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嗅ぐ女  作者: 七月 夏喜
第7話 それぞれの意志(前編)
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その2



 冷たいエレベーターの中で赤いスーツのネフロは、ハンカチを取り出して鼻にあてた。


「あなたは相変わらず、とんでもない馬鹿なことばかりしゃべっている」 


「ね、ネフロ」


 諸星の素性を知っている茜は青ざめた顔をする。


「ああ、君もいたのですね、ネフロ。気配があまりにも薄くて、今まで忘れていましたよ」


「ふん。あなたのおままごとに、これ以上つき合うなんて、ご免」


 ハンカチごと手を振って、ネフロは怪訝な顔をした。


「仕方ありませんね」


 男は口元を静かに吊り上げ、ゆっくりとエレベーターに近づいていく。同時にネフロも白いエナメルの靴音を鳴らして前に出た。


「ネフロ、気をつけろ!」


 金属の摩擦音を鳴らして、格子状の鉄骨が揺れる。天井から降りてきた楓との空間を分断する格子の側で、動けないシバサキは叫んだ。


「もともと楓以外は必要ありません。この場から抹殺しましょう」


 冷血な諸星の目が茜に向けられる。


「取りあえず、ネフロと茜。君たちです。桜子、そちらは任せましたよ」


 戦慄く女はエレベーターの壁に手足を貼り付けられる。と、茜の前をネフロが覆った。


「相変わらず、酷い人ですね、仮にも一緒だった仲間をこんな風に扱うなんて」


「とんだ言いがかりです。勝手に裏切ったのは、恐れをなした君たちではありませんか」


 眉間に少しだけ皺を寄せたその顔のまま、諸星は能力を発動させる。


「あああ!」


 ネフロの背中にいた茜が大きな悲鳴をあげた。女の腕が壁から離れてある方向へ動いている。その両手はネフロの頸を鷲掴みにした。


「ネフロ、もがいて哀れに死になさい」


 茜のか細い手にこれまでない血管と筋が浮かび、籠る力は男の頸部を絞め上げていく。ネフロは茜の手首を掴んで引き離そうとした。


「こ、小娘……。これが、予知した事、だったのね」


「嫌! やめて、お願い! 止めて、諸星!」


 その言葉とは逆に女の手は、まるで屈強な男が乗り移っているかのようにその獲物を離さない。


「裏切り者への当然の報いです」


 ネフロの顔から血の気が引いていく。


「さあ、ネフロ。君が助かるには、茜を殺さなければなりません。彼女はもう自分自身をコントロール出来ません」


「ア、『アクティブ・アクセス』……」


「楓ほどの力はありませんが、一人くらいなら何とかなるでしょう」


 茜が絶叫している。表情とは逆に力強い腕が爪を立てて、男の細い首を絞めあげていた。


「どうしたのですか、ネフロ。このままでは本当に茜に殺されますよ。まさか君はこの哀れな女に同情しているのですか」


「ネフロ! 私の手を離して!」


 茜の腕をもう一度男は掴む。


「小娘、あ、あんた、なん、かに、殺されて、たまるもの、ですか……」


 泣きじゃくる茜の腕は、ネフロの首に確実に爪先を食い込ませて絞めあげた。


「だめ、止めて! 止めてよ、諸星!!」


 食い縛る男の口から泡が噴き出し、握りしめていた手が力無く下がっていく。


「ネフロ!!!」


 女は力の限り叫んだが、床に膝を付いた者からの返答はなかった。


「案外、呆気ないものでしたね」


 震える茜の手がようやく解放される。女の目前から膝を付いたままのネフロは、顔面から床に落ちて転がった。


「嘘、でしょ……」


 精気を失った目は上を向き、開いた口からは唾液が流延している。あれだけ清潔を保っていた男が、今は汚く哀れな姿となっていた。


「……あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ!!」


 唇を震わせ絶叫し、茜は腰を抜かして床に座り込む。


「君はいい経験をしました。立派な能力者はこうであるべきです。威厳高く、自己の信念を貫く。踏み台となる死をしっかりその胸に刻みこみなさい。世を新しくするには、犠牲はつきものです」


 腕組みしたまま諸星は満面の笑みを浮かべた。


「こ、殺すことが、威厳なの」


「今まで君は僕と一緒にいて、何を学んできたのですか」


 諸星はゆっくり近づいてくる。彼女は恐怖し身を硬直させた。


「君はついこの間まで僕の隣にいたはずです。人が悲鳴を上げながら、哀れに潰れていく様を見ていたじゃないですか。今の台詞は聞いたことがありません。違うとは言わせませんよ」


 諸星はネフロを跨いで、座り込んでいる茜の前に立ちはだかる。片手で髪を持ち頭を引き上げた。否が応でも女の顔は諸星に向けられる。睨み付ける茜は抵抗するも、その尖った顎と頬を捉えられた。


「触らないで!」


 両手でそれを振り払う。


「ほう。随分と君らしさを失いましたね」


 男の右手は今度は茜の首を鷲掴みし、そのまま一気に上体を持ち上げた。


「『吹雪 楓』といたからですか」


 女は悶えながら両手で諸星の手を掻き毟る。


「だが君は彼女の正体を知らない。教えてあげたいところですが、君にはもう時間がありません」


 小柄な体が次第に浮いていき、最後は足先が床から離れた。


「君には、もう少し能力者としての躾が必要でした」


 女の頸部を掴んでいる諸星の右手に血管と筋が浮かび上がる。


「君さえよければ、僕の元に帰って来ても差し支ありません。今度こそ、しっかり調教してあげますよ」


 茜は渾身の力で頭を諸星に向け、唾を吐く。それは男の頬に付いて滴り落ちていった。


「もう……、能力者、ごっこ……、なんて、……しない」


 少し目を見開いた後、男は微笑する。


「つくづく君は愚かです。そうですね。お別れしましょう」


 形相を変えない表情の中に残忍さが浮かんだ。右手掌の異様な膨らみが血管を食い破る。


「ネフロと共に、逝きなさい」


 遠のく意識の中で楓の声を聞いた。それが響く室内で、茜の言葉は空を切る。


 その時、諸星の両腕の力が緩んだ。背後から羽交い締めに合って動きを制止されていた。茜は床に膝から倒れ込んで転がり、激しく咳込む。


「全く、懲りない男ですね」


 更に強く締めあげる。


「こんな小娘ごときに、むきになるなんて……、低俗な男」


 茜は見上げた視界の中に、乱れたスーツの男がいることを認知した。


「あなたの、アクティブアクセスなんか、弱すぎて、茜の意志を、コントロール、出来てなかった」


「なるほど、もう少し精進しなくてはいけませんね。君がこんなにも強かったとは意外です。賞賛に値します」


 危機感のない淡々とした口調で言い放つ。


「しかし『嗅ぐ』ことだけの男に、これ以上何が出来ますか。君なぞ、脅威ではありません。愚かな行為ですよ、ネフロ」


 そう言い終わるとネフロの体は男から離れ、シバサキがいる鉄格子の壁に向かって吹き飛んだ。



「ネフロ!」


 未だ体を硬直させているシバサキは叫ぶ。剥き出している鉄骨は絡むように全身を締め上げた。体は動きを失い、口から舌がだらりと垂れる。


「もうやめろ、諸星!!」



 歩み寄る形相を見て、再び女は怯えた。その右上肢は不自然に蠢いている。それは男とは無関係に別の意識体が存在していた。


「茜、最後のお願いです。この子たちが歓喜し過ぎて、もう僕の意志ではコントロール出来ないです。だから、君の体をくれませんか」


 その隆起した黒い腕から黒い目玉が幾つも浮かぶ。それらは四方八方に眼球動かし、女を物色するように睨みつけた。


「ほら、君も知っているじゃありませんか、この子たち。懐かしいでしょう」


 茜は恐怖で顔を引き吊らせて目を見開いた。


「い、いや……。近寄らないで」


 逃げようと手をばたつかせるが、行き場のない壁に当たる。


「さあ君の体をこの子たちに食べさせて欲しいのです。最後の僕への償いです」


 踊る黒い手は茜の足首を掴んだ。奇怪な声が再び鳴り響く。黒い目玉たちが一斉に蠢き、諸星の腕を食い破って這いずり出てきた。


「茜、君は自分の事は予知できません。この修羅場がわかっていたら、ここに来ましたか。自分の能力をしっかりと呪いなさい」


 粘性を帯びたそれは、茜の足に絡んできた。両足で蹴り返すが離れない。


「痛い。あ、足が……、しびれて、動けない」


 強烈な感覚麻痺が突き抜け、絡まれている足を動かすことが出来なくなった。黒い液体が下腿から大腿部を覆い、腰を飲み込み上半身へ這い上がってくる。


「た、たす……け、て」


 それは瞬く間に胸を隠し、息をつかせず全身全てを飲み込んでいった。



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