その9
「鬼の動きが止まった」
今にも階下へ落ちそうなフロアーから、睨みつけている桜子は呟いた。
精気を抜かれた様に停止した鬼は、口をあんぐりと開けて白煙を吐く。九つの眼球から灰色の涙を流しながら脱力して膝から崩れて床を突いた。同時に金色の棘が緩んで泡となって消えていく。捕らえられていた楓の体が空中を游いだ。
「楓!」
桜子は崩れた空間へ跳躍して、落ちてくる楓を体で受け止める。
「だめ、桜子さん! 落ちる!!」
茜は悲鳴を上げた。跳び出した空間はフロアーに戻れない距離だったのだ。満身創痍の楓を空中で抱きとめて、落下しながら女は呟く。
「失くさない、もう」
力尽きかかっている鬼に灼眼と手掌を向けた。黒髪を放射状に広げ、その全体から爆裂した烈火を放つ。
巨大な火の玉が直撃した醜い黒い腹は、大きく凹んだ。衰えを知らぬまま燃え盛るそれは、衰退していく鬼を炎で包む。奇怪な声を張り上げる口からも火が洩れた。跳ね返ってきた爆風の勢いで桜子と楓は、ガラス窓を破って三階下のフロアーへ飛び込む。直後、大きな爆発が起こった。
膝をついた鬼は一気に焼失し始める。断末魔の叫びが、凍りかけていた闇夜に響いた。まるで全ての邪悪なものを道連れにしていくかのようだ。次第に鬼の体は小さく収縮してゆき、あれほど巨大だった存在は目に見えなくなる。そして異次元空間へ逃げるように消えていった。
裂け目が塞がると空間は元の状態を取り戻す。明るい静かな月夜の星たちが、何事もなかったかのように光り輝き始めた。それはいつもよりも天高く煌びやかに映る。
桜子はその光景を見ながら、抱き留めている女に呟いた。
「戻ってきなさい、楓」
遠くから茜の声が聞こえている。笑顔で大きく手を振っていた。
ふと、髪に触る弱々しい指先が何かを求めている。
桜子はその手を優しく取り、握り返した。
最終話へ続く




