101話 無法騒動
椿はある場所に出向いた。
* * * *
少し古びた外観にうっすらと香り立つ珈琲の苦み。
初めて来店した者には分からない魅力を感じられる喫茶店、『エンカウンター』。
椿はここに何度か来店している。もちろんここが気に入ったことは理由の一つだ。
しかし、それ以上の理由が彼にはあった。
「……さて、久しぶりだね。班長」
「ここがお気に入り、と言ってた割には全然来なかったね。忙しかったの?」
「そんな怒らないでよ。確かに、ここがお気に入りっていう嘘をついたことは謝るよ」
──それごと嘘だったのか
椿は改めて、彼女──サーシャのことが分からなくなった。
「ここはRDBの目をかいくぐるのにかなり好都合な位置にあるからね。ボクがここによく来るって言ったら君はまた来るだろうから、会える可能性はあるでしょ?」
「『可能性を変える能力』──確か、君の能力だったよね。俺が来たのも、君が能力を発動したからなのか?」
「そうだよ、ボクの能力──いや、つまらない嘘は止めよっか。君はボクに用事があったから会いたかったんでしょ?」
椿はカップと一拍を置いて話す。
「俺はもう、信用できるようになった?」
「うん……どちらかと言えば、君を信用するしかなくなった。多分、ボクがレジスタンスだって勘づかれてる。だからここで完全な協力体制を築いて、この日本でRDBと決着をつける」
サーシャの目には確かな闘志があった。それは嘘ではない、と椿は信じることにした。
「じゃあ話してよ。RDBとは何かを、嘘偽りなく」
「それだけじゃない。この世界の仕組みとかも、教えられることまでは教えるよ」
「教えられること? まだ何か隠すの?」
「それはボクの話を聞けば分かるよ」
サーシャは無糖の珈琲を口に注ぐ。
「……まず、話は二百年前に遡る。歴史の授業で習うと思うけど、『無法騒動』って知ってるよね?」
「世界最悪の大騒動。まるで世界中から法律が無くなったかのように、全世界のモラルが急激に低下した。根本的な原因は分かっておらず、大規模な怪奇現象と揶揄されることもある──俺が習ったのはおおよそこんな感じかな」
「じゃあその、根本的な原因はなんだと思う?」
無法騒動の原因はあらゆる場面でよく論じられる。今でも、様々な学問で分析が行われている。
その中で最も有力なのが──
「『法や罰は不必要』という、ある非政府組織の考えが尋常ではない速度で広まったミームだと思う」
「一番有力って言われている説だね。それは確かに半分正解だよ。だけど、他にも数え切れないほど原因がある。例えば紛争や戦争の多発、全世界の政党の崩壊とかね」
「……そこまで知らなかったよ」
「現代までその情報が引き継がれてないからね。でも、ミームが決め手なのは間違いないよ。心身ともに疲れきった所にそんな思想が来たものだから皆がみんな、逃げるようにしてその思想に縋ったんだ。法や罰がなかったら争う必要もないからね」
サーシャはそう言って、水面に映る自分の姿を眺めていた。黒い黒い水面を。
「でも、そんなことありえるの? いくら負の要素が多すぎて疲弊しきってるとはいえ、そんな思想を全世界が信仰するだなんて……」
「それが実際に起こってしまったんだよ。洗脳に等しいそれがね。──で、そんな負の要素が重なったり混ざったりで、最終的にできたのが無法騒動。負の要素の内訳なんて気にされなかったから、現代まで紛争とか戦争についてが引き継がれなかったんだ」
「待って、なんで君がそのことを知ってるの?」
核心をついた質問に、サーシャは一瞬言い淀む。
椿の質問に対し、サーシャは複雑な心情を抱えて話す。
「……実は、ボクはそれを体験してるんだよ。なぜなら大体二百年も生きてるから」
「──それは、誰かの能力で?」
「ごめん、そこは言えない制約だ。とにかくボクが言えるのは、それで生き延びた人が七人いること。無法騒動を断ち切るために結集した、七人の学者がね。ちなみにボクは数学者だった」
「じゃあ、残りは誰に聞けば分かる?」
「この真実は誰かが裏切ってもいいように、七等分して言えるような制約を設けてあるんだ。ボクのはその一部分で、残りは六人の学者が知っている。そして──班長は一人、誰に聞けばいいかはもう分かってるんじゃない? ボクのように、数百年生きてるのに『子供のままの姿』の人をさ」
椿は立ち上がった。
「……ありがとう。今回はそっちが奢ってくれ」
「健闘を祈るよ」
そして彼はその場を立ち去った。
「……行動力の塊だね。どうしてなのかな?」
サーシャはそう独り言を呟くと、またひとつ珈琲を頼んだ。
遅れてしまい申し訳ございません。ご愛読ありがとうございます。
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