その3
鎖に繋がる錆びた南京錠が進入を警告している。シバサキは無造作にそれを念動力にて引き千切った。洋館の玄関をこじ開ける。何かが一気に放出したように埃と湿った空気、冷えた薄暗いホールが四人を向かい入れた。昼間なのにメインホールには光が乏しい。シバサキとネフロは昔の状況を思い出すかのように室内奥を歩き回っている。楓と茜は足元を確認しながら、ゆっくりと周囲を見回していた。
「楓さんは、ここに来た覚えは無いの」
楓は頭を縦に振った。真っ直ぐ暗闇に繋がる廊下を見て、茜は立ち止まる。
「どうしたの?」
楓は振り返ると彼女は両腕を組んで、仁王立ちしていた。
「楓さんは諸星のこと、どう思ってるんですか」
含みのある言葉に楓は躊躇う。
「あの人はあなたのこと、いつも話してた」
茜の中にある『諸星』とは一体どんな存在だったのか。彼女があの男に心を許して、協力していたことにどんな想いがあったのだろうか。信頼や愛情など交錯しながら尽くしていたのか。
手を組み直して茜は続ける。
「私はもちろん、あの人を許さないと思う。でも、あの人だけだった。あの人だけ、私を見ても変だと言わなかったの」
そうだ。諸星が最初に声を掛けてくれた。特別な目で見なかった。それはこれまでなかった感情だったし、誰よりも優しく思った。
「諸星はあなたを見つけるために、私の予知能力を利用して居場所を探していた。しかも最初に見つけたネフロも巻き込んでね」
全ては諸星の自己利益のためなのだ。しかしそこまでして求める『嗅ぐ能力』が何物なのか、楓は今だに理解出来ずにいる。
「騙されちゃった」
舌を出して茜は戯けてみせた。
精神世界の墓標を立て続けていた彼女の寂しさと虚しさにつけ込んだ諸星は、吹雪楓という存在を発見するために茜を利用した。しかも手中に収めるために、茜自身を廃人化するという手段さえも使ってもだ。信じていた者に裏切られ、しかも撒き餌さ同然として扱われた。どんなに恨むことだったか。
そしてそれは自分にも当てはめられるのだ。諸星から助けたとは聞こえはいいが、実際全てを吹き飛ばして廃人にするだけの状況下であったことは拭えない。
ただ一つだけ、茜の中のあの真っ青な空が希望だ。彼女は本当はきっと明るい娘なのだ。
「そう。私も騙されてきた。今度会ったら、ただじゃおかないわ」
楓はちょっとだけ拳を振り挙げる。そのぎこちなく、わざとらしい仕草に茜は思わず吹き出した。
「楓さん、そんなキャラじゃないでしょ」
彼女の表情に楓の顔も幾分緩む。
「茜ちゃんは、その笑顔がいい」
一瞬恥ずかしげな顔をして、茜は楓の腕を強く組んで寄り添った。
「シバサキ、本当にあなたは見せるのですか」
数歩先を行くシバサキに、ネフ口は声を掛ける。
「最初からそのつもりだ」
振り向きもせず、男は長い廊下を確認しながらも迷いなく歩いていた。
逆にネフロは少々怯えるように、朽ち果てる建物に寸分も触れないようにしている。
「楓さんを守ります。それが私の役目です」
微かな照明の中、ネフロは意を決した重い言葉を吐く。
「勝手にしろ」
この建物はまだ生きて、今でも最後の何かを待ち望んでいる。
「……そんなに、大事ですか」
前行く男は急に振り向き、ネフロの首元を締め挙げる。念動力が発動して長身の体を浮かせて壁に張りつけにした。
「いいかネフロ。俺はおまえとは仲間じゃない。勘違いするな。今すぐにでも」
「す、すぐにでも、倒します、か。シバサキ、あの時の、ように」
息苦しさの中、呟くネフロの言葉にシバサキは苦悩する。その真顔に金髪の男は口角を上げ、苦笑した。念動力が脱すると長身の男は力無く床に転がり咳き込んだ。シバサキは壁を強く叩く。
「邪魔だけはするな」
踵を返し男は再び歩き始め、暗闇に消えた。床に座りこんだままのネフロはハンカチを取り出し鼻にあてる。
「全く……。いい香りだこと」
「ネフロ、どうしたの」
後から追ってきた楓が駆け寄った。
「足元が脆かったせいです。大丈夫」
何事もなかったように男は立ち上がり、スーツの埃を払って髪を整えた。
楓は知っている。
あのハンカチを出す時は精神を安定させる為。これから起こる先に、どんな重要なことが待ち受けて、何が隠れているのか。茜はこの結末を予知しているのだろうか。
横目で彼女の仕草を見るが、楓はひとつ息を付く。
無駄だ。予知を知ったからとて、どうにもならない。この建物に入った時から既に強烈な『臭気』に取り囲まれている。茜とてそれをわかった上で一緒にいることを覚悟しているのだ。全てを知っていなければ、これから先、諸星と対峙する事も出来ない。シバサキも味方とも言えないのだ。茜を守るのは自分なのだ。
「そんな変な靴だし、若くないから転んだのよ」
彼女の毒舌が楓の背中から響いた。
「小娘、楓さんから離れなさい!」
ネフロは茜に嫉妬にも似た感情を表わし、声を荒らげる。
「小娘、全てが終わったら、懲らしめてあげる」
楓の肩越しに彼女は舌を出して威嚇した。
ネフロは目を見張って、先を急ぐシバサキの進んだ方向を向く。そして小さく呟いた。
「本当に、……終わればね」




