119話 買い物中のアクシデント
椿はサーシャに電話をかけようとした。
椿がサーシャに電話をかけようと決めたと同時のことだ。『サーシャ』の文字と共に、コール音が執務室に鳴り響いた。
「もしもし、サーシャか? 丁度よかった、俺からも──」
『班長、緊急事態だ! 今日の正午に全員集めてくれ、ボク達も行くから!』
「えっ、サーシャ!?」
彼女はそう言って、一方的に通話を切った。彼女の焦燥しきった声、通話を続ける気のない態度。
彼女に感化され、椿は胸をより一層騒がしくする。
今、執務室には誰もいない。仕事開始時間の二時間前だからだろう。椿はRDBのことを考えてから、気が気でなかった。だからか、今日も早く来てしまった。
「……そろそろ、積もり重なった塵が暴れる時か。見ててくれてるのかな、凛さん。あの時言ったからには、頑張らないとね」
椿は胸元のタイとシャツの上に、右手をそっと置いた。
* * * *
今日は取締班を休んだ。その理由は、そろそろここに来るはず。
「おーい美羽!」
「菜々子! 真理奈!」
今日は、三人で買い物に行く日だから。
「びっくりしたよ、予定よりも早く集まるなんて……」
「本当にごめん! 正午から仕事が急に入っちゃって」
「ん、ならしょうがないな。昨日は全力出して走ったから、疲れて早く寝て良かったって思うぜ」
「あっ、そういえば昨日大会なんだっけ? 私は行けなかったけど、どうだった? 大丈夫だった?」
美羽は、今の情勢で大会をすることに疑問を持っていた。菜々子がここにいる時点で無事なのは間違いないのだけど、それでも心配してしまう。
「大丈夫だったぞ? 特に速いやつもいなかったから、いつも通りぶっちぎってきた」
「さ、さすが菜々子……」
「それよりもあたしは、美羽の言ってた『集まってからのお楽しみ』が気になるけどな」
「あっ、それ私も気になってた」
菜々子と真理奈が視線を向ける中、美羽は『シャイニの誕生日プレゼント』のことを話した。
「へぇ、誕生日なんだな。シャイニって」
「そ、それってどこ情報!?」
「ま、真理奈なら知ってると思ってた……。やっぱり誕生日って非公開だったの?」
「全然知らないよ! それ、本人から聞いたの!?」
美羽は苦笑いを浮かべる。本当はサーシャの嘘から出た真のような情報だが、さすがにそこまでは言わなかった。
(……今思ったら、サーシャさんがわざわざあんな嘘ついたのって、私にシャイニちゃんの誕生日を教えるため──いやいや、まさかね)
美羽はそんなことを考えながら、二人とデパートの中に向かった。
*
「…………なあ。買うって決めたはいいものの、何買うか決まってるのか?」
「うっ、そ、それは……」
デパートの入り口で佇む美羽を見て、菜々子はがく然とした様子で話す。
「確かシャイニちゃんって、ぬいぐるみが大好きだったような……いや、あくまでも表向きかもしれないけど」
「そういうところは、何というか──ドライなんだねぇ」
「アイドル業と私生活は切り分けてるって私は思ってる。……ファンなのに、変かな?」
「いいんじゃねえか? ファンの全員が同じ考え方ってわけじゃねえだろ。ファン以前に人間なんだから」
「──菜々子って、ときどき核心突く発言するよね」
真理奈がそう言ったのを、菜々子は複雑な表情で受け止めていた。
*
「ぬいぐるみを売ってるのはここだね」
「でも、ぬいぐるみだったら何でもいいわけじゃないだろ?」
「それはそうだね。一応可愛いって思えるやつがいいと思うよ」
そう話しながら店の中に入ろうとした、その時だった。
「いいですよねぇ、こちらの化粧品。何と言うか、品が出る感じがしませんかぁ?」
普段なら、何気ない店員と客の会話として聞き流すだろう。しかし、三人の足は店の前で停止した。
息がつまる。山の頂上に来たみたいだ。
胸が絞まる。緊張からか、変な汗も流れ始めた。
錆びたロボットのように、美羽は左を向く。会話は、化粧品店の入り口に置かれた机と椅子から出ている。
そこにはこなれたように化粧品を紹介する──
「あっ、菜々子!」
美羽も動けなかったのにも関わらず、菜々子は堂々と彼女に近づく。そして彼女と客を分かつ机を、力いっぱい叩く。
客が怯え、彼女も驚いた表情を見せる中、菜々子は彼女を睨みつけている。
「なんで、てめえがここにいんだよ!」
「……すみませんお客様ぁ。一度私は離席するので、担当を変わらせて頂きます」
彼女は、菜々子を含めた三人を店の中に手招きした。
*
彼女は結っていた長い髪を解いて、頭を何回か振る。事情を知らなければ、色気のある、グラマーな女性だとしか思わなかっただろう。
その者が──狩魔でなければ。
「あらぁ、どうしたのぉ? お客さんを怖がらせないで貰えるかしらぁ?」
「何が『どうしたの』だ! いいか! あたしはまだ、真理奈を蹴ったこと忘れてないからな!?」
「そんなこと覚えてたのぉ? あなたって執着心が強いのねぇ、可愛い子」
「そんなことだと、てめえ……?」
「お、落ち着いて菜々子!」
美羽は、一歩前に出た菜々子の肩を掴む。
「離せよ美羽! 警察としても、こいつを野放しにしたくねえんだろ!? だったら今ここで──」
「だめ! ……だよ」
「美羽ちゃん、だっけぇ? あなたはいい子ねぇ。私を刺激したら、このデパートがめちゃめちゃになるって思ってるのかしらぁ?」
「っ……!」
美羽もここで捕まえたい、と思っていた。しかし狩魔の言う通り、ここで戦闘を始めたら悲惨な末路を迎える。
「じゃあ……何も、できねぇのかよ……?」
「──ねえ、あなたはなんでここで働いてるの?」
口をつぐんでいた真理奈は、決して譲らない姿勢で狩魔を見て発言した。
「もしかして、私が何か企んでるってぇ? ないなぁい。私は二ヶ月前からずっとここで働いてるんだよぉ?」
「じゃあ、なんで?」
「怖い子。じゃあ、話そっかぁ。あのね、RDBって──」
三人は固唾を飲んだ。この先にある重要な事実への緊張、あるいは期待から。
「──給料が出ないのぉ」
「……は? 給料?」
「そうそう。要は、ボランティア? みたいなぁ。だから働かないと暮らしてけないでしょぉ?」
「よし美羽、やっぱりこいつ半殺しにしよう」
美羽は菜々子の肩をより一層強く掴む。闘牛のように暴れだしそうな菜々子を抑えるために。
狩魔はただ首を傾げるばかりだった。
「じゃあなんだよ! 本当にただ働いてただけか!?」
「うん。この際はっきり言うけどぉ、警察側はRDBのメンバーが社会に溶け込んでるって思ってるらしいけどぉ、正確に言えば給料欲しさに働いてるだけなんだよぉ」
美羽はその後の言葉をどうすればいいか分からなかった。
「……と、とにかく! あなたを警察に連行するから!」
「してもすぐ逃げれるし、多分私は暴れるよぉ? いい情報一つあげるから、ここは見逃してよぉ」
三人の返答も待たずに、狩魔は顔を近づけてヒソヒソと話し始めた。
「実は、恵ちゃ──シャイニが好きな物って香水なのよぉ? あの子、嗅覚が良くてねぇ。好きな匂いはとことん嗅いでいないと気が済まないのぉ。まるで子犬みたいで可愛いでしょぉ?」
「嘘つかないでよ! そもそも、なんでシャイニちゃんのこと知ってるの!?」
「え? だってあの子は──」
「と、とにかく! そんな情報を聞いたぐらいで見逃すわけには──」
「じゃあねぇ」
狩魔は途端にその場から姿を消した。床にはサイコロが一つ落ちていた。
(油断した! 顔を近づけられたから、いつの間にか目線をあの人の顔に誘導されてた!)
「くそ、またどっか行ったのかよ!」
三人はサイコロをじっと見つめながら、やりきれなさを露わにしていた。
*
それから少しして、菜々子が美羽に聞いた。
「なあ、なんでシャイニのこと知ってたんだ?」
「えっと、それは……多分、あの狩魔って人は色んな業界と繋がってるからだと思う」
(菜々子、真理奈、ごめん。シャイニちゃんがRDBだってことは言えないの)
「そもそも、ほんとか嘘かも分からないし……ね?」
「それは……もしかしたら本当かも。ね、念の為香水を買っといていいかな? それから、ぬいぐるみ見に行こう!」
美羽はその場を押し切って、菜々子と真理奈に反論を言わせないようにした。
ただ、シャイニが俗に言う匂いフェチというのは何となく信じることができた。
(シャイニちゃんって、やけに距離を詰めてくる人だなって思ってたけど……あれって、ひたすら私の匂いを──)
「ん? 美羽、顔赤いけどどした?」
「い、いや! 何でもない何でもない!」
美羽は、少なくとも今はそれ以上考えないことにした。
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