10話 優貴の羞恥と美羽の恐悦
優貴が休んで、体が少し回復したところから始まります!
視点変更は
優貴→美羽→優貴
となっております!
「んしょっ……と」
俺はソファーから何とか立ち上がる。まだ所々痛むが、歩けないほどではない。
班長は俺の元に駆け寄ると俺の肩をそっと支える。
「大丈夫? 一人で歩ける?」
まるで介護士のように聞く彼に首を縦に振る。彼は安堵した表情で、
「今日はもう帰ったほうがいいね。一応寮みたいなものはあるから、美羽さんに案内してもらって部屋でゆっくりしておいで」
と話す。
ただ、孤児院から何も荷物を持ってきていない。服もこの紺色の普段着のみだ。
俺が少し汚れた服をじっと見つめていると、彼は「安心して」と話す。
「君の生活必需品はこっちで揃えておいたから、部屋についたら色々あるはずだよ」
「あっ、そうなんですか」
どうやら杞憂だったみたいだ。やはりしっかりとしているんだな。じゃあ後は帰って体を……
「ぐうっ」と短い音。正しく自分の腹からだ。俺は沈黙する。そして羞恥のあまりフリーズした。
「あはは、そういえば夕食をとってなかったね。じゃあ帰るのは夕食を食べてからだね」
錆びたロボットのようにぎこちなく頷く。
そして本当の幸いなことに、その音は彼にしか聞こえていなかったみたいだ。
*
彼は俺を席に座らせた。「ここがこれからの君の席だよ」と言って。
正面では美羽が人差し指のみでパソコンを操作している。
彼女の左隣の席は菫さんだったはずだが、今は席を外している。
一方で彼女の右隣では翔さんがゲームをしている。何のゲームなのかとても気になるところだ。
俺の左隣では聖華さんが退屈そうにパソコンを操作している。
そして俺の右隣は歪な置物があるだけで、誰かの席かは判別不能だった。今出張中の人の席だろうか?
班長と凛さんの席はその空席のさらに奥だ。凛さんの席の右には班長がいる形だ。
(画像はイメージです)
そろそろ夕食が来る頃だろうか。必死に腹の音を出さないように試行錯誤しているが、そろそろ厳しい。
扉が開く。入ってきたのは水色のエプロンを着ている菫さんだった。
「……できたよ。夜ご飯」
彼女の呼びかけに各々席を立つ。それを見て俺も立ち上がろうとするが、
「あっ、優貴くんはそのまま座ってて」
班長は俺の肩を撫でるように掴む。いたたまれない気持ちになりつつも俺は腰を下ろす。
*
彼の手で運ばれてきたのは豪華とも質素ともとれる食事だった。
真っ白に照り輝く白米、赤いケチャップが絡んだハンバーグ、見ただけでみずみずしい食感が予想できるサラダ。
孤児院と同じように、さすがに「いただきます」を合わせない。俺も呟くように一人で言う。
そうして肉厚なハンバーグを口に運ぶとそれから味が口いっぱいに染み出る。
「……美味しい」
思わず口に出す。すると前方から声がした。
「それはどうも」
菫さんは退屈そうに食事を口に運ぶ。まさか、これを彼女が作ったのだろうか……?
彼女は中学生くらいの容姿だが、家庭科の成績は恐らく満点だろうな、と感服までする。
*
「優貴くん、じゃあ一緒に帰ろっか!」
食事を食べた後、美羽は俺にそう声をかけた。そういえば彼女に案内してもらうのか、と思い出す。
「皿洗いは誰がするんだ?」
「何か担当が決まってるらしいよ! 私と優貴くんの担当はおいおい決めるって!」
当番制か、これも孤児院と同じだな。食事の時間でさらに痛みも引き、普通に歩けるようにはなったので、普通に立って扉の前へと立つ。
「そうなのか。じゃあ今日はもう帰るか……」
「そうだね! ……では、私と優貴くんは帰ります! お疲れ様でしたー!」
彼女の明るい声が室内に響き渡る。それに反応して班長は手を振る。
「二人ともお疲れ様。明日は一応八時集合だから、できればそれまでに来てね」
彼の声に「分かりました」とだけ答えると、扉を開けた。
*
夜道は車とか窓とかの光でか弱く照らされている。そこを俺と美羽が歩く。
こういう光景が俺にとってはとても新鮮で、思っているよりもワクワクしている。
「優貴くんは、学校はどうするんですか?」
隣で彼女の声が聞こえた。雰囲気がそうさせているのか、声は先程よりも抑えられている。
「……いや、今は学校には行かない。とりあえずは罪人とかに慣れてからの話だ」
「そっか」
彼女は元気なく答える。どうしたのだろう?
「……そういう美羽は行ってるのか? 高校に」
「えっ?」
俺の問いに彼女は首を傾げる。街灯が、揺れた彼女の髪を強くライトアップする。
「私は大学に行ってるよ? 優貴くんは高校生なの?」
そうか、早生まれとかの関係で同い年でも高校と大学が違うのか。
……というより。
「自己紹介で高校三年生って言わなかったか?」
「……そうだったっけ」
俺の問いに彼女は堅苦しく笑う。大学に通っているらしい彼女に俺は少し質問をしてみた。
「大学の人達に美羽が罪人だってことは?」
彼女は目を伏せる。少しまずい質問だったか?
場を悪くさせないように、俺は目を彼女から逸らして言う。
「デリカシーに欠ける質問だった。すまない」
「ううん! そんなんじゃないよ!」
彼女は即座に否定する。しかし、否定した言葉とは裏腹に表情が暗くなっている。
今日の俺は調子が悪いのか、と黙っていると途端に彼女の唇が開く。
「いつかはバレちゃうけどさ、一応内緒にしてるんだ。だって……友達だったり生徒だったりが殺人をしたって気がついたら嫌じゃん」
……世間からの偏見の話か。本当に、馬鹿みたいだな。
街灯に照らされているのに、彼女の目は曇っていた。悲しい、悔しい……そんな負の感情達を包含したような目だ。
気がついたら俺の声帯は震えていた。
「……まあ別に、その選択が悪いと言うつもりはない。俺でも、きっとそうするから」
「でも、早く大学辞めないと……。みんなが知っちゃったら私……嫌われちゃう」
「どうして嫌われるんだ? 罪人ってだけで、その人の人間性まで汚れてるって言われるのはおかしいと思うけど……」
俺の言葉に、彼女は大きな瞳でこちらをじっと見て、まるで真剣に聞き入っているようだ。
俺は内心、まさか興味を持つなんて思ってなかったから驚いている。彼女の期待に応えて俺は続ける。
「致し方なく、気がついたら……自分の無力で。殺人にも色々あると思う。美羽がどれに当てはまるか分からないけど、間違いなく美羽は……優しいよ。仲のいい友達なら、知られてもきっと嫌ったりしない」
俺が聖華さんに背負われて帰ってきた時だって、真っ先に心配してくれたからな。
「例え罪人であろうと、お前は嫌われる理由がない。だから自信を……」
「あっ、着いたよ! ここが寮!」
彼女は元気そうに一つの大きな建物を指さす。
……シリアスな雰囲気から随分と変わってしまったし、そんな風に戻られるとめちゃくちゃ恥ずかしい。
*
四階まであるこの寮の中で、俺は正しくその四階の部屋に案内された。
彼女も同じ階らしく、その階の廊下で別れた。
自分の部屋に入って、俺はあまりの恥ずかしさに、髪をわしゃわしゃと掻き混ぜる。
班長の言っていた生活必需品も大きな袋たちに入っているのを確認すると、今日の疲れとそれ以上に恥ずかしさを紛らわせる為に、俺は用意されていたベッドにその服装のまま身をくるんだ。
* * * *
優貴くんが扉に入るのを見届けてから部屋に入る。不意に足の力が抜け落ちて、私はその場にぺたんと座り込んだ。
……初めてだった。罪人なのに自信を持て、と言われたのは。
欠伸も花粉も無いのに、目からは数滴の水が膝を濡らす。
上手く笑えてたのかな。あの時は無理に笑わないと、絶対あの場で泣き崩れてた。崩れるのが自分の部屋の玄関で良かった。
「うっ……なん、で? なんで、そんなこと言って、くれるの?」
途切れ途切れの独り言。それが出てしまったのは、きっと心だけでは受け止めきれなかったからだ。
バレたら嫌われるとずっと思ってたから。友達……それ以上の、菜々子と真理奈に。二人にすら、ずっと強がって笑ってた。だから自分に自信なんてあるはず無かったから。二人は本当に楽しそうに笑ってたのに。
罪人になってから今までの四年間、ずっと辛かった。特に、皆と心から楽しめなかったことが。
優貴くんと同じ階だから、声を出しちゃだめ。そう思っても、むせび泣きを止めることなんてできない。彼には私の泣き声なんて聞いて欲しくないのに。
私が罪人になって初めて、『私の何もかも』を真正面から認めてくれた彼だから。
優貴くん、私が罪人でも接してくれてありがとう。『お母さんやお父さんみたい』に、バレても捨てないでくれて。
* * * *
「おーい、優貴ー!」
暗闇の中、遠くで和也が大きく手を振る。体の輪郭は闇の中だからか曖昧になっている。
「かず……や?」
もちろんここにいるわけがない。例え和也が生きていたとしても、ここには。
「一つ聞きたいことあるんだけどよ」
彼は両手を口に添える。大きな声がさらに大きくなって俺に届く。
そして言った。
「優貴は何で死んでないんだ?」
「……は?」
彼の言葉に視線も体勢も固まる。心臓までひゅっと止まったかと思うくらいに。
和也が死んだわけではない。それは班長も言っていたじゃないか……。
「俺は見殺しにして、お前はのうのうと生きてる。でもさ、それっておかしくね? 『行け』って言ったのは俺だけど、友達だったら普通助けるよな?」
分かってる、分かっているんだ。これは和也なんかじゃないと。これは夢だと。
だけど、何も言い返せなかった。口が縫い合わさったように、一度頭が退行したように。
「だからこっちに来いよ! また一緒遊ぼうぜ!」
手を伸ばされる。その手の輪郭はくっきりとしていて、実体があるかのようだった。
大丈夫、和也は生きてる。生きてる……けど、これは夢なんだよな?
だったら、と俺は手を伸ばす。彼の誘いを受けるように、もう一度彼に会いたいと思うように。
もう少しで彼の手に届く。もう、少し……
*
まるで枕に跳ね返されるように上体が起きる。普段着が汗で気色の悪いものに変わっている。
「……くそっ」
誰にも届かぬ怒りを吐く。昨日あんなに罪人について美羽に語っていたのに、とより一層恥ずかしくなる。
そうか。これが『罪人』なんだ、と初めて自覚して、また羞恥に羞恥を塗り重ねた。
もし宜しければ、次回もよろしくお願いします!