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嗅ぐ女  作者: 七月 夏喜
第1話 存在意義
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その7


 そびえ立つ黒いマンション街を、ある男と女が歩いていた。冷たい夜風が、建物との間から乾燥させた音を立てて通り過ぎて行く。男はロングコートの襟を立てた。見上げた夜空には星が見えない。


「深夜の街は何か物憂げで、美しい」


「あのマンション」


 茶色のブレザーと赤と黒の格子模様のスカートを翻して、女子高校生は楽し気に呟く。


 男はそのマンションに目を凝らした。幾つかの窓に明かりが点いている。隣の少女は男に寄り添いながらゆっくりと腕持ち上げ、人差し指で指し示した。上階から数えて三つ目だ。


「行くよ」


「待ってよ。あの人は、一体何者なのか教えてよ」


 一歩踏み出そうとした男に少女は声を掛けた。少しだけ顔を向けたが、目はマンションに戻る。青く光る少女の瞳は恐ろしいくらい鋭く凝視していた。


「人の精神へアクセスできる能力を持っています。しかしこれまでまともな知識が無いまま、使ってきたようです」


「だからバスであんな暴走を」


 バス車内での蜂騒動を思い出して、愉快に少女は吹き出す。


「彼女の能力はそれだけではありません」


「一体、どんな?」


 男は一旦考え込み、顎に手を当てる。


「発声なくとも、心で会話や人の考えを読み取る者は存在します。だがそれは言葉として外界へ発せられない声を感受しているに過ぎないのです」


 『森川 茜』は、不思議な顔で『諸星』を見つめていた。


「『吹雪 楓』は違います。受けるだけではなく、人の本性、つまり心の秘めた深層心理の根幹部分まで能動的アクセスすることが出来るのです」


 黄色点滅している信号機を眺めながら、茜は眉間に皺を寄せる。


「更に彼女はその心を操る力も有している。本人の意志とは無関係に、行動を変容することが出来るのです」


「念動力とは違うってこと?」


 頷いた男は深く考え込み、瞳の奥に隠している記憶を甦らせていた。刹那、眉間に皺を寄せた諸星は震える右腕をゆっくりと擦る。


「怖いわね。でも何故、そんな事を知ってるのよ」


 不満な顔をして茜はマンションを見上げた。


「逢ったことがあるのです。随分前にね。そしてもう一人、その絶対的な力を知っている者がいます」


「その人が一緒にいるのね」


「恐らく」


 不気味な眼光を放ちながら、擦っていた男は腕組をする。


「私たちの、敵?」


 彼女は口元に人差し指を当て、薄微笑みを浮かべた。


「そうですね。敵です。だが吹雪楓は無傷で捕えたいですね」


「あ、そう。でもちょっとくらいは、いじめてもいいんでしょ」


 嫉妬に似た言葉で、あどけない表情の少女は返す。


「程々にして下さい。僕にとって大変、重要な人ですから」


「ふーん」


 彼女は両手を頭の後ろで組み、素っ気ない返事をした。


「あなたにとって、大事な人?」


 男は振り返らず、背後の少女の言葉を噛みしめ歩き出す。突然彼の腕に茜はしがみついた。


「私は?」


「もちろん君はこれから重要な役割がある。大切なパートナーですよ」


 諸星から目を逸らし、少女はマンションを見つめる。


「ふーん」


 少しだけ茜はため息をついた。




 二人の向かう先に、三人の男達が立ちはだかる。


「ちょっと、お兄さんたち。お楽しみのところだと思うんだけど」


「は?」


 茜は素っ頓狂な声を上げた。男三人は諸星と茜を取り囲む。


「その娘、高校生? あんた、いけないなぁ、こんな深夜に」


 茜の背後にいた細身の男が舌舐めずりしながら腕を掴もうとした。だが男が目視した場所から直前に移動し、当てが外れた手は空を切る。


「よう、兄さん。この場納めるには出すもん出しな。可愛い娘に、いいとこ見せなよ」


 筋肉の塊のような大柄な男が諸星を値踏みして言った。


「そうそう。この娘もそう、言ってるぜ」


 ニヤついている男たちに、諸星は声量も表情を変えずに向き合う。


「お言葉を返すようで申し訳ありません。あなた方こそこの場から立ち去って欲しいのですが」


 大柄な男は静まりかえるマンション街に、反響するほどの大笑いする。


「いやいや、大したナイト様だ。恐れ入った。女の前で意気がっているのはわかるが、痛い目見るぞ」


 太い右上腕の筋肉を盛り上げ、岩のような大きな拳を振り上げた。


「そうですか。一応、忠告はしましたよ。仕方ありません」


 茜はしつこく手を出してくる細身の男に、手を焼いていた。


「立派な台詞だな。しかし、男三人に囲まれてんだぞ。どこからそんな口が聞けるのかい」


「数で勝負ですか」


 いったん目を閉じ、諸星は瞳を大きく見開く。その直後、茜のそばにいた細身の男がその輪からいなくなっていた。そしてそれは、奇怪な叫びと共に近くのビルの壁に顔から衝突する。潰れたスイカのように頭部から血が吹き出した。


「ほら、二人になりました」


 諸星は一切動いていない。手も振り上げていない。じっと大柄な男を見据えていただけだ。


「何だと!」


 今度は大男のそばにいた茶髪の男の足元が地面から離れた。浮いた状態のまま不恰好にばたつく両上肢が、本来向かないはずの方向へ折れ曲がる。声にならない悲鳴を上げ、体はそのままビルの窓ガラスを突き破った。


「ど、どう、なっている!?」


 大柄な男の思考は事態の急変についていけない。


「どうもしてませんよ。あなた方が目の前にいる。それは僕たちの計画を邪魔している。それを排除している。ただ、それだけです」


 戦慄く男に諸星は近づいた。諸星の不吉な表情は、体格の差があることすら微塵にも感じさせない。その顔は冷淡に微笑を作った。


「僕はこんな低俗な事をしたくない」


 大柄な男が情けない声を上げて彼の足元に転がる。その頭部を諸星は靴で踏みしめて、溜め息を洩らした。茜がその横で青い瞳を光らせ、唇を人差し指で再び触れる。


「吹雪楓たちが、そろそろ気づくよ」



第2話に続く

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