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 それから二年。何もわからない秘書という仕事を蓮見は必死に勤めてきた。秘書室に配属になったら更に驚くことが待っていた。鷹裕に付いていた専属秘書三人のうちで、一番新人の蓮見が鷹裕の現場専任秘書になったのだ。

 鷹裕の仕事の予定を組みその現場について歩くのも蓮見の仕事。慣れないことだらけで蓮見の神経はいつも限界ぎりぎりだった。スケジュールも分刻み。だがそれは鷹裕も同じで睡眠時間も思うようにとれない日々が続いている。

 よくずっとこんな生活が続けられるものだと思う。鷹裕の体力は超人的だ。そして蓮見はその鷹裕の生活にまずついて行く体力が必要だった。無我夢中。まさしくその通りに飛ぶように時間は過ぎた。

 鷹裕は厳しかった。その叱責を何度受けたかわからない。いや、一日に数回は怒鳴られることが普通だった。けれど鷹裕は有言実行の人間だった。部下に厳しくて自分が楽をするような人間ではない。

 社内の人望も厚いし、誰もが鷹裕の下で働くことを望んでいる。いつも一緒に働いている蓮見は社員からの羨望の的だった。それは蓮見もわかっているから、少しでも鷹裕の役に立ちたいと思っている。足を引っ張るような真似など出来ない。

「それなのに、なんて言う失態だ」

 蓮見は穴があったら入りたい心境だった。


 会社に戻った頃はすでに夜になっていて、残業しているフロア以外は電気も消えていた。

 夜十時。とりあえずマネージャー室に戻った蓮見は手前の秘書室に他の二人の秘書が居ないことは確認した。今日の仕事は終わったらしい。

 鷹裕の役職は社内では『マネージャー』と言う通称で呼ばれていた。一般の会社での役職なら本部長あたりだ。だが特別なプロジェクトの総括責任者である鷹裕は部門を超えてそのトップに立っていた。

 なのでマネージャーという総称で呼ばれている。個室は本来の部長には与えられないが、今の鷹裕の仕事の責任は社長の次と言ってもいいくらいだった。そのために仕事の便宜上もあって、個室が与えられていた。陰ではすでに社長よりも社長らしいとも言われている。

 蓮見以外の男女二人の秘書は、蓮見と違って社内で事務処理をすることが多い。あとは鷹裕を訪ねてくる社の内外の人間の応対などだ。二人はマネージャー室の手前の控え室で待機しているが、蓮見の机はマネージャー室の中で中央奥の鷹裕の机の手前横、入り口から左手で鍵の手になるような形で置かれている。

 鷹裕の出す指示をすぐに他の秘書や部門へ連絡したり、鷹裕からの指示はまとめていったん蓮見が受け、それを他の秘書や指揮下の課長たちに蓮見が指示を出す。一番年下の蓮見がなぜこの役目に就いているのか、蓮見にはいまだにわからない。けれど鷹裕の希望だと言われた以上は精一杯勤める、それだけだった。

 マネージャー室のドアを開けると中は灯りがなく、てっきり鷹裕は帰ったのだと思った。ところが。

「マネージャー!」

 窓の外の灯りだけでも十分明るい部屋で、鷹裕は佇んでいた。

「いらっしゃったんですか」

 蓮見は驚いて言葉を継いだ。

「別にお前を待っていたわけじゃない」

 鷹裕の冷たい言葉に、

「き、今日はすみませんでした」

 蓮見はいつものように律儀に頭を下げた。失態のあとに倒れるなど、社長の鷹裕が忙しくしているときに、部下の自分が許されないことだと思う。

「まったくよく謝る男だな」

 鷹裕の呆れたような声に、

「自分でも不甲斐なく思っています。いつも鷹裕先輩には迷惑をおかけして……」

 仕事中はマネージャーと呼んでいるが、二人の時はいつも名前で呼んでいる。あの学園生活で一瞬と言ってもいいくらいの縁だった。それでもあのときのことはよく覚えているし、鷹裕のおかげであのあとも先輩たちから目を付けられることも無くなった。鷹裕は蓮見にとって憧れの先輩だったのだ。

 鷹裕は大きな窓に向かって佇んでいた。安全上窓は開かないが足下から天井までガラスが嵌った大きな窓だ。気づけば煙草の香りがしていた。

「先輩……煙草吸われるんですか?」

 付き合いは二年ほどになる。朝早くから夜遅くまで一緒にいるし、接待は食事から酒の席まで同伴することもある。それでも蓮見は鷹裕が煙草を吸うことなど知らなかった。

「たまにな……人前では吸わないことにしている」

 鷹裕は背を向けたまま答えた。明かりは消えているのでたとえこちらを向いていたとしても表情はわからない。だがそのとき蓮見は鷹裕の表情がみたいと思った。いま、どんな顔でそう答えたのかと。

「僕の前なら遠慮なさらずに、いつでもどうぞ」

 何気なくそう言った蓮見に鷹裕は

「向こう(アメリカ)では人の上に立つべきものが煙草などは吸わないのが常識だ。 お前の前であろうと無かろうと関係ない。お前がいま来るとわかっていたら吸ってなかった」

 そう淡々と答えた。とりつく島もない冷たい言い方だった。

「蓮見……」

「はい」

 鷹裕は背を向けたままだった。蓮見はその背に向かって返事をした。今までこうやって仕事抜きで話すことなどほとんど無かった。人気のほとんど無い会社で、暗い部屋。余計な音も聞こえない。

「灯り……点けましょうか?」

 蓮見のその言葉に返事はなかった。その代わりに、

「お前、なぜ俺がお前を秘書にしたのか知っているか?」

「いえ、僕もそれはなぜだろうと思っていました」

 蓮見がずっと疑問に思っていたことを鷹裕が初めて口にした。だが鷹裕はその先を言おうとはしない。

「あの……」

「お前の母親はどんな女だった?」

 鷹裕は思いも寄らない質問をしてきた。

「母親……ですか?」

「お前のようにひ弱でか弱い女だったのか?男が守ってやらなければいけないような気分にさせるような女だったか?」

 蓮見は鷹裕の唐突な質問の意図がわからなかった。なぜ自分の母親が突然話題になるのか。

「お前は自分の母親がどんな女だったか知っているのか?」

「鷹裕……さん?」

 それまで背を向けていた鷹裕がこちらを振り向いた。だからといって外の灯りを背に受けた状態ではなおさら顔の表情は見えない。そのまま鷹裕は蓮見に近づくと、いきなりその腕をつかんだ。鷹裕の顔が尚近づくが、やはりはっきりと表情がわからなかった。そんな蓮見の顔に自分の顔を近づけて鷹裕は言った。

「お前の母親が俺の父親を殺したんだぞ――」






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