02 お見舞い、キネヤ邸にて
「納得がいかないわ。」
目の前にいるヒムロは、こちらに視線すらよこさず、次のページを読み進めている。
本を読んでいるヒムロが時折ページをめくる音以外は時計の音くらいしかしない。
ヒムロの部屋はとても静かだ。
もっとも、彼の足は痛々しく包帯が巻かれているのだから、大人しく本を読むぐらいしか出来ないのだろう。
「聞いてる……? 聞いてるのよね? 聞いてるってていで話していいのよね?」
「読書をやめて欲しいのなら、そうするが。」
「むー。いいわよ、適当にしてくれれば!」
「そうか、……それで、何に納得がいかないんだ。」
──おかしい、どうしてヒムロはこんなにも落ち着いているのか。
こんなにも大人たちの不条理に付き合わされて平然と聞き返すとは。
そこは『全くの同意見だ』と返してもおかしくないんじゃないだろうか?
「なんで婚約の話が出てくるのが分からない、って話よ!」
「そうか。」
「なんでヒムロは落ち着いてるのよ! 怪我を負わせた本人と婚約なんて嫌でしょう!? 普通は!!」
「そうだな。」
「だからなんで落ち着いてるのよー!! もしかして聞いてないの!? そうなの!?」
表情も変わらないヒムロを見ていると、騒いでる私の方がおかしいのかと不安になってくる。
おかしい、わよね?
おかしいことよね、これ?
「君のご家族が婚姻の話を進めた理由は明白だろう。」
「…………さっぱり分からないわよ?」
「君が毎日、私のところへ見舞いに来るからだ。」
「いいじゃない、毎日来ても!!
家には居づらいんだもの!」
「存じている。だが君の家族からすれば、毎日男の家に足繁く通うのならば下心があると勘違いしてもおかしくないだろう。」
「……それ、説教?」
ぶすくれていると、ヒムロは本から視線をこちらに向けた。
星空色の瞳に私が写る。
焦りも驚きも何も含まぬいつもの仏頂面だが、私に使うべき言葉を探しているのはなんだかおかしかった。
「君が来ることは迷惑ではない。だが婚約については身から出た錆だという話だ。
不快に思ったのならすまなかった。」
「……婚約の話はキネヤ家からだったと思うのだけど。」
「そうだな、父上が決めたのだろう。」
「ヒムロは断らなかったの?」
「そうだな、断らなかった。」
言葉を返しながらヒムロはまた本を読み始めた。
断らなかった、それはつまりヒムロは私と婚約することについて嫌じゃなかったという……意味になる、ような。
「父上が決めたのなら、私はそれに従う。」
……ああ、なんだろう。
しっくりくる回答だ。
「でもなんでうちみたいな三下の家に? キネヤカンパニーなんて誰でも知ってるような大きな企業だし、侯爵家の中でも頭1つ出てる有名すぎるお家じゃない。うちみたいな隅っこの男爵家なんかでいいの?」
「私には君が良いと判断したのだろう。」
ますます分からない。
しかしこれ以上は追求したところで類似回答しか出てこないだろう。
今の問題は──婚約についてだ。
ヒムロは断る理由がないからと味方してくれるつもりはないようだ。
「……はぁ、ヒムロー、お茶のおかわりが欲しいわー。」
「そこの呼び鈴を鳴らせ。菓子が不足しているなら一緒に伝えればいい。」
はぁ、ため息がでる。
『毎日行かなければいいんじゃないの?』
王都で新しく出来た友人にすら、『毎日ヒムロの家に行くからだ』と指摘された。
だけども、行かないという選択肢は存在しなかった。
否、あの家にずっといるなんて耐えられない。
こうしてごろごろ過ごすことすら出来ないのだから。
「なんでパパはあんな人と再婚なんてしたのかしら。」
おかげで家にはいられない。
すっかり、お見舞いを口実にヒムロの家に避難する構図が出来あがってしまった。
ヒムロもヒムロで悪いのだ、毎日訪れる私に嫌な顔をひとつもせず。
むしろこちらの話を1から10……いや100まで聞いておいて反対意見もお叱りもなにもない。
気楽に来れてしまいすぎる。
「優しかったお兄ちゃん達もすっかり手のひらを返しておばさんの味方。
なーにが今まで甘やかしすぎた、よ!」
「そうか。」
「私のやること何から何まで叱ってきて! 絶対に私が気に入らないだけよ! 嫌になるー!」
「……ん。」
「私、間違ってないわよね!」
「……答えていいのか。」
「あ、待って。説教は嫌だわ。」
もしかして、ヒムロも思っているのか。
ワガママ言わない、お母様も貴方の事を思って厳しくしている、貴方も譲歩すべき点はあるだろう。
そんな言葉が、出てくるのだろうか。
「君は分かっている。なら後はタイミングとやり方だ。」
……。
「なにを?」
「……焦る必要はないということだ。
逃げが必要なら、逃げる。
それは君の強さであって、間違いではない。」
「もしかして、慰めてくれてる?」
「好きに受けとって構わない。」
そっか、間違いじゃないのか。
3人の兄達とは年齢が離れている。
本当の母親は私を産んで間もなく亡くなったと聞いている。
だからだろうか。
兄達も、父も、私を大層可愛がってくれた。
むしろ今までが甘やかしすぎた、と言われるのも分からなくはない。
けど急には変われないもの。
こうして逃げ回ってしまうのも、仕方のないことだったのかもしれない。
うん、よく分からないけど。
これからのことはゆっくり考えれば、いいのだ。
「ヒムロ」
「なんだ。」
お礼を言おうとして、やめた。
きっと『礼を言われることはしていない』と返されるに違いない。
だから、今はこう言葉を紡ごう。
「学校が始まるの、楽しみだわ──。」
「ああ、そうだな。」