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嗅ぐ女  作者: 七月 夏喜
第3話 残臭
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その6


 ここは……。


 気を失っていた楓は林の中にいた。辺りを見回すが風景には見覚えがない。そこへ人の気配を感じた。


 誰か?


 草むらの中から、密かで小さな足音だけが聞こえる。数メートル先に人影が見えた。


 あ……。


 思わず声を上げそうになる。それは高校時代の『吹雪 楓』自身だった。


 ここは記憶の世界? 誰の?


 楓はもう一度周囲を見回した。草木が揺れている。風が吹いていた。彼女はじっと目を閉じる。微かに残臭を感じた。


 これはこの大地の記憶……。


 再び、枯木を踏み締める音が鳴る。高校生時代の自分がすぐ横にいた。


 この記憶はない。いったい、何をしてるの?


 そう思った後、楓は言葉に詰まる。眉間に皺が寄った。両手で頭を押さえる。


 私の幼少期、小学、中学高校生の時……。


 楓は必死で思い出そうとした。家族、友人や先生、好きな人。孤独だと感じていたが、何もなかった訳じゃない。だが、その何ひとつ思い出せない。家族や友人の名前、住所や学校の名前や制服の格好すら思い出せない。唯一鮮明にあるのは教諭の電車事故だけだ。後は一。諸星に会うまでの記憶は無い。


 ない、ない、何もない。記憶がない。


 楓は頭を掻きむしる。


 全く、記憶がない……。


 女は記憶の始まりを探した。


 いったい、私は、誰……なの。



 閃光が目に飛び込んでいた。同時に、楓の前に自分が飛んで転がってくる。右上腕に深い傷を負っていた。


 か、楓、あなた……何してるの?


 思わず楓は手を差し伸べようとする。だが彼女は素早く立ち上がった。その眼光は獣のように荒々しく、髪を逆立てて何かを鋭く睨んでいる。その勇ましさは今の楓には存在しないものだった。目の前の彼女と同じように、閃光の先を見つめる。


 天に届くかのように、赤い光が一筋立ち昇っていた。


 その直後だった。大木の枝が、斜めに傾く。草が一定の方向に靡いた。


 何?


 爆裂とともに巨大な風が楓を更に吹き飛ばす。



 木々が根から引き抜かれた。地面が抉られていく。空中に様々な植物や動物たちが舞い上げられ消滅する。そして辺りは火炎に包まれた。楓の頭の中に全てのものの悲鳴が響く。彼女は耳を塞いだ。


 まるで、林の中心で核爆発が起きたかのようだ。燃え盛る中に人が歩いてくる。


 いったい誰が。


 黒髪を靡かせていた。ゆっくりと学生服を着た女が近づいている。


 もう一人の、能力者。


 その彼女は楓の前に差し掛かった。その横顔を見る。傷一つ負ってない白い顔に細長い四肢、長い黒髪が風に揺らいでいた。


 女は突然に立ち止まる。存在しているはずのない楓は心臓が高鳴った。


 一瞬その冷淡な目がこちらに向く。


 ……さ、……。


 間近に見る横顔には覚えがあった。今出た言葉が何なのか。


 その女が向かった先には、先程吹き飛ばされた高校生の楓が立っている。しかしそれは狂った獣のようにその目は更に鋭く、口元を吊り上げ牙を見せ威嚇していた。全身が凶器のようだ。



 いったい、何が起こっているのか。何故私はこのような醜悪な姿で敵対しているのか。



「もう、終わりにしなさい」


 黒髪の女は静かに唱えるように言った。


 兵器を積んだ装甲車が何台も寄ってくる。やがてそれは、二人を取り囲んだ。扉が開いて白衣の研究者と数十人の護衛兵が現れ、銃口を向ける。


「もうやめにしよう、楓」


 対立する野獣は唸り声を鳴らし、歯を剥き出して警戒を解かない。護衛兵の銃口が全身に照準を合わせる。


「や、やめて下さい! 彼女に銃を向けてはいけません!」


 この声、まさか……。


 声を上げて装甲車から、飛び出して来る白衣の男がいた。楓の前に立ちはだかる。


 諸星。この時から私を知っていたのだ。男の更にその前方を対立する黒髪の女が覆う。


「彼女は我を忘れているだけです。撃たないで下さい!」


 赤い照準マーカーは白衣の男に交差する。


「非常に危険だ! もう三人が死んでいる! そこを離れなさい!」


 他の白衣の一人が戦く。


「彼女は破壊者じゃない、世界を変える存在です! 抹殺してはいけません!」


 刹那、人とも言えぬ野獣が口元から涎を垂らして跳び跳ねた。隊長の腕のひと振りで、銃声が一斉に鳴る。


 諸星は両手で頭を抱え、絶叫した。


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