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「騒がせてすまない」

 鷹裕は背の高い男に言うと

「いいえ、仕事ですから」

 男はそう言って蓮見に向き直る。

「蓮見様、失礼を言いました。私はここの管理を任されている有賀真司ありがしんじと言います。何かありましたらいつでもお申し付けください」

 丁寧に礼儀正しく礼をしたと思うと、今度は乱暴に千冬の腕をつかみ

「行くぞ」

 そう言って千冬を引きずるように去っていく。

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 千冬は抵抗しながら何を思ったのか

「蓮見っ、横暴なやつの言うことなんか聞くことないぞ!嫌なら抵抗しろよっ」と叫ぶ。

「抵抗してるのはお前だろ!いいからおとなしくこっちへ来い!」

 今度こそ有賀に引きずられるように奥の部屋へ引っ込んでしまった。パタンとドアが閉まる。一連の出来事をあっけにとられ、ひと言の声も発せずに蓮見は見守った。

「(あれは)な、なんですか?」

 聞きたいことが山のように出来た。だが質問する前に蓮見も千冬のように腕をつかまれる。

「どこへ行くんだ」

 鷹裕の問いに自分が出て行くつもりだったことを思い出す。だが、どこへ行くつもりだったのか自分でもわからなかった。

「ひとりでどこへ行くつもりだった!」

 怖い顔で鷹裕に睨まれた。

「どこって……」

 正直行く所などない。強いて言えば……自分のアパートだろうか。

「なぜ黙って行くんだ。俺はここに居ろと言ったはずだぞ」

「でも」

 どうしてなのか理由がわからない。

「どこまでも……あなたに甘えているわけにはいきません」

 蓮見がやっとそれだけ言うと、

「俺が昨日さんざん言ったことは全部無視か」

「昨日……」

 思い出すように蓮見が言うと、

「まさかと思うが、私が昨日話したことは全部無かったことにするのか」

 鷹裕の口調は落ちついてきて、いつも会社で聞くそれになっていた。昨日色々言われた気がする。蓮見に都合のいいことを色々言われた。あれは蓮見の願望ではないのか。

「愛してると言ったはずだ、側に居ろと、いや……居てくれと言ったはずだが、まさか聞こえてなかったのか?」

「鷹裕さんっ」

 驚いた蓮見は周りをあわてて見回したが、とりあえず周りに誰もいない。有賀は千尋を引きずって奥へ消えていたし、ガラス張りのロビーには蓮見と鷹裕だけだと気づいてほっとした。

「愛してると言っただろうっ」

 だがなおも必死に声を張り上げる鷹裕の口を、蓮見は思わずその白い指で塞いだ。

「鷹裕さんっ、こんなところで何を言っているんですかっ。誰かに聞かれたら……」

 他人ひとに聞かれたらどうするつもりなのだ。真城鷹裕ともあろう人間が公共の場で男に言う台詞ではない。

「うるさいっ、何がこんなな所なんだ。だったら来いっ!続きは部屋だ」

 さっきの表向きの声と違って、飛び出してきたときの鷹裕に戻っている。その興奮した面持ちを蓮見は不思議なものを見るように見つめた。

「なぜ……」小さく呟いたあと、蓮見は鷹裕に向かって言った。

「見たんでしょ、言いましたよね。僕にはあぁいう義父が居るんです。また何を言ってくるのかわからない。あなたの側になんか居たら迷惑が掛かるんですよ」

 蓮見がそう言うと、鷹裕が一歩蓮見に近づき掴んでいた腕を引っ張る。予測していなかった蓮見は鷹裕の胸の中によろけて飛び込む形になった。鷹裕はそのまま蓮見を抱きしめる。きつく抱かれた。その耳元で鷹裕は言う、

「お前の父親にいいようにはさせない、お前にはあの父親だが俺の所にもあの母親が居る……それでもいいか」

 許しを請うように、なぜかその声が切なく響いた。鷹裕の母親に会ったことはない。けれどその存在が鷹裕に重くのし掛かっているのは聞いてわかっていた。

「鷹裕さ……ん、いいんですか?本当に?」

「お前が居るなら……居てくれるなら、俺は我慢する。今の生活でももう少し我慢できると思うんだ」

「鷹裕さん……」

 蓮見はそっと手を伸ばして鷹裕の髪を撫でてやった。何でも持っている人だと思っていた。自分より遙かに強く、恵まれている人だと。でも違っていた、自分と同じようにどれだけ孤独な時間を過ごしてきたのかと、憐憫にも似た思いが募る。

「俺で良ければ」

 どこまで鷹裕の支えになれるのか自信はない。けれど鷹裕が側に居ろと言うならいくらでも居る。居たかったのだ、側に居たくて、居れないと思ったときは絶望にも似た思いをした。

「部屋に、戻ります」

 蓮見は呟いた。

「恥ずかしいですよ、こんなところで」

 気づけば公共の場で、鷹裕は寝起き姿も同然、男同士が抱き合っている……朝の忙しい時間に他の住人にでも見られたらと思うと蓮見は落ち着かない。

「構わないさ」

「構いますって!」

「ここはそれほど多くの人間が住んでいるわけでもないし、きっと見ても見ぬふりくらいしてくれる」

 鷹裕が落ち着き払って言うと、

「何ですかそれ、早く行きましょう」

 自分が飛び出したのが原因なのに、鷹裕を急かす蓮見が可笑しかった。だが足を踏み出したとたん、

「あ……っ……」

「尋紀っ!」

 蓮見は立ちくらみがして、目の前が一瞬見えなくなる。酷い目眩だった。忘れていた、もうひとつのやっかいなことを。自分の病気─────

「やっぱり……」

 自分は鷹裕の元には居られない、そう思った。

「治してやる」

 蓮見を支えて抱き留めながら鷹裕が言った。

「その病気は治るんだ、ちゃんと俺が治してやる。だからおとなしく俺の所に居ろよ」

 有無は言わせないと言う雰囲気に蓮見も覚悟を決めた。

「はい、よろしくお願いします」

 今度は素直にそう言った。蓮見は鷹裕に支えられ、さっき降りてきたエレベーターに再び乗り込んだ。いまは何もかも鷹裕に委ねる。それがとても心地よく幸せだった。




FIN





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