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嗅ぐ女  作者: 七月 夏喜
第3話 残臭
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その7


 弾幕の中、楓は直立している。放たれたはずの銃弾はどれひとつも当たっていなかった。獣の血に染まった口角が吊り上がり、不敵な笑みを浮かべている。足元に赤色に染まった白衣の研究者たちが倒れていた。護衛兵の一人が唸り声を上げ、口から血を吐く。



 ……そ、そんな。まさか……。



 囲んでいた護衛兵は血飛沫を上げながら次々と倒れた。彼らは自分の胸に銃口を向け、引き金を引いている。


「これだけの数の人間の精神に、瞬時にアクセスしたというの……」


 対峙する黒髪の女の口が震えていた。


「アクティブアクセス! 人の深層下精神へアクセスして自分の思うままに操る。素晴らしい! 実に素晴らしい能力です。彼女はこの地球上において、最強の兵器となることが出来る!」


 諸星は大きく手を振り上げ、驚喜乱舞した。


 目の当たりに記憶を辿る楓は声が発せない。自分の血塗られた過去に戦慄し、立ち竦んでいた。


 ひとつ銃声が鳴り響く。諸星の頬を掠めて、銃弾は楓に当たった。狂った野獣は吹き飛ぶ。


 左脇腹の大きな傷痕を楓は擦る。身に覚えの無い傷だった。


 この傷はこの時に……。


「ば、ばかな……」


 振り返った諸星は装甲車のライトに手を翳して、天井の男を確認する。


「シバサキ!」


「諸星、こいつは生かしておいてはいけない存在だ」


 車から飛び降り、諸星に銃口を向けた。


「なんてことを!」


 忌々しい顔をして睨みつける。


「君という奴は……」


「ついでに諸星。おまえもこの世からいなくなった方がいい」


 銃鉄を起こし、引き金に指を掛けた。


「その人を殺さないで!」


「桜子」


 桜子。


 隠れるように見ている楓は呟いた。先程口を突いて出ようとしていた言葉は、これだったのだ。楓の頭の中に初めて女の記憶が映し出される。


 ―念焼力。


 あらゆる物質と空間を炎という意識体に変え、跡形もなく灰にする能力。


『桂 桜子』。


「だめだ。こんな奴、生かしておくと世界がろくな事にならない」


「や、やめて下さい、シバサキ。お願いです、殺さないでほしい。き、君と僕は、な、仲間じゃないですか」


 額に銃口の照準マーカーを当てられたまま、後退りして諸星は命乞いした。だが、シバサキはゆっくりと引き金に掛かる指に力を込める。


「研究所は吹き飛んだ。どっちにしても実験は失敗だ。お前の信じる思い通り世界なんて来ない」


「やめて!」


 桜子は叫んだ。


 突然、銃口を向ける男の心臓が、大きな鼓動を鳴らした。


「……なん、だと!?」


 銃を持つ手が、ゆっくりと諸星の額から離れていく。シバサキはその手を反対の手で押さえ込んだ。だがその方向は変わらない。やがてその銃口は自分の胸に向いていった。


「まだ、生きているのか!」


 靄の中から人影が揺れる。獣の目は一層吊り上がっていた。口元は血に染まった歯茎を見せ、牙を剥いている。威嚇する姿勢で一歩、また一歩近づいていた。


「楓、もう、やめるのよ!」


 桜子は獣の周りに火の手を上げ、行く手を阻む。


「桜子、逃げろ! 楓に構うな! あいつはもう、人間じゃない!」


 シバサキは両手で銃を押さえて叫ぶ。獣の口が動いていた。何かを唱えているようにも見える。


「人間じゃないのなら、私が殺してあげる」


 眉間に意識を集中させ、桜子は腰を低くして構えた。


 


 女が右人差し指を空に向かって伸ばすと、褐色の閃光が延びた。呼応するように獣からも紫色の閃光が飛び出す。やがてそれは絡み合いながら結びつき、矢となって天を突き刺して穴を開けた。その穴を中心にひび割れが、四方ハ方に拡大し空中が裂けていく。


 その穴から漏れ出すように黒い汚泥状のものが、滴り落ちてきた。落ちた黒いものの中に赤い目玉が幾つも動き回っている。


「馬鹿な、そんな事があるのか。あいつは桜子の力と合わせて、空に異次元への裂け目を入れたのか!」


 依然姿勢を変えられないシバサキは、ことの成り行きを見ているしかなかった。


「た、助けてくれ!」


 シバサキの銃口の先から逃げ出した男が、這いながら叫ぶ。


 落ちた黒い塊は飢えを満たすかのように男の周りに群がり、そして蠢きながら飲み込んでいった。ふいにシバサキの体が軽くなり、両手の力が自由になる。


「楓の意識が桜子に向いているせいで、俺のコントロールは薄れたか」


 振り被って銃口を向けた。だがその場所には、獣の姿はない。


 叫び声とともに空から桜子が落ちてきた。転がりながらシバサキは抱き止める。額から血を流す彼女の目は恐怖していた。


「あ、あの娘は……」


「楓! どこだ!」


 背後で大きな音が鳴る。装甲車のボンネットの上に、楓は直立していた。


「おまえ、桜子に何をした!」


 向かってくる楓にシバサキは銃を差し向けた。


「やめろ、楓!」


 銃声が鳴る。だがアクティブアクセスによって、シバサキの腕は違う方向に向けられた。三人の周囲には、割れ目から吹き出し落ちてきた黒いものが幾つも蠢いていた。その中で一際大きい赤い目玉は、アメーバから変態した異形の姿のものが静観している。


「私が止める。絶対、楓を止めてみせる。だから……」


 シバサキの持つ銃を握った。


「桜子、おまえ」


「いちゃいけないの……。こんな、普通じゃない力を持っている人間なんて」


 桜子は微笑む。


「今度、生まれ変われるなら、普通の女の子に……」


 彼女の腹部から血が吹き出した。黒いものが足にまとわりついている。桜子は楓に向き直り、唇を噛みしめる。


 桜子は飛び上がった。その手には炎が灯っている。女の体は火達磨のようになった。彼女は獣に体当たりし、掴んだ両腕を離さない。悲鳴を上げながら獣はもがいた。その彼女の耳元で桜子は囁く。


「もう……、怖くない、から」


 桜子は耳元で囁くと、楓の力が脱力した。


「あなたの力、この邪悪な力を封じ込める。この光玉に……」


 燃え上がる二人は、黒い異形たちを巻き込んでいく。それらは辺りに奇怪な悪臭を放ちながら消滅した。


「楓、また、……いつか、逢おうね……」


 銃口を二人に向けたまま、戦慄くシバサキの指が震えている。


「桜子!」


 男は絶叫しながら引き金を引いた。


 弾丸は桜子の体を貫く。女の体から光が放出され、二人を包むように収束した。その目映い光に黒いものは、消し飛ぶ。


 足元が揺らぎ、地表が割れて爆風が起きる。地震が起き、研究所を巻き込んで一帯が吹き飛んだ。何もかもが無くなった。楓も桜子もシバサキ、諸星も異形のものも、何もいなくなった……。


 辺りが白い霧に覆われていく。


 楓は目が見開いたままて、口が震えている。犯した罪の深さに戦慄していた。


 邪悪な『残臭』は自分だった。何もかも、自分が犯したものだったのだ。何故、私は狂ってしまったのか。しかし、この結末にはどうでもいいことだ……。



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