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嗅ぐ女  作者: 七月 夏喜
第3話 残臭
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その5


「二人はそれまで個別の訓練を受け、決して顔を合わすことがなかった。その実験が初顔合わせとなった訳だ」


 楓を見据えてはいるが、シバサキの視線はその背後遠くを捉えていた。


「実験では研究所が所有していた森林を介して二人を違う場所に配置し、それぞれにテレパスにて情報を送り合って目標を破壊することだった。テレパスの有効範囲と互いの持つ能力の強さを測定する、いわゆる遠隔操作だ」


「遠隔操作で、何を」


「テレパスでの情報が正確に伝われば、どんなに離れた距離からでもミッションを遂行することが出来る」


 重厚な扉は何も語らず警告を伝えようとしているかのように、ギイ、またギィと鳴らしている。


「恐ろしいことだ」


 血の気が引いた男の素直な意見だった。


 楓は前にもシバサキが言ったことを思い出す。精神世界へアクセス出来る楓の能力は、相手の体に傷一つ付けることなく、居ながらにして人を破壊することが可能であると。


「当然、ミッションは成功した。だが、思わぬ事態を招いた」


 シバサキは楓を睨む。それはまるで、不幸の元凶を見定めてもいるようだ。


「原因は不明だが、互いの強い能力が衝突と融合して結びつき、力動は相反する連鎖反応を起こした。二人は本来の能力に覚醒してしまったんだ。現存する実空間をねじ曲げ、特殊な空間結界を形成した。それに大きな別の力がうねりを伴って巨大化し、そこにあるものの全てを消し飛ばした」


 楓の額に脂汗が滴り落ちる。


「信じられないが、天空に次元の違う異世界のものを迎入れる裂け目を入れてしまった。そこから奴らが漏れだした」


 茜や蜂男から出てきた、黒い目玉の塊を楓は思い出し息を飲んた。


「この世には存在しない異形のものたち、黒い邪悪な物体だ」


「あ、あれが……」


 女は呟いて全身で震える。茜は恐怖に耐えらず、腰が抜けて膝から崩れ落ちた。


「……二人は」


 コートの中でそれを確認し、シバサキは楓を凝視する。


「何もかも、消えてなくなった」


「消えるって……」


 突然、今まで固く留まって微動だにしなかった重厚な扉が嘘のように自然と、しかも滑らかにゆっくりと開いていく。地獄の釜が開いたように更なる冷気を漂わせた。


 楓の頭の中を激痛が走る。まるで電気で頭から足の爪先まで射ぬかれたようだった。眼震が起こり胃が喉から掃き出るかの勢いで、嘔吐しそうになり座り込む。茜も同様に胸を押さえ、肩で息をしていた。


「ようやく、ここの本当の『残臭』に気づいてきたようだな」




「シバサキ! もうこれ以上は、やめましょう! 二人とも正気を保てません!」


 ネフロは男の言葉を黙らせる。


「言ったはずだネフロ。俺はお前の敵だ」


「シバサキ!」


 飛びかかったネフロはまたもや壁に叩きつけられ、今度は口から血が吹き出た。


「し、シバサキ、あなたは……」


「所詮、おまえとは合うはずないんだ。そこで大人しくしてろ」




 そしてゆっくりと、楓に近づく。


「やめて」


 楓は右腕を振り回した。


「立て、楓。見るんだ」


 その上腕をしかりと掴み取って、体ごと持ち上げる。無理矢理に引き摺られて起立した。


「か、楓さん」


 茜は支える楓がいなくなると、力を無くしたように床に臥した。


 楓は足元がふらつく中、男とゆっくりと扉の方に向かって歩いていく。開いた扉からは大量の『残臭』が吹き出していた。楓は近づきながら何度も嘔吐する。女の精神に『残臭』が纏わり付き始めていた。


「見るんだ」


 扉の外に楓の頭が引き摺り出される。意識朦朧とする女は、そこから信じられないほどの『臭気』を浴びた。あらゆる感覚が危険信号を感じて発動する。顔を背け必死で逃げようとする楓を、シバサキは念動力で無理に縛り付けていた。


「わかるか。全ては、ここから始まったんだ」


 楓は白目を向き掛け、失神寸前だ。


「しっかりしろ! 楓、思い出せ!」


 声を荒げるシバサキの隣で、薄く瞳を開けた視界に広大な荒れ地が飛び込んできた。大きく抉れた土地は木々が薙ぎ倒され、赤肌の地面が剥き出している。


「この『残臭』がおまえの記憶を呼び戻すはずだ。おまえがここで何をしたのかを!」


 シバサキは絶叫する。


 『残臭』が楓を取り囲み、まるで誘っているかのように生身を残したまま意識体を連れていく。


 『嗅ぐ能力』は時間と空間を超えた。



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