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嗅ぐ女  作者: 七月 夏喜
第7話 それぞれの意志(前編)
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その5


「楓!」


 体を激しく揺さぶられるような声で、楓は気が付いた。ぼやけた視界の中にシバサキの姿がある。


「大丈夫なのか!」


 楓は身体を震えさせながら、口元が何かを語っていた。その強ばった顔から、男は全てを伺い知る。


「封印を……、解いて。そして、みんなを連れてここから逃げて」


 鉄椅子に座る桜子の薄笑いが聞こえていた。『死に人』の緑光勾玉が光り始める。


「楓、……おまえ」


 シバサキは憔悴しきった顔が、また別の表情を見せていることに気が付いた。


「翡翠さんは桜子と共に蘇った。桜子の中で逢ったの」


 瞳を大きく開いた男は困惑ではなく、むしろ納得する。


「桜子の中に、田山翡翠が。諸星が探していた、あの伝説の予言者。やはりあの地に居たんだな」


 眉間に皺を寄せて女は小さく頷いた。 


 桜子を『死に人』として蘇らせる事が、男の目的だったのか。しかし、その行動も田山翡翠が自分に逢うためには必要なことだ。彼は三百年前に死んで、そして甦った。それが運命の選択だった。


「だが、封印を解けば、おまえは……」


 研究所の過去を知るその不安な顔のまま、再び頷く。


「それでも」


「俺はいったい、今まで何をしてきたのか」


 握り締める拳に血管が浮いた。シバサキの念動力は鋼鉄の柵を捻じ曲げる。だがそれはほんの少しだけで、身体を通り抜けさせる幅もなかった。


「全部、ずっとこの日に繋がっている。私はあなたに会わなければ、ここには居なかった」


 不器用なほどの笑みが溢れる。




 大きな嘲笑が室内に響いた。


「無駄ですよ。その柵には能力を半減させるように仕組んであります。この子達を使ってね」


 その音は甲高く、反響、共鳴し、鉄の塊を一層冷やしていく。


「おめでとう、楓。よく戻ってきました。恐らく田山翡翠から重要なことを教えてもらったことと思います。実に僕は幸運の女神を手に入れたことになる」


 諸星はシバサキの足元に立ち止まった。


「貴様、ネフロと茜に一体何をした」


「役に立たない者を、排除したまでです。あっけなく二人は逝きました。自業自得です」


 振り向いた諸星の視線の先には、十字架にはりつけられたようなのネフロと蠢く黒い塊が転がっていた。


「田山翡翠との融合で、桜子が以前とは比べようもない力を含んでいることも合点がいきます」


 桜子は楓とシバサキ二人を無言で見据える。


「田山翡翠が死んで、三百年。彼がこの世に再び甦るには、桜子の力が必要だったのです。桜子もそうですけどね。しかしどうやって甦り、桜子と融合したのかは、その過程は理解の範疇を超えて不思議です」


 ゆらりと諸星がシバサキを張り付けている格子状の鉄柵を抜けて来る。


「桜子。シバサキはこんな男です。君の事を忘れていますよ」


 冷淡な瞳で、桜子はシバサキを見つめていた。


「桜子、忘れたのか。おまえが、何のために死んだのか。諸星に騙されるな」


 ゆっくりと女の視線は楓に注がれ、冷ややかだった目に澱み無くはっきりと映る。 睨らむ男は楓も通り過ぎ、桜子の傍に立った。


「桜子、おまえは死んだんだ、俺の銃で。恨むのなら、俺を恨め。楓には関係ない」


 笑い顔の諸星は呟いた。


「本当に騙しているのは、どっちと思いますか。僕は君を利用しようとしている。これは事実です。嘘も言ってはいません。僕の目的は世界を手に入れること。そのためには、二人を利用したいのです」


 次第に夜が漆黒に更けていく。


「君が慕うシバサキは、誰よりも君を愛していたことを、僕は知っていますよ」


 諸星は桜子の肩に手を置いて、ゆっくり女の耳へ口元を近づけた。


「あれだけ敵意があった吹雪楓を今は守っています。誰に嘘をついていると思いますか」


 怪しい暗雲が空を埋め尽くしていく。桜子の目は標的を逃すまいと楓を釘付けにした。


「桜子、君はどうしたいのですか」


 細く柔らかな黒髪が女の顔を覆い隠している。


「……殺す」


「そうです、桜子。いい意見です」


 唇を噛む楓は二人を睨み返した。研究所で見た記憶の顔とは違い、知的さはなく、静かな憎悪の形相だ。


「だが。殺すのはシバサキだけにして下さい。楓は君と同様、必要な人材なので生かして欲しいのです。全てが終わった段階で、どうにでもしていいですから」


 諸星は吹き出し、苦笑しながら訴えた。冷淡な瞳を桜子は寄り添う二人に向ける。その透き通る黒い虹彩がゆっくりと朱色へ変色した。


「全てを、焼き尽くす」




第8話に続く

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