その6
ここは……。
気を失っていた楓は林の中にいた。辺りを見回すが風景には見覚えがない。そこへ人の気配を感じた。
誰か?
草むらの中から、密かで小さな足音だけが聞こえる。数メートル先に人影が見えた。
あ……。
思わず声を上げそうになる。それは高校時代の『吹雪 楓』自身だった。
ここは記憶の世界? 誰の?
楓はもう一度周囲を見回した。草木が揺れている。風が吹いていた。彼女はじっと目を閉じる。微かに残臭を感じた。
これはこの大地の記憶……。
再び、枯木を踏み締める音が鳴る。高校生時代の自分がすぐ横にいた。
この記憶はない。いったい、何をしてるの?
そう思った後、楓は言葉に詰まる。眉間に皺が寄った。両手で頭を押さえる。
私の幼少期、小学、中学高校生の時……。
楓は必死で思い出そうとした。家族、友人や先生、好きな人。孤独だと感じていたが、何もなかった訳じゃない。だが、その何ひとつ思い出せない。家族や友人の名前、住所や学校の名前や制服の格好すら思い出せない。唯一鮮明にあるのは教諭の電車事故だけだ。後は一。諸星に会うまでの記憶は無い。
ない、ない、何もない。記憶がない。
楓は頭を掻きむしる。
全く、記憶がない……。
女は記憶の始まりを探した。
いったい、私は、誰……なの。
閃光が目に飛び込んでいた。同時に、楓の前に自分が飛んで転がってくる。右上腕に深い傷を負っていた。
か、楓、あなた……何してるの?
思わず楓は手を差し伸べようとする。だが彼女は素早く立ち上がった。その眼光は獣のように荒々しく、髪を逆立てて何かを鋭く睨んでいる。その勇ましさは今の楓には存在しないものだった。目の前の彼女と同じように、閃光の先を見つめる。
天に届くかのように、赤い光が一筋立ち昇っていた。
その直後だった。大木の枝が、斜めに傾く。草が一定の方向に靡いた。
何?
爆裂とともに巨大な風が楓を更に吹き飛ばす。
木々が根から引き抜かれた。地面が抉られていく。空中に様々な植物や動物たちが舞い上げられ消滅する。そして辺りは火炎に包まれた。楓の頭の中に全てのものの悲鳴が響く。彼女は耳を塞いだ。
まるで、林の中心で核爆発が起きたかのようだ。燃え盛る中に人が歩いてくる。
いったい誰が。
黒髪を靡かせていた。ゆっくりと学生服を着た女が近づいている。
もう一人の、能力者。
その彼女は楓の前に差し掛かった。その横顔を見る。傷一つ負ってない白い顔に細長い四肢、長い黒髪が風に揺らいでいた。
女は突然に立ち止まる。存在しているはずのない楓は心臓が高鳴った。
一瞬その冷淡な目がこちらに向く。
……さ、……。
間近に見る横顔には覚えがあった。今出た言葉が何なのか。
その女が向かった先には、先程吹き飛ばされた高校生の楓が立っている。しかしそれは狂った獣のようにその目は更に鋭く、口元を吊り上げ牙を見せ威嚇していた。全身が凶器のようだ。
いったい、何が起こっているのか。何故私はこのような醜悪な姿で敵対しているのか。
「もう、終わりにしなさい」
黒髪の女は静かに唱えるように言った。
兵器を積んだ装甲車が何台も寄ってくる。やがてそれは、二人を取り囲んだ。扉が開いて白衣の研究者と数十人の護衛兵が現れ、銃口を向ける。
「もうやめにしよう、楓」
対立する野獣は唸り声を鳴らし、歯を剥き出して警戒を解かない。護衛兵の銃口が全身に照準を合わせる。
「や、やめて下さい! 彼女に銃を向けてはいけません!」
この声、まさか……。
声を上げて装甲車から、飛び出して来る白衣の男がいた。楓の前に立ちはだかる。
諸星。この時から私を知っていたのだ。男の更にその前方を対立する黒髪の女が覆う。
「彼女は我を忘れているだけです。撃たないで下さい!」
赤い照準マーカーは白衣の男に交差する。
「非常に危険だ! もう三人が死んでいる! そこを離れなさい!」
他の白衣の一人が戦く。
「彼女は破壊者じゃない、世界を変える存在です! 抹殺してはいけません!」
刹那、人とも言えぬ野獣が口元から涎を垂らして跳び跳ねた。隊長の腕のひと振りで、銃声が一斉に鳴る。
諸星は両手で頭を抱え、絶叫した。




