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嗅ぐ女  作者: 七月 夏喜
第8話 それぞれの意志(後編)
53/63

その8



『我を、呼び覚ますのは、誰だ……』



 月が隠れた闇夜の更に異様で不穏な空間に、その声は響いた。



『……我を、起こすか』



 空間の裂け目を大きな黄色に変色した尖った爪先が広げていく。やがて巨大な九つの目を持つ頭が、空間から這い出ようとしていた。額の巨大な一角は鋭く闇夜を突いていく。



『……我を起こすは、誰だ』



 鬼だ。


 邪悪な鬼だ。


 巨大な邪悪な鬼が上半身を覗かせている。鈍い灰色の異形の塊が、そこにいた。


 大きな目玉はビルの最上階の様子を伺う。鬼は顔をそこに近づけてきた。ガラスのような眼球にはその戦いを伝えるべく、無数に散らばった目玉たちの残骸が映っている。その中心に狂った獣は直立し、薄笑いを浮かべながら睨んでいた。


 鬼は巨大な目玉で凝視する。やがてその眼球が金色に光り出した。

 醜い奇怪な叫びが、夜の亡者どもを呼び覚ますかのように木霊する。上半身だけ出していた体を持ち上げ、空間を更にこじ開けようとしていた。



『この世の、選ばれし者か』



 金色に光る目玉は獣を威嚇する。荒い鼻息が、臭気となって獣に注いだ。それがまるで合図だったかのように獣を奮い立たせる。飛び出した赤い棘は野獣の意志と連動して、一直線に飛び出した。だが大きな鬼の手掌の前には攻撃よりも抵抗すら出来ない。獣は紙切れのように、吹き飛ばされた。ビルの一角の鉄骨が崩れ落ちる。



『選べ、この世の終わりを』



 裂け目から抜け出した躯体はビルよりも高く、それまでの異形とは遙かに違っていた。直立する九つ目の鬼はビルを見降ろす。先ほど吹き飛ばした獣を、再び睨んでいた。



『選べよ、この世の行く末を』



 横たわっていたそれは素早く起き上がり、初めて身構える。



「エ、ラ、ブ……」



 もう一度、巨大な手掌が振り降ろされた。しかし獣には当たらない。その太い腕に飛び乗って、走り昇っていく。金色の眼球がそれを追い、腕から何本も鋭利な黒い棘が飛び出した。獣の赤い棘は、呼応するように応戦する。全くの同じ動きを見せていた。だが少しずつではあるが、赤い棘が押されていく。力の差が出ていた。獣は上腕まで辿り着く。牙を剥こうとした時だった。


 鋭い黒い棘は、確実に赤い棘を裂きながら体に突き刺さった。獣の動きが鈍る。だがまだ前に、進み続けていた。息を付かせず、更に複数の棘が刺さり続けた。体中から血が吹き出し、肉体の痙攣が起こる。



『うぬは、選ばれし者ではないか』



 複数の黒い棘は、小さくなった獣を眼前まで持ち上げた。その姿はまるで十字架に張り付けられているようだった。


 全身の痙攣の後、荒れ狂っていた獣の動きが停止する。深い吐息と共に、静かに瞳の精気が消えていった。



第9話に続く


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