109話 反省会
聖華と和也は夫婦の家を後にした。
椿の机の上にティーカップが置かれる。優しい金属音と共に、コーヒーのほろ苦い香りが鼻を通る。
「菫、そんな無理しなくてもいいんだよ? もう少し休んでても──」
「平気。それよりも、お兄ちゃんはそろそろ新しい仕事を覚えて。まだ数字の打ち込みしかできないのは致命傷だから」
菫は和也と聖華が、届称と眼音の家に向かった三十分後に立ち上がっていた。
椿がパソコンとにらめっこしていた所、コーヒーを運ぶついでにモニターを覗いたのだ。
椿は彼女の言葉に、笑顔とはいえない笑みを浮かべる。
「皆はパソコンを使いこなしてる中、俺一人だけ置いてかれてる気がするよ……。特に美羽さんはパソコンを扱い慣れてるね。コツを教えてほしいよ」
「コツは……ないですね。私の大学のレポートってパソコンでするのが多いので、自然と操作が上達しちゃいました」
美羽は苦笑いの椿の顔を見て話す。手はキーボードを打ったままだった。
「あーそういえば、美羽ちゃんの大学が閉まってから結構経ったねー。行けなくて寂しい?」
「うーん……確かに大学の友達と会いにくくなったのはちょっぴり寂しいけど、友達とは携帯で連絡取ってますよ!」
天舞音の問いかけに、美羽はほんわかな笑みで答える。
すると美羽は突然、キーボードを打つ手を止めてリュックに手を伸ばす。
「あ、思い出した! この前も三人で出かけてこれを買ったんです! 遅れましたが、是非使ってください!」
美羽がリュックから取り出したものは、前腕程の長さの物体だった。
パッケージの中から見えたものは、奇抜なメイクをしている顔だった。
「これは……なんだろ? どこかの部族に成りきれるフェイスマスク?」
「いえ、これはティッシュカバーです! 口の部分からティッシュが出てくるんですよ。皆さんの分買ったので、是非是非!」
美羽の返答に、天舞音の顔が固まる。その顔の口角を無理やり上げて、さらに質問する。
「……ちなみに、これは誰が選んだの?」
「私です! 皆さんへのプレゼントを迷ってたら、友達の真理奈がアドバイスをくれて選びました! プレゼントは意外性がいいと聞いて、驚くようなやつにしました!」
「──うん、意外とかわいいね。つけよっと」
「えっ……えっ!?」
そう言って付け始めたのは菫だった。ティッシュの構造上、カバーの顔は小さな目と大きい口の距離が近く配置されている。菫はそんな潰れた顔に可愛さを見出したのだろう。
そんな彼女に、つい天舞音は声を出して驚いた。ただ、あまりにも純粋な瞳で美羽がプレゼントを渡すものだから、断りきれずに──。
「あーうん。ボクは、自分の部屋で使おうかなぁ……」
「うん、俺もそうしようかな」
「同調する」
「良かった、ありがとうございます!」
天舞音に続くように、椿と翔も同じ意見を口にした。
美羽は使ってくれることが嬉しいのか、満足そうにニコニコする。
「今帰ったよ──おっ、何楽しそうなことしてんだい?」
「おかえり。聖華さんに──」
そんなタイミングで、聖華は執務室に帰ってきた。
椿が扉の方を向いて声をかけると同時に、顔面蒼白の和也の姿を目撃した。
「か、和也くん!? 大丈夫?」
「俺……原型保ってるか?」
「──聖華さん、いくらパトカーだからって飛ばしすぎると違法になるよ。次から気をつけてね」
「ははっ、分かったよ」
椿が腕を組んで聖華を注意する。本当に違法になりかねないので、この注意は聖華を守るためでもあった。
しかし当の彼女は特に深刻に考えていないように、その注意を軽く流す。
「聖華さん、これプレゼントです! 良かったら是非!」
「おっ、フェイスマスクかい? 勇ましくていいねえ」
「いえ、ティッシュカバーですよ」
「……なるほどね。──あたしは最近のファッションとか知らないけど、こういうのが流行ってるのかい?」
聖華は手渡されたものがフェイスマスクと聞くと嬉しそうにしていたが、ティッシュカバーと分かると少し残念そうな顔をした。
「和也くんの分も置いとくね!」
「おー……」
美羽は和也が項垂れている机の上にそっと置く。
そんな藹藹とした空気も収束し、椿は先程よりも粛々とした態度で彼女に聞いた。
「いきなり聞くけど──どうだった?」
「まあ、色々あったよ。その前に菫、少し相談したいことが……」
「なに?」
菫はさすがに自分が呼ばれると思っていなかったようで、目をぱちくりとさせている。聖華は手招きして、奥の部屋に彼女を呼び寄せた。
十数分後に二人が部屋から出てくる。
「待たせたね! じゃ、今から会話の一部始終をパソコンで流すよ。ボイスレコーダーのままだと音質が良くないからねえ」
「……いい? じゃあ流すよ」
若干疲れ気味の菫は頬杖をついて、パソコンのエンターキーを押した。
*
班員は聖華たち四人が交わした会話を、パソコン越しに聞いた。
驚いたり考えたりする素振りをする者はちらほら居れど、声を出すものはいなかった。
「──有益な情報だらけだね。特に、『罪人の起源』はまだ公表されてない。当然だけどここにいる全員、口外は禁止だよ」
椿の言葉に、全員は当然だと言わんばかりに首を縦に一度振る。
その後に言葉を発したのは美羽だった。彼女は少し眉をひそめている。
「それにしても、能力の正体が寄生体なんですね……。あっ!」
「どうしたの?」
「……ルドラっていう触手──いや、人と接敵した時、確かに『能力は元々自分のもの』みたいなこと言ってたの思い出しました。そっか、あの人が……世界中に能力を伝染させて、青いマフラーを巻いて自分の能力に取り込まれた人なんだ」
当時、美羽はルドラのことを敵だと見ていた。しかしそんな彼の素性を知ったからか、彼女の中で他の感情が出始めたのだ。
そんな彼女を見た聖華は、彼女の気持ちを理解しつつも少し辛く当たる。
「言っとくが、美羽。そいつに同情すんじゃないよ? 例え『罪人の親』だろうが、能力のせいで上手く話せなかろうが、敵なんだ。敵同士じゃなくなった未来で同情しな」
「そう、ですね!」
美羽も彼女の言い分は十分に理解していた。ただ、返事だけでは全てを割り切ることはできないようだ。
「とにかく、謎の宝石とその副産物の正体が分かったんだ。──けど、ここからは敵側にいる三人の学者に聞くしかないのか」
「後は優貴に聞くしかないねえ。それに付随してだけど……あたし達、夫婦の家に入る前に優貴と会ったよ」
「なんだって!?」
「ゆ、優貴くんが……?」
聖華の放った突然の一言に、椿と美羽は驚きを声に乗せる。他のものも声は出さないものの、目を見開いたりと驚きを表現していた。
「何でもあいつ、自分からRDBに入ったって言ってたよ。だからあたし達はそこで……ちっとやり合ってね。届称が止めに来てくれたけど……正直危うかったよ。想像以上にずっと実力がついてる」
聖華は当時のことを主観的に話した。少しだけ悔しさが、表情に滲み出ている。
「だけどあいつは、あたし達を殺さないって言ってた。戦ってる時もずっと苦しんでるように見えたねえ。……変だろ? RDBとして振舞っといてなんだって話さ」
「うん、確かに変だね。彼が何をしたいのかがまだ分からない」
「まあそこもそこだが、気になる点がもう一つ。あいつ……青いマフラーを巻いてた」
「っ……!」
『青いマフラー』という言葉に一番反応したのは翔だった。
美羽もそのマフラーに言及する。
「で、でも……それ、本物なんでしょうか? だってルドラさんはそれを巻いて暴走したんですよね? 優貴くんは暴走してないのがおかしいと言うか……」
「いや、言いたいことは分かる。だから、あのマフラーは偽物の可能性が高いよ」
「っ……確かに偽物かもね。──僕達も見つけられなかった、『マフラーの効果を調整する術』を、彼が見つけていなければだけど」
翔は深刻そうな顔していた。彼がそんな表情になるほど、『青いマフラー』はとんでもない代物だと班員に知らしめた。
「……わりぃ。あいつに会ったのに、何も聞けなかった。俺が聞かないといけねぇのに」
「ううん。君が無事に帰って来てくれるだけでも嬉しいよ」
落ち込みを見せる和也に、椿は優しく微笑みかけた。
遅れてしまい、申し訳ございません。
ご愛読ありがとうございました。次回も宜しくお願いします。