その2
「君は『死に人』です」
諸星は女に向けてそう答える。彼女は再び籐の椅子に座っていた。
「シ、ニ、ビト……」
先程とは違って穏やかな声を発している。しなやかに長い黒髪は綺麗に櫛でとかれていた。
「そうです。君はすでに死んでいるのです」
現状を理解出来るほど、女の脳細胞は思考することが出来ない。大きな黒い瞳を幾らか瞬いて、手を開いたり閉じたりしていた。
「茜が僕を君に逢わせてくれました」
『死に人』の復活を茜から聞いて以来、何時、何処に現れるのかは不明だった。あの駐車場で『吹雪 楓』を手に入れてから、推考しようと思っていたからだ。その計画は楓の覚醒によって失敗していた。
しかし今自分の能力からすれば、この世を変えるに単純に物理的に破壊する事は可能だ。核ミサイルを操作して主要な場所へ落としてしまえばいい。だがそれでは焼け野原の地を、もう一度開拓しなければならない。別の強力な能力が必要だ。もっと効率的に世界を手中に、意のままに操る。本人すら気づかないうちに最高中枢権限の根幹にアクセス出来る能力。
「遠隔の複数人に瞬時で同時に操る。『アクティブアクセス』」
『サイ研究所』での研究は、能力者の存在を明らかにし、宇宙規模の進化と衰退記録の存在の証明であった。世間に受け入れられるためには、軍事や政治利用への活用が第一歩だった。成功した暁には社会へ進出し、譲位有権を取ることで、偏見に満ちた世に、能力者の安全と安心の場を作ることが課題だった。
そして諸星はこの志に魅力を感じ賛同した。毎日繰り返される人間の利己的欺瞞と弱肉強食の不均等な世界、絶えまない人と人との争いの世界に嫌気どころか飽きていた。いっそ世界を無の灰にしてしまい、自分の理想郷を作ることを目指す。ある意味、男は歪んだ利己主義だった。そして楓の『アクティブアクセス』を知って、より一層その確信を持つ。更に諸星はもう一つ研究をしていた。この世の全て万物のあらゆる記憶の記録ーーーー。
「僕にこんな最高のプレゼントを贈ってくれるなんて」
元々ほんの僅かな念道力しか持たなかった。あの時黒い目玉たちに取り囲まれ喰われる寸前、想像もし得ない大きな力の流入作用を感じた。それは宇宙の孤高に満ちたオーラというべきか。出会った一つの答えがそこにあるように。気がついた時、死んではいなかった。ただ、周囲は見るも無残な光景に変わっていたのだ。絶望の淵を漂い、生きる気力さえ失いつつあった五年後『吹雪 楓』を発見した。もう一度、世界を変える奇跡を夢見た。だが女はそれまでの記憶を全て失い、普通の人間となっていた。再び楓の能力を呼び覚ます必要性を感じて計画的に近づいたのだった。
諸星は不敵に女に向かって微笑む。
「やはりこの地は、未知の『サイ・エネルギー』が増大しているのですね」
ここに訪れた時から、男は感じていたようだった。己も受けた荒ましく、膨大な意志を感じる生へのエネルギー。その根源たる原地。
「君が甦るには、相当の条件が必要だったはずです」
女は男を見上げる。
「ひとつは君個体の存在です。朽ち果てていても、骨でも爪でも髪でもいい。何か一つでも残っていれば、再生は可能です。もうひとつは、莫大な『サイ・エネルギー』。伝記によれば、この地は遠い昔に強力な能力者だった『田山翡翠』の霊媒が辿り着いたとあります」
女は返答することも頷くことも無く、男を見つめていた。無論、同意しているのはない。訳など無意味だ。
女が首から下げている緑色の勾玉が蛍光灯の下で輝いている。
「その光玉は一体何でしょうか。見れば見る程、魅了されると言うか。不思議と吸い込まれそうな……」
目が釘付けになったまま、男の意識が遠退き、思考が停止した。
目覚めさせるように、諸星の中で別の鼓動が鳴る。膨れ上がった右手が無作為に宙を奮った。目的もなく動かしている女の細い手を、踊る右手がむんずと掴む。
「そうです。いくらこの地の『サイ・エネルギー』が強いとは言え、人間一個体を完全に甦らせることなど、やはり不可能です。二つ以外に何か別のものが作用しているとしか考えられません。それが何なのか、わかりません」
今度は抵抗せず、女は不思議な顔をする。掴んでいる腕の血色が変化していた。
「血が通っている……。何故、細胞が生きているのですか」
女の手を更に握りしめた。細い指が少し抵抗する。眉間に苦痛の皺が寄った。荒れている右手を引っ張り上げ、その勢いで布団に座り込む。女は沈黙したまま籐細工の椅子に座っていた。




