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嗅ぐ女  作者: 七月 夏喜
第3話 残臭
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その1


 『風吹 楓』と三人の男女はある山中を走るバスの中にいた。その車内の丸い吹き出し口からは、空調が壊れているのかと思わせる程冷たい風が吹いている。


「何なのよ、このバス。凄く、寒いじゃない!」


 高校生の『森川 茜』は両手で上腕を摩り、足をバタつかせながら毒突く。


「下品な娘ね」


 男は卸したての赤いスーツのポケットから、白いハンカチを取り出し鼻にあてた。


「いい匂い」


「そんな真っ赤なスーツなんて、今時お笑い芸人くらいしか着ないわよ」


 ネフロは高い鼻で笑う。


「ほんと、若い子はこれだから。センスの欠片もない」


 ハンカチを前後に振って茜を追い出す素振りをした。


「大体あんた、何故ついて来てるの」


 茜はハンカチを素早く取り上げて丸め、バスの前席へ放り投げる。ネフロは慌てて身を乗り出して走った。背後で女は大笑いする。


「何やってるんだ、二人とも」


 シバサキは呆れた表情で見つめていた。


「こんな山中の、何処に向かってるの」


 その横顔に吹雪楓は問いかける。シバサキは彼女の顔を見つめて、やがて山奥の方を向く。


「昔、俺とネフロがいた場所だ」


「……諸星も」


 シバサキは頷いた。


「おまえに、あいつがこれからしようとしていることを教えてやる」


「私が生かされている理由」


 窓の方を向いて、流れ過ぎて行く鬱蒼した森林を楓は見つめている。


「そうじゃない。諸星が言ったことは忘れろ」


「でも、私は一度諸星を信じた……」


 女は窓に映る自分の悲しげな表情を確認する。


「何もかも『能力』に翻弄されている」


 額を付けた冷えた窓ガラスは、全身をも凍りつかせるかのように熱を奪っていった。


「確かに『能力』は、誰もが普通に持っているわけじゃない。だからこそコントロール出来なければ、恐ろしい武器にしかならない」


「わかってる……」


「いや、まだ全てをわかっていない」


 バスは曲がりくねった山間を抜けていく。道はやがて細くなり、行き交う車もなくなった。


「随分、山奥になってきたわね。こんな辺鄙な場所の何処まで行くの」


 楓の隣に座って毒づいていた茜は、意外な程怯えるように体を寄り添っている。


「……茜ちゃん」


 彼女も諸星を信じ、一緒に行動してきた一人だった。今は逆の立場にいて、あの男を敵にまわしている。


彼女の精神世界の丘に立てられていた、夥しい数の黒い墓標。自分に悔やみながら、傷つけながら並べたに違いない。その痛みの墓標に諸星はネフロを埋めて、汚した。空間こそ破壊しなかったが、最終的にはそれを踏み躙ったのも同然だつた。しかし、あの時もし、何も知らない頃だったら、確実に茜を廃人にしていた。


 それが結果的にどう変化して、彼女がこちらにいるのかはわからない。だがもう二度と彼女の心を嗅ぐことは無い。


気持ちを弄び、触れてはならない過去を利用した男の執念と脅威ははかり知れない。ある意味、心と躰と全てを掌握されていたと言ってもいい。そのまま何事もなく生活することなど出来ない。それは彼女が一番わかっているはずだ。


 諸星が一番欲していたのは、この『吹雪 楓』だ。あの時あの男に落ちていれば、この三人を巻き込むことはなかったかもしれない。今まで巻き込まれているのと思っていたが、実際は己自身が巻き込んでいたのだ。


「あの時、私が……」


 茜が楓の手を握った。苦悩する顔を見せていた女はその温かみにはっとする。


「私、楓さんに助けられたんだよ。一緒に来たこと、全然後悔してない」


 その言葉に楓は、更に青い顔になった。


「私は……、誰も、守れない」


 楓と茜の前席にいるシバサキが背中を向けたまま言う。


「勘違いするな。俺は俺自身のためにやっている。おまえのためじゃない」


「シバサキ……」


 男は停車ボタンを押して、前方に歩いていった。ネフロが楓の肩を軽く叩いて乗せる。


「全くあの男、デリカシーのない表現ですね」


 ネフロの目眩のする甘い匂いが、彼女の鼻を優しく突いた。


「あなたの能力がなかったら、私はこの世にいないでしょう。あなたを全力で守ります」


 茜は楓の肩に乗っているネフロの手を、平手で払い退ける。そして自分の胸の方に引っ張り寄せた。


「埋まってたくせに」


 唇に指を咥え、上目使いで茜は含み笑いをする。


「この小娘ったら、全く憎たらしい!」


「茜ちゃん……」


 彼女の心臓の鼓動を、体の温もりを楓は感じた。出入扉で振り返りながらシバサキは毒づく。


「おい、何してるんだ。さっさと降りるぞ」

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