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嗅ぐ女  作者: 七月 夏喜
第3話 残臭
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その4

 異常な程、静かで暗い廊下が終わり、更に深く下降する階段が続く。奥底にはこの屋敷の目的を見ることになる。折れ曲がった扉を開けると、冷気を帯びた部屋が楓たちを向かい入れた。額に少し汗を滲ませ、警戒しながら進入する。


 シバサキは室内の黒くなった周囲を確認した。剥げた壁を指で触ろうとする。だが、それは手から逃げるように脆く崩れ落ちた。その破片を靴で踏みしめる。


 更に奥に進むと重厚な作りの金属の扉があった。隣の割れた壁の隙間から、風が吹き込んでいた。鉄の擦れる音が、まるで悲鳴のように唸っている。シバサキは目を閉じた。留まっている意識体が、まだ何かを求めて蠢いていることを感じる。


「やはり、残ってやがる……」


 男はコートの中身を確認した。そして握りしめる。


「今度こそは、永遠に止めてみせる」





 その部屋に入った途端、楓の肌の毛が総立ちし、これまでにない『残臭』を感じて吐いた。そのままよろけて壁に凭れる。


「楓さん!」


 茜が駆け寄り、倒れる体を支えた。ゆっくり背中を撫でる。


「ここは、一体……」


 楓はハンカチで口を押さえながら、周囲を見回した。一面が焼け焦げ、そこにあったらしい物品の残骸が散乱した室内だ。ただそれだけではない。


「やはり、おまえには感じているようだな」


 先に入っていたシバサキは、やや皮肉ったように言う。


「ここは」


 途切れ途切れの言葉を発しながらも、再び彼女は嘔吐する。強烈な『残臭』だ。


「出ましょう、楓さん! こんな所にいると、気分が悪くなるわ!」


 楓を気遣って茜は立たせた。


「ダメだ!」


 シバサキは声を荒げて鋭い眼光で女を威嚇した。


「……ど、どうしてよ」


 狼狽えたまま、楓の服を握り締める。


「ここはおまえには関係ない。出ていくんだったら、おまえだけにしろ」


 更に睨み付け、茜を射した。これまでに無い程の剥き出した敵意に彼女は身構えて唇を噛む。


「あ、茜ちゃん。私は、大丈夫よ。もう馴れてきたから」


 青い顔の楓は少しだけ口元を緩めた。


「私もここにいる。楓さんと一緒にいる」


 茜は腕を絡め組んで、楓の体を支える。


「勝手にしろ」


「ここが、大変な場所だったってことは、わかったわ」


 シバサキは、室内を照らしだす。焼け爛れた黒い壁や、机や椅子、パソコンのような装置類が散乱していた。半分に割れ、溶けた大きなモニタが未だに壁に掛かっている。目が馴染んでくると、黒い煤の他に、夥しい赤いものも混じっていた。途端に、血生臭い『残臭』が再び立ちこめてくる。楓の頭に幾つもの『臭気』が入り込んで来た。


「大変だと? 楓、おまえにどれだけ、わかるんだ」


 敵意を露わにする強い口調の中に、変調を感じて眉間に楓は皺を寄せる。


「シバサキ、ここに着いてから……」


「うるさい!」


 男は煤の付いた醜く歪んだ椅子を蹴った。途端に楓にシバサキの強い憎悪の『臭気』が流れ込む。咄嗟に女の『嗅ぐ能力』が防衛した。


「やめろ、楓」


 能力を遮断出来ないが、自然と手を大きく振り被って男は身構える。


「怯えている」


 一瞬だけ、シバサキの意識を垣間見た。霧の掛かった森林に佇み、小さなダンボール箱の中に居る少年。箱には攻撃力のない無数の針金が突き出しているだけ。防御力も皆無だ。


 仁王立ちしている男は突然笑い出す。


「そうだな。おまえの見た通りだ。俺は今、怯えているのかもしれない」


 度を越して馬鹿笑いし続けるシバサキの声が、楓には虚しく聞こえていた。やがてその見透かされている笑いは小さくなっていく。刹那、茜を背に隠して楓は臨戦態勢を取った。


「……ああ、そうさ吹雪楓。おまえに過去を思い出してもらうためだ。真実をな」


 男の眼は楓を硬直させる。もう笑い狂う顔など微塵も無い。





「シバサキ、ここからは私もそれなりの対応をします」


 ネフロは庇うように楓の前に立った。


「ネフロ?」


「楓さん。私とシバサキは仲間ではありません」


 シバサキもマンションで、そう言っていたことを思い出す。


「ネフロ、一体、シバサキとあなたは、どんな……」


「敵です」





「落ち着けネフロ。もう少し楓と話をさせてくれ」


 置かれている立場が理解出来ず、楓は苦悩の表情となった。シバサキは一歩踏み出す。


「ここは昔、能力者の研究所だった。国内から選ばれた者たちが集められ、ここで実験や能力評価などを行った。その結果を分析し、特殊能力について徹底的に調べることだ」


「私、諸星から聞いたことある。『サイ研究所』っていう」


 茜が楓の背後から呟く。


「そうだ。サイ研究所だ。諸星はここの研究者だった」


 爛れた室内の奥にある、丁度そこだけ損傷のない、これまでに無い程の重厚な扉の前に男は立った。


「ここでの研究の成果は、軍事や政治戦略に利用される目的だった。極秘裏にな」


「それと私が……」


 口を挟む女をシバサキは手で静止させる。


「十五年前、二人の能力者がここに連れてこられた。当時小学三年生だった二人は、それまでにない素晴らしい能力を発揮した。その能力の分析と解析の結果、更なる能力開発が決定されて遂行された」


 シバサキは三人の行動を観祭しつつ、いざという時には能力を発動出来るようにしていた。


「二人は互いを意識することで能力を高め合っていく。そしてある時、その能力が実用に耐えうるか実験が行われることになった」


 コートの中に手を突っ込み、男は冷えきった鈍く堅いものを握り締める。


「それが、今に続く悪夢の始まりだった」



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