させるんスか?」
「っ……」
ルドラの疑問に、ノアは言葉を詰まらせた。これを言えば批判殺到は間違いないからだ。
「まさか、戦争とか言わないっスよね? 戦争によって正義と悪の数を調整するって言わないっスよね?」
「……それは、大丈夫だよ。戦争はしない、別の方法を考えてるよ」
ルドラとアリスは元々戦争孤児だった。無法騒動を止めるプロジェクトに参加したのも、戦争や大規模の荒廃を嫌っていたからだ。
──だから、ノアはルドラの前では言えなかった。
突然、ガチャリと扉が開く。
「みんな、なにしてるの、ですかぁ……ふわあぁ」
「……アリス? まだ寝てていいっスよ」
白い紙と透き通る肌、眠たそうに桃色の眼を擦る少女が扉の奥から身を乗り出した。この少女──アリスはルドラの妹で、今は研究所内で保護されている。
どうやら、今日は眠りが浅かったようだ。
「そうだ……お兄様、私──能力者になりたいです」
その言葉が発せられた途端、空間そのものにヒビが入ったような緊迫感が生まれた。
アリスにそれを悟られないように、ルドラは精一杯口角を上げて返す。
「な……なんでそう思ったんスか?」
「能力者の方たちが、世界を救ったと聞きました。そんな世界に貢献できるような職業に私もなりたいな、と思いました」
「……職業、っスか」
ルドラは思わず顔を伏せる。能力を持たせることで、生活に影響が出てしまわないかを懸念していた。
届称が口を開く。
「私はいいと思う。無法騒動が終わったとはいえ、自分の身を守るくらいの力は必要だ」
「でも……」
「それでも不安ならこうしよう、少なくとも私たちはアリスに能力の強制はしない。アリス自身も、無闇に能力を使わない。これを約束事にすればいい」
届称の言葉に、ルドラはぎこちなく頷く。何より、アリス自身が望んでいることが効いている。
「……さっきのおじさんが言った通りっス。自分たちが『やれ』と言ってもやらないで、あくまでアリスが能力を使うかどうかを決めること。そして簡単に能力を使わないこと──いいっスか?」
「はい! 肝に銘じました!」
アリスの大きな目が、シャンデリアのようにキラキラ輝く。
ルドラは溶けた宝石をコップに注ぐ。それを彼女が落とさないように、ゆっくりと手渡した。
「ゆっくり飲むんスよ」
「はい──んくっ」
飲んでわずか、アリスは能力者になった。
「文字が──えっと……『成長を操作』……?」
その一言で、事態は急変した。
ルドラはしゃがみ込み、アリスをそっと抱く。──自分の表情が見えないように。
「……なんで、よりによってその能力を──」
誰にも聞こえないように、彼はそうポツリ呟いた。
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「ルドラ、お主も分かっておるじゃろ? 物語の終結を止められるのはわっちらだけなんじゃ」
「分かってるっスよ! アリスに判断を委ねても、優しいあの子だ……能力を使うに決まってる! でも、あの子の能力の欠点は『視力の低下』だ、失明も有り得るんスよ……兄として、是と言えないっスよ」
「分かっておる。わっちも、和也の目を差し出せとただ言われれば否と答える。……じゃがその結末が世界の破滅じゃ、目と命の天秤ならどちらに傾くか分かるじゃろ?」
ルドラの危惧してたことは、嘲笑うまでに当然に起こった。
いつもは感情の見えない希でさえ、このトロッコ問題に心を痛ませながらルドラに訴えている。
「……分かった、アリスに使わせることはやめよう」
ノアはそう言う。
「その代わりRDBに協力してくれ、ルドラ。物語の終結を起こさない、そのためには『正義と悪が拮抗した状態で、優貴と和也が一生を過ごす』ことが最低条件だ。アリスの安全は絶対に守るから、君も優貴と和也を守ってくれ」
「分かったっス、約束するっスよ」
「そうだ、君の能力を強化するためにこれを使うといい」
ノアはそう言って青いマフラーを渡す。能力を大幅に強化する代物だ。
ルドラはそれを取り、首に巻く。
「もし名も無き風が来ても──君がこれで強くなってくれれば、脅威に対抗できるかもしれない」
「そう、っスね。自分が強くなって、アリスを──あれ、なん、スかこれ……」
「ルドラ? どうしたの?」
ルドラは胸を押え、その場に倒れ込む。その場にいたノアと希は、突然のことに驚く。
「ルドラ! 大丈夫か……!?」
「まさか、このマフラーが? いや、手に触れたときは……それよりも大丈夫? っ、ルドラ!」
「に、逃げてください……なんか────」
ルドラの体からどす黒い触手が次々と生えていく。
まるで水風船のように膨らんで、ルドラの体にまとわりつく。
そして──彼は寄生体となってしまった。
このことを急いで他の学者に報告した。
初めは全員疑い半分だったが、ルドラの姿を見て納得と驚き、悲しさを顕にした。
ノアは思った、『アリスには教えられない、見せられない』と。
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「アリス、頼みがある」
希はそう切り出した。
自分たちは生き延びなければいけないことをアリスに伝えると、ためらいもなく頷いた。
「分かりました。使わせてください! でも、この能力を使うのは難しいのです……。なので、リアムの能力で私に命令してください!」
「……いいの? 目が見えなくなるかもしれないんだよ?」
「皆さんが生き延びなければいけない、それも世界の終わりを防ぐために。私の能力で世界に貢献できるなら、是非! ……ところで、お兄様はどこですか?」
「ルドラは……少し席を外してるよ。じゃあ……リアム、お願い」
リアムは良識を今は撃ち殺して、能力を発動した。
「《発動》! 『アリス・ダブラルは能力で、ノア、サーシャ、リアムを15歳に戻してから、この場の全ての成長を止めろ』!」
「はい! 《発動》!」
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優貴と和也の成長を再開させたのは、罪人取締班が作られて、正義と悪が最も拮抗した時代だった。
それまでの間、RDBに参加したノア、希、ルドラ、サーシャは活動を続け、眼音と届称は隠居、リアムは『翔』という名前で取締班に潜入した。
そして、今に至る──。
遅れました。申し訳ございません。
ご愛読ありがとうございました。次回もよろしくお願いいたします。