THE END
赤い、赤い。
溶岩が流れ出るような激しい痛みを感じ悪い予感はしていたが、まさかここまでとは。
鮮やかな赤はその勢いの留まることも知らず、ただひたすらに噴き出し続ける。気づけば眼下には血の海が出来上がってしまっているではないか。
もし、このまま全て出し尽くしてしまったなら。そんな恐ろしい想像だけが頭を支配し、対処法などまるで思いつかない。
最悪である。しかしその嘆きを口にする余裕もないほどに、兎に角痛い。長い黒髪を掻き毟り懸命に痛みを堪えようとするも、ただでさえ痛みに弱い私の身体はもうすでに限界を迎えようとしたいる。
私は所謂、箱入りだった。私は両親に大切に育てられたが、世間一般からすればそれは過保護であったに違いない。
両親は私に傷がつくことを極端に嫌ったため、幼い私に外出が許されることはほとんどなかった。周りの子供たちが公園で鬼ごっこをしている時分、私は父の書斎で夏目漱石の作品を片っ端から読み漁っていたものだ。
とはいえ私自身、そんな生活が嫌だったわけではない。外で楽しそうに遊ぶ友人たちに対する嫉妬が全く無かったわけではないが、私は自分が大切にされていることを幼心にも理解していた。
両親同伴のたまの外出で私が転倒し、擦り傷ができたりなどしようものなら、私は大泣きし、両親はそんな私が泣き止むまでぴったりと私の側につく。そんな風にして過剰ともいえる愛を注がれながら、私は成長していった。
大人になった今でこそ大泣きするようなことはなくなったが、そうした環境で育ってきたこともあり、やはり私の身体は人より少々、痛みに不慣れであるようだ。
今感じているこの痛みも、人によってはもしかすると大したものではないのかもしれない。
この痛みはどういうわけか、大体月に一度訪れては私を悩ませる。大袈裟な、と言う人もいるかもしれないが、私にとっては不倶戴天の敵である。
痛みの強弱ではない。痛みを伴うこと自体、問題なのだ。何が悲しくて、月に一度も痛い思いをしながらトイレに籠らなければならないのか。
この悩みを誰かに打ち明けたい。打ち明けて、私の苦しみを誰かに理解してもらいたい。しかし内容が内容なだけに、人に相談するには至っていない。どうしても恥ずかしさが勝ってしまうのだ。
そもそも、誰に話せばいいというのか。同性の友人たちに話せば茶化されるに決まっているし、かと言って異性に相談するわけにもいかない。
そんなこんなでかれこれ一年以上、定期的に訪れるこの苦痛と一人で闘っているわけだ。
「はあ……」
ため息がこぼれ、トイレの狭い個室内に響き渡った。
今日は五月の七日であるから、六月の初め、早ければ五月末にはきっとまたこの症状が襲いかかってくるだろうことを考えると憂鬱である。そんな計算をしながら私は、自分がまるで生理周期を数える女性のようであることに気付き、苦笑する。
私はぺニスについた尿をさっと拭った。そして新たに手に取ったトイレットペーパーを肛門に擦り付け、今度は真紅にまみれた糞を丁寧に拭き取った。




