その2
「まだぁ」
奥深い森林の中、茜はさっきから弱音を吐き通しだ。
「まったく、根性が、な、ない娘です、ね」
「何言ってんのよ、ネフロ。さっきから息あがってるじゃん。もう若くないんだから」
草を掻き分けて進まねばならない獣道のような悪路に、白いネナメルの靴を取られて四苦八苦している。
「しかもそんな靴で。馬鹿じゃない」
「こ、この小娘! 言わせておけば!」
茜は楓の腕を取り、陰に隠れて舌を出した。
「きぃー!」
楓は二人に困った顔して苦笑する。そんな馬鹿な事でも言ってないと、この悪路を長時間歩くことなど出来ないだろう。だがこれから辿り着く場所に、安息出来る時間があるとは思えなかった。
その悪路もやがて終わりを告げる。雑草が覆ってはいるが拓けた広場に出た。
「着いたぞ」
シバサキが指差す先に幾年と過ぎ、この世から完全に抹消された古びた建物が、鬱蒼とした木々の間に佇んでいる。人間どころかあらゆる生物を寄せ付けない、只ならぬ『力』を未だ感じさせていた。ただ陰鬱な湿気と冷気を逃さぬ様に苔類たちは許されている。
「またこの建物を目にするとは」
ネフロは細い長身を屈め、少し身震いする。眉間に皺を寄せて腕を組んだシバサキは、茜の方を向いた。
「おまえにも答えてもらうぞ。諸星の情報を、少なくとも俺達より知ってるんだからな」
茜は体を竦ませて硬直し、楓の服を握って悪意のある視線を返す。
「進入禁止」の札が掛けられた、肉厚の鉄格子門に向かった。
「この場所はとても緊張します。気を張っていないと、色々なものに飲み込まれそうになる。あなたなら気が付いているはずです。この周囲一体に蠢く『臭気』を」
バスを降りた時点から、ずっと感じていた『臭気』。無用な体力と気力を使わないように、相手にしないようにしていた。だがこの建物の周囲には、何か恐ろしいものの『残臭』がある。
「そのものは、まだ飢えているんです」
それは本体を失っていても、未だに建物を取り巻いていた。近づく者に襲いかかろうとしている。とり憑かれたら、二度戻って来られなくなりそうなくらい悪意に満ちていた。それは諸星の比ではない。『残臭』は建物に近づく度に強くなっていた。
「あれらが嗅ぎ付けたのは、あなたがここにいますから」
正面門を眼前にして、一層ネフロは顔を硬直強ばらせる。
「更に諸星に汚されたこの小娘も、旨そうに見えることでしょう」
男は皮肉って戯けたが、茜も只ならぬものを感じとっているようだった。女は睨んだだけで言葉は発さない。
楓は急に足が竦んだ。
誰かに縋りたい気持ちだった。自分が何故この場所にいるのかさえ、理解できずに震えている。だが、この問いを思考している時間もなかった。危機は今も生物のように嗅ぎ付け、確実に向かって来ているのだ。諸星がいつ襲ってくるのか、予測不能な恐怖に襲われる。
怖い、怖い、怖い、怖い……。
思わず楓は茜の手を握った。
「か、楓さん、手が、……痛いよ」




