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嗅ぐ女  作者: 七月 夏喜
第3話 残臭
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その8


「楓、おまえを」


 我に返った。間近に男の声が聞こえる。開け放った重厚な扉の前にいた。この地の記憶から戻ってきたのだ。


「そのままだ、楓」


 楓の後頭部には堅い銃ロが当てられている。


「シバサキ、やめなさい!」


 ネフロと茜は絶叫した。天井に向けて銃弾が一発発射される。二人の動きが静止した。


「おまえを、俺は許さない」


 男は呟く。銃口先など気にもせず、楓はゆっくり立ち上がった。


「動くんじゃない。本気だ」


 男は銃鉄を引き上げ、再度構え直す。


「シバサキ……」


 楓は振り向いて男と対時した。銃口は目と鼻の先にある。


「止まれと言っているのがわからないのか」


 胸に狙い定めてシバサキは叫んだ。


「聞こえているのか、楓」


 銃を持つ手は震えもせず、はっきりと意志を持っている。引き金に指を掛けた。だが女の言葉は止まらない。


「教えて。何故、こんなことになってしまったの。何故、私は生きているの。何故、桜子は……」


 楓は不安気な顔でその答えを懇願した。


「黙れ」


「私は、どうして……」


 苛立つシバサキは、床に銃弾を放つ。鈍い音が反響した。苦悩する楓の息が止まる。


「おまえが何故生きてここにいるのか、わからない。確かに俺は桜子とおまえを撃った。全てはあの時、桜子が終えたはずだった」


 楓は男の前に更に近づいた。


「だが、残っていたのは燃え焦げた桜子の躰だけだった。俺は亡骸をある地に葬った。それが事実だ」


 声が震えている。


「桜子はおまえの暴走を止めるために、死んだんだ」


 楓にもう一度、銃口を向けた。


「愛していたの……、桜子を」


「うるさい。あの時のように獣になれ。狂って、俺に襲いかかってこい!」


 指尖を震わせながら両手を伸ばした楓は、ゆっくりとシバサキの銃を持つ手を包む。それを自分の胸に押し当てた。


「……殺して」


 シバサキの目が戦慄きながら見開く。

 茜が何か叫んでいるが、楓には聞こえていなかった。


「私なんかが、生きていちゃ、いけない……」


 楓は銃口先をもっと胸に食い込ませた。


「また、いつ、何処で狂うかわからない。今のうちにあなたの無念を晴らして……、桜子の」


 大きく息を吸って楓は瞳を閉じる。銃が小刻みに震えていた。男の目つきが変わり、眉間に皺が寄る。瞳を閉じている楓を見つめた。


 女は柔らかな表情で素直な顔をしている。濡れた睫毛に憂いのある表情は、まるであの時見せた桜子の顔に似ていた。両手から伝わる手の温もりを男は感じる。眼前の女は、荒れ狂う冷淡な野獣ではない。暖かい血の通う人間だ。


「楓は生きるべき人間なのか、桜子。それがおまえの願い……」


 そう男が呟いた瞬間、女の後方に小さな炎が幻のように立つ。男の手の力が抜けた。


「そうなのか、……桜子」


 構えた銃が男の手から滑り落ちる。湿気を帯びた床面に鈍い塊の音が吸収された。


「……シバサキ」


 楓は再び瞳を開く。まだ両手がそのまま空を持っていた。


 茜が走ってきて、楓の体を抱き留める。力まかせにシバサキから引き離した。同時に男の体も崩れて、床に膝を突く。


「おまえが許せなかった。この世から葬り去りたかった。でも桜子はそれを、望んで、いない」


 戦慄く唇は、悟ったように呟いた。


「……生きていて、いいの」


 シバサキは楓を目を凝らして見る。


「お前は、何かをするために地獄から戻ってきた。俺が、決める事じゃない……」


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