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嗅ぐ女  作者: 七月 夏喜
第6話 終末への序章
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その5



 その超高層ビルは、都心より少し離れた小高い丘の上にあった。昨年まで建設中だったが、現在は中止になっている。ただ一階に当該ビルの事務所が管理として存在しているだけだった。


 この場所へは茜の能力が導いている。『死に人』の出現以来、弱りかけていた予知能力は精度を増し、内容の正確さや予知時期がコントロール出来るようになってきていた。


「この屋上に二人は待っている」


 茜は顔を上げ指差した。辺りは暗闇に包まれ、必要以上に静寂な空間が存在している。


「本当に、ここなんでしょうね」


 ネフロは淡い黄色のハンカチを鼻にあてて訊き返した。


「当たり前でしょ。はっきり見えたんだから。最近、かなり正確なんだから」


 振り返ってネフロを睨む。ハンカチでその視線を払い除けながら男は鼻で笑った。その瞬間、茜の顔が凍り付く。


「何よ、何か付いてる?」


 男は不可思議な表情をした。戦慄く茜は頭を大きく振る。


「あんた、これから、気をつけて行動しなさいよ。良くないこと……」


 ハンカチを振るネフロから目を逸らした。


「あるかもしれない、から」


「小娘、今から敵に立ち向かおうとしているのに、萎えること言わない」


 茜の顔の変化に男は十分気づいている。


「憎らしいけど正直ね。しかし予知は所詮、未来の出来事。まあ、気をつけましょう。そうすれば、先は変えられるんでしょ」


 もう一度ハンカチを鼻にあて陶酔した瞳を魅せた。


「う、うん……、多分」


 予知が無くとも、これからそう上手くいかないことはネフロにもわかっている。

 相手は悪魔に魅了された諸星、楓と刺し違えた『桂 桜子』なのだ。


「私からも忠告してあげる」


 少し冷ややかな眼差しに、茜は少し緊張して身構える。


「……な、何よ」


「攻撃力の無いあなたは、ここで待っていなさい」


 大きな壁が突然現れたように、女の体が硬直した。


「茜、あなたの弱点は自分自身の予知が出来ないこと。それは自己防御も無いことと一緒」


「わ、私だってやれるわよ。心配されなくても、あんな男なんか」


「無理。足手まといよ」


 茜は拳を作って振り回すが、ネフロの顔は笑っていなかった。


「私の予知で、みんなを危険な事態から回避することを教えられるじゃない。ねぇ、楓さん」





「諸星は茜ちゃんも許さない。攻撃出来なくても、一緒にいた方がいいかも知れない」


 やり取りを見ていた楓はネフロの顔を確認する。男は頷いた。


「ただ茜ちゃん。ここから先、あなたを守れる自信がないの。自分のことでいっぱいで……。ネフロ、お願い」


 顔を青くした楓は努めて笑顔を作った。困惑した顔に茜の行動も小さくなっていく。


「ほらほら、何、情けない顔してるのよ。自分のことは自分でやる。小学校でも習うでしょ。そういうことよ、小娘」


 背中を叩いてネフロが皮肉った。頬を膨らせながら、しかし只ならぬ楓の緊張感を悟る。




 能力の目覚めや向上には、それに合うだけの代償も必要だ。場合によっては、自分自身に振りかかる危機の増大や身を犠牲にしなければならないこともある。


 その能力が高まり過ぎたために、自己の覚醒は甚大な事故と災害を引き起こし、桜子の死によって封印されていた。自分がどうやってあの出来事から生き残っているかは未だに不明だ。しかし今日まで大事おおごとも無く、平静に保っているのは兇暴な精神が取り除かれているに違いなかった。そしてそれは桜子と共に有るのだとも思う。もしその能力が解放されれば、またあのような凶暴さが現れてしまうかもしれない。桜子が蘇った今、その存在自体が自分とって脅威だ。


 その桜子がここにいる。諸星の『臭気』とは別種の、邪悪だが『透明な臭気』が嗅覚を刺激している。『死に人』として蘇った桜子の精神はまだ不完全であり、様々な情報の断片が漂っていた。その中に暴炎火柱に焼かれている獣の自分がいた。二人が争った研究所の残臭から感じとった記憶の断片で見た光景だった。


 争いになれば、閉じこめられている力が再び解放されるだろう。諸星はそれを願っている。逆に言うと桜子を止めるには、皮肉にもそれが唯一の手段ということになるだろう。


 でも桜子に、これから一体何をさせようとしているの……。



 これまでにない程の、凛とした冷たい夜風が吹く。足元の落ち葉を舞い上がらせると、それは高く暗闇に消えていった。


「諸星が手招きしてやがる」


 建物を見上げるシバサキは忌々しい顔をする。


「それと、桜子も……」


 隣に並んだ楓も、そうポツリと呟いた。



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