17
「そうですね」
すでに遠いことのように感じる。
「鷹裕さん、疲れすぎですよ。今度はあなたが倒れてしまう」
蓮見の言葉に応えずに、鷹裕は考え込んでいるようだったがやがて……
「尋紀……お前に話したいことがあるんだ」
思い切ったように話し出した。勇気を出してと言う感じで話し出す鷹裕をまるで別人のようだと蓮見は感じていた。
「はい」と返事をすると、鷹裕は更に考え込むようになった。
「鷹裕さん?」
無言の相手に少し不安を感じて蓮見は乞う。
「僕で良ければ、何でも話してください」
「またお前を傷つける話だ」
「構いません」
蓮見はきっぱりと言った。
「鷹裕さん、僕を助けてくれたじゃないですか。こうやって僕の面倒を見てくれている。あなたの話を聞くくらい……僕でいいのなら」
「嫌な話なんだ……」
そう言った鷹裕は本当に嫌そうで、苦しそうだった。きっと鷹裕にとっても辛い話なのだろう。蓮見は何も言わず待つことにした。鷹裕が話し出すまで何時間だって待つだろう。鷹裕のためなら何でも出来る……そう思った。
どれくらいの時間だったのか分からない、しばらく俯いて考え込んでいた鷹裕が切れ切れに言葉を繋いだ。それはとても珍しいことだった。鷹裕が言葉に詰まる様子など見たことがない、その苦悩する横顔もはじめて見るものだった。
けれど蓮見にとってそれは好ましく、また密かに嬉しく思う感情でもあった。もしかしたら誰も知らない鷹裕を見ているかも知れない。だがそんな思いは鷹裕の話し出した内容に押しつぶされる。
鷹裕は自分の実家の話をした。母親の病的な妄想から来る重圧。自分が父親が亡くなって以来、どんな子供だったか。母親がどんな風になっていったか、それによって自分自身もどんどん歪んでしまい、そしてそれは今も続いていること。どんなに忙しくても、どんなに疲れていても、あの母親の妄執につきあい週末を過ごさなければならないこと……
「すまない……」
信じられない顔で、眸を見開いたまま見つめる蓮見に向かって鷹裕は言った。
「お前にやつあたりしていただけなんだ。お前のせいじゃないのに……」
鷹裕の言葉に蓮見は被りを振った。
「いいえ……でも、やっぱり僕と母が原因なのには変わりないです。僕はあのときまで知らなかった。まさかあなたと僕にそんな関係があったなんて」
「お前のせいじゃないさ」
鷹裕は話してすっきりしたのか表情が少し明るくなったのが救いだった。
「鷹裕さん、今までずっと、そんな環境の中であなたは耐えてきたんですか」
蓮見にとって鷹裕が堪え忍ぶなどということは考えも付かないことだった。だが話を聞けば鷹裕は子供の時から母親の重圧の中でそうやってひたすら耐えてきたのだ。信じられないがそれが現実なのだろう。自分が外から見て勝手に描いていた鷹裕の人生はまったく違うものだったのに。
「信じられない……」
言葉で呟いて蓮見は思った。酷すぎる。これを与えたのが自分の母親と鷹裕の父親だったのだとしたら酷すぎるではないか。そしてその原因には自分も確かにいるのだ。
鷹裕はいったい自分をどんな思いで見ていたのか。
いや、わかる。憎まれて当然だ……蓮見は思った。ここにこうして鷹裕の前にいて甘えている自分が許せない。蓮見は思った。
「罰を……」
「え?」
知らずに呟いた蓮見の言葉を拾って鷹裕が見つめる。
「どんな罰を受けたらいいですか」
「何を馬鹿なことを……言っただろう?オレが間違っていたって」
「間違ってなんかいない」
絶望的な表情になる蓮見を見て鷹裕は言った。
「いや違う。俺が間違っていたと気づいたんだ。お前を憎んでいたときはこんな話をする気はなかった。だが今は違う。だから話したんだぞ」
「鷹裕さん」
「お前のことも話さないか?無理ならいいんだが、俺はお前のことも知っておきたい」
鷹裕の言葉は天の啓示にも思えた。鷹裕の過去を聞いた今なら話せそうな気がした。むしろ話して罵られた方がいいような気がした。話して鷹裕から罵倒されてここから追い出されて、そして自分は罰を受けるのだろうか。少しは鷹裕の気も晴れるだろうか。話すなら今しかないように思えた。
「話します─────」
蓮見は自分でも不思議なくらい淡々と自分の過去を話した。なぜかそれはすでに遠くて、まるで自分のことのような気がしない。鷹裕の過去に衝撃を受けて麻痺してしまったようだった。だが鷹裕もまた、自分が知らなかった蓮見の過去に衝撃を受けることになった。