コーヒーにはミルクと砂糖をたっぷり入れたい
四月一日、正午の少し前。家でだらだらとしていたときに訪ねてきたのは、倉橋桜生だった。幼馴染と呼ぶにはほんの少し抵抗がある、しいていうなら腐れ縁とでも呼ぶべき相手だ。
にこにこといけ好かない笑みを浮かべた桜生は、ドアを開けた私に「やっほー」と軽く手を上げた。
「どうせ暇してるだろうと思って遊びにきてやったよ」
「あっそ。帰れ」
閉めようとすれば、即座に足が入り込んでくる。でしょうね。
その行動は読めていたので、私は今ドアを閉める手に力を込めていなかった。そしてそんな私の行動を読んでたから、こいつは遠慮なく足を突っ込んできたのである。お互いがお互いの行動を読めるのはこういうときに楽だった。生まれてから十九年の付き合いだから、まあ、このくらいは。
ひとまずしぶしぶという体でドアを再び開けてやる。
「私これからバイトあるんだよね」
「えっ、嘘。いつバイト始めたの? 俺聞いてないんだけど」
「桜生に言う必要ないでしょうが」
そうだけど、と桜生は困ったように眉を下げた。
「……そっかぁ、今から出かけるんだ?」
「うん、嘘」
「……うん?」
「だから嘘だよ。今日も暇してましたよ。ってわけで家に上げてやらないこともないぜ?」
「何その無意味すぎる嘘!」
「エイプリルフールだから」
「それにしてはしょぼい嘘!」
文句を言いながらも桜生はちゃんと「お邪魔します」と言って上がり込んできた。
ボロい学生マンションの四階の一室。大学生になってそこで暮らし始めて、約一年が経った。あまり人を招くことはないこの部屋に一番入ったことが多いのは……ちょっと言いたくないがこいつだろう。
「そんで? 何か用でもあんの?」
桜生にその辺に転がっていたクッションを放り投げる。危なげなくキャッチした桜生は、それをもぞもぞと尻の下にしいた。
「うーん、あのさ」
珍しい、と思う。こういうはっきりしない口ぶりを、桜生が私の前ですることは滅多になかった。
そう考えてから、ぴんとひらめく。――なるほど。
さっき私自身が言ったとおり、今日はエイプリルフールである。嘘に罪悪感を覚えてしまうタイプのこいつのことだ、嘘をつきにやってきたはいいものの、いざ嘘をつこうと思ったらためらいが生まれてしまった……とかそんなところだろう。
なかなか話し始めないので、コーヒーでも淹れようかとキッチンに向かおうとすれば、引き留めるように名前を呼ばれた。
「穂乃花」
ふむ。そういうことはいいからとりあえず話を聞いてほしい、と。
そんな感じの呼び方だったので、小さなテーブルを挟んで桜生の向かいに座る。
そのにこやかな表情は、これから嘘をつくようには見えなかった。とはいえさすがにわざとらしくて、私には逆に嘘をつく気満々の顔に見える。
まあ、わざわざ二時間以上かけてまで私の家に来たんだしなー。さっきの私のような『しょぼい嘘』じゃないんだろう。さて、どんな嘘をついてくれるというのか。
ほんの少しの沈黙の後、桜生は口を開いた。
「好きだよ、穂乃花。俺と付き合わない?」
…………へぇ。
にこやかな表情を保つ桜生を、じーっと見つめ返す。
頰の色、正常。けど耳の色が、いつもよりほんの少しだけ赤い。
呼吸、いつもより遅い。もはや小さな深呼吸レベル。緊張してるときほどゆっくり息をしろ、とは以前私が言ったことだ。
瞬き、いつもより少し多い。こいつは緊張すると瞬きが増える。
手、震えはなし。しかしただ膝の上に置いておくだけにしては、過剰なくらいの力が込められているのがわかる。
今の声、少し上ずっていた。こいつの声は、もう少しだけ耳に落ち着く音だ。
口元、かすかな引きつり。そろそろ何かしらの返事がほしいということ。私はこういうノリはいいから、私も好き、と返すことを予想されているはず。
ふーん、と思った。そう来るか。
まだ何も言わずに、時計に目をやる。十二時ぴったり。つまりさっきの『告白』は、ぎりぎり午前中に行なわれたものだ。イギリス式でも日本式でも、嘘をついていいとされる時間。しかしイギリス式にのっとるなら、これからは嘘が許されない時間。
へぇ、と思った。気に入らない。
「で、」
口を開く私に、桜生はほんの少し身をこわばらせる。
演技はそこそこ上手かったくせに、色々詰めが甘い。私をごまかせると本気で思っているんだろうか。だったら舐められたものだ。
「それって、嘘のつもり? ほんとのつもり?」
予想外の返しだったのか、桜生の笑顔が崩れる。丸くなった目を、私は笑い混じりに見返してやった。
「あんたはたぶん、告白はされるよりしたい派でしょ。あんたが私のこと好きだってことは知ってるけど、あんたは私の気持ち知らないよね?」
そう。桜生が私のことを好きだなんて、ずっと前から知っていた。さっきのはエイプリルフールにかこつけた、ただの本当の告白というわけだ。
私がこいつに好かれているのを知っていたように、こいつも私に好かれているのを知っていたら、という懸念はあったが、こんなことをしてくるくらいだ。私の気持ちには全然気づいていなかったんだろう。変なところで鈍い奴だな、と呆れる。
「私はどっちの意味で捉えて返事すればいいのかな、桜生くん?」
桜生が嘘のつもりで告白したのだとしたら……十中八九そうだろうが、だとすると、ここで返事をしたら先に告白したのが私だということになってしまう。嘘のつもりの告白を本当だったと言い、だから俺のほうが先に告白したんだ、と主張できるような器用な性格ではないのだ、こいつは。
つまりそれは、桜生にとっては避けたいことのはずだ。
にやりと笑って言葉を続ける。
「ついでに言えば、私は結構ガードが固いほうだよ。少なくとも普通なら、自分の部屋で男子と二人きりとかっていう状況は作らない」
桜生の顔に、徐々に徐々に赤みが増していく。
さあ、ここまで言ってやってるんだ。さっさと観念しろ。
「それを念頭に入れて、どっち?」
「…………なにそれ」
真っ赤になった顔に、こらえきれず吹き出す。
「エイプリルフールに告白とか、そんなずるい手考えるからだよ。私に嘘つこうとした時点であんたの負け。ざまぁ」
「あーもうムカつく!」
「ははは、負け犬の遠吠えだなぁ」
「こんなんならエイプリルフール選ぶんじゃなかった……」
「そうだよ、このアホ」
うなだれた桜生の頭に手を伸ばし、指でつんつんつつく。
きっとこいつは、一言「私も好きだよ」と言ってほしかっただけなのだ。たとえ嘘でも、たとえ一日でも。そんなことのために、わざわざエイプリルフールに告白した。
「……これは、嘘じゃない話なんだけど」
ぶすくれた顔で、桜生はそう前置きをする。
「好きだから付き合って、穂乃花」
「うっわ、何そのやけくそみたいな告白」
「あ~くそっ、俺が悪かったから! ごめんって! ほんとに好きだから!」
「知ってる知ってる」
「お前嫌い……」
「それは残念、私は好きだよ」
にやにや笑いながら、私は立ち上がる。話はそれだけのようだし、もう飲み物くらいは出してもいいだろう。今度こそコーヒーのためのお湯を沸かし、桜生用のカップにペーパードリッパーをセットする。
ちなみに私は、コーヒーが大嫌いだ。ついでに言えば、桜生はコーヒーが好きだ。なんでこんな苦いものが好きなのかよくわからないが、それはともかくとして。
コーヒー嫌いな私の家に、コーヒーが常備されている理由なんて――そんなの、説明するほうが野暮というものだ。




