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嗅ぐ女  作者: 七月 夏喜
第6話 終末への序章
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その2


 仄暗い室内は淡い微かな明かりだけが灯っていた。女記者は足元に注意して歩き出す。床は水気があり、足元から水が撥ねる音がしていた。進むに連れて部屋の熱気が高くなり、体が汗ばみ始める。女は首元を緩めてコートを脱いだ。それでも汗は額や首に滲み出す。女記者はそれが真相へ迫る高揚した興奮か緊張から来るものだ、と思っていた。

 

「さて、あなたですか、僕と会って話しをしたいという人は」


 ゆっくりとした口調が室内に反響する。声が聞こえてくる方向を探りながら、女性記者は慣れない室内を見回していた。


「あ、あの! お聞きしたいことがあるんです!」


 興奮している状態が思わず声を上げている。


「まあまあ、コートはそこ置いて下さい」


 逸る気持ちを抑えるように、コートをすぐ隣の台の上に静かに置いた。ポケットからスマホを取り出す。


「話はわかっていますよ」


「では、単刀直入にお訊ねします」


「どうぞ」


 暗闇の中に一瞬、沈黙が流れた。


「最近起こっている失踪事件は、この『出逢いの会合』と何らかの関係がありますか」


 椅子の軋んだ音が鳴る。


「責任者のあなたなら、ご存知のはず。一体、この中で何が行われているんですか。もし何もなければ、納得のいく説明をして下さい」


「納得のいくですか」


 声の主が座っていた椅子の動く音に、女は鋭く反応した。


「私たちには知る権利があります。そして、知らせる権利も」


「なるほど……」


「先程、編集長にメールを送りました。私の安否を確かめる手段は講じてあります」


 本能的な危機感が声を高める。


「もし私が失踪した場合、警察への通報は勿論、ここのことを調べた記事を雑誌に掲載します!」


 女は頭を左右に振って、男の居場所を探していた。その顔が彼女のすぐ側に並び出てくる。


「ひっ!」


 表情を堅くして顔を引き吊らせた。暗闇に慣れてきたその目で男の顔をようやく判別する。

 そして女は何かに気が付いた。


「あ、あなたはもしかして」


 仄暗い照明の中、男は微笑む。


「あなた、僕を知っているのですか」


「私、別の事件についても調べていました。X村で起こった不可思議な『人間の焼失事件』です」


「ほう。それは興味深い」


 意を決したように言った言葉に興味が湧いたらしく、男が再び軋む椅子に腰掛けた。


「教えて下さい」


「X村の山林の火事です。私の友人がスマホで動画を撮っていて」


「確か、ネット上でも流れていましたね」


 幾分か男の声に弾みが伺えた。


「動画が公開される前に、私に相談があって見せてもらったのです。あの映像の前後を。それにはあなたに似た男性と、もう一人女性が映っていました」


「それで」


「女性の手から、その……、火柱が上がって。辺りが真っ赤になって焼き尽くされて……。最後は火の玉が」


 恐怖を堪えて発する女の声が、空間に異常なほど震動を伝える。


「最初は、冗談かと思いました。あんな出来事……、信じられない。でも……」


 思い返したくないものが、頭から無理に飛び出して来ないように、額に当てた指先に力がこもった。だが一度焼き付いたイメージは簡単に消すことなど出来ない。


「あれは、作りものなんかじゃない。人が……、燃えていた……。火だるまから叫び声が、聞こえて……」


 小刻みな手の震えのまま、そのスマートフォンを男に向けて問題の動画を再生する。


「確かにそれは僕でしょう。実は恥ずかしながら、この時失神していて出来事を覚えていないのです」


 男は腕を組んで静かに唸り、ひとつ咳払いをした。


「でも……、幾ら何でも、これは酷すぎる」


「反論させてもらえば、これは正当防衛と言わざるを得ません。私の助手が独自に判断して行ってしまったことなのですが、彼等のような暴漢に襲われ、身の危険を晒したのは事実です。結果的に彼らはこの世から消滅したのですが」


 男は何かを思い出したらしく、笑いを含んで少し吹き出す。


「それにしても、その映像をよく一般公開しませんでしたね。それが公開されれば、僕はここにはいなかったかも知れません。まあ、一応ですが」


 女記者の刃のような目が男を睨みつけた。


「公開なんて出来る訳ないでしょ! 目の前で人が生きたまま、焼かれているのよ。あなたいったい人を何だと思ってるの!」


「人……。人間ですか。非常に崇高で、狡猾な生き物です」


 男は静かに答える。


「まあ、聞いて下さい。断言しましょう。これは本当のことです」


 体を後方に退く女は押し黙った。


「いいですか。この動画をよく見るとそれほど手振れがありません。あなたのように震えていては、夜中この小さなもので撮影など出来ないのが現実でしょう。しかもこの画面、燃え盛る人体のそばまで近づき、しっかりと被写体を捉えています。言っている意味、わかりますか」


 仄暗い室内に対比するかのように、男の愉快そうな声と女性記者の悲痛な声が混じり合う。


「ま、まさか」


 酷寒にいるかのように膝の震えが大きくなった。


「この友人は冷静なまでに、燃え焦げていく人間を撮影していたのです。実に大した腕前です。ほら、本人の声、全く聞こえないでしょ。こんな面白いもの、友人はもう何処かのサイトで公開しているかも知れません」


 男は楽しげに苦笑する。


「そんな……」


「あなたの友人に失望することはありません。先程僕が言ったはずです。人間は狡猾である、と」


 スマートフォンが滑り落ちた音を男は聞いた。


「人の不幸を嘆くよりも、人間は欲望を満たすものです。この方は人の命よりも、人が燃えていく面白いものを選んだのです。助けもせずにね。これこそが真実なのでしょう」


「そ、そんな事って!」


「もう一つ。あなたは何故、決死の覚悟で私に会いに来たのですか」


 啜り笑いは部屋に積み重なるように充満している。


「あなたは、僕が行方不明失踪事件の犯人であると確信していたのですね。僕に会うという事は、すなわち自分が失踪者となる。けれども、それでこの会の真の目的を証明出来る。あなたは選んできたんですね」


「認めるんですね」


 女性の声には張りがなかった。


「認めましょう。あなたの欲望は自分の身を犠牲のすることで達成しました」


「私の命を奪うつもりですか。あなただったら、そうするでしょう。自分を守るために」


 その場にこれまでとは違った空気が、冷気のように張りつめる。


「まさか。僕はそんな非情な男ではありません」


 響いていた男の声が一つになり、再び立ち上がった。ようやく慣れてきた灯りの下で、向かってきた表情の変化を判別すると、女性の顔が引き吊る。暗闇から出てきた顔は、明らかに人間とは思えない異様な形相をしていた。


「あなたの命を絶やすことに価値はありません。それよりも自分自身をもっと崇高な存在にしませんか」


「言っている意味がわかりません」


 ふと女は自分の腕に取り巻く、光る何かを見つける。無造作に触った指先が切れて血液が流れ出した。いつの間にか張り巡らされているそれは、蜘蛛の糸のように手足に絡んでいる。


「生まれ変わるのです。遠慮は要りません。人間は欲の塊です。費やせど、減らすことの出来ない美しくも醜悪な欲望がこの世には充満しています。だからあなたがその虜になっても恥じることはありません。それは人間だという証なのですから」


 女の体が不自然な動きをした。


「な、何を、し、た」


「僕にいただけませんか、あなたのその欲望を」


 咄嗟に女はもがく。だが手足に張られた金属のような細い糸は、確実に肉に食い込んでいった。


 突然、女の喉から血が飛び散る。上腕と大腿に深い切れ目が出来ていた。男はゆっくりとその肢体に近づき、顎に手を掛けて引き上げる。虚ろな女の眼球に不吉なほど微笑を浮かべた姿が写りこんだ。


「実に美しい。この世には、欲望と儚さが似合いすぎます」


 男は右腕を女の口に差し出し、腕から湧き出た蠢く黒い目玉を喉に流し込む。戦慄き見開いたままの女の眼球が白濁した。


「安心なさい。君の体は僕が創る新世界のために、立派に働くことでしょう」


 風切る音が鳴った後、肢体から上腕と大腿は体から遠ざかっていく。ぬめりとした音を鳴らして、肉塊は湿り気のある床に落ちた。


「いよいよ、時が満ちたようです」


 床に転がるその肢体を、まるで赤ん坊を拾い上げる。男はその背後にある、丁度たたみ二畳分の茶褐色に染まる水槽に近づいて、丁寧かつ静かに浮かべた。水槽には幾つもの同じ様な物体が沈んでいる。底まで達した手足のない肢体はしばらくそのままだったが、やがて頭部から蠢めき始めた。


 男は水槽に手を当てる。そして陶酔した頬を耐質ガラス付け、ゆっくり目を閉じた。


「……美しい」



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