夢見草
「シキ、見てみろ」
赤い髪に淡い色の花弁をいくつもくっつけて、王子が笑う。指をさすその先には小さな花をいくつもつけた大きな木がひとつ。灰色の空を背景に、花を散らせている。
「……はあ、?」
花が、ありますね。
だからなんだと王子をもう一度見れば、ふにゃふにゃとしまりのない顔でちらちらとシャラ様の様子をうかがっている。ああ……、はい。
「あっチェリーブロッサム!? この世界にもあるんだ! うわあうわあ凄い綺麗」
「……知っているのか?」
「知ってるー!ニッポンのお花よ。私のおばあさまがすごい好きで……」
にこにこ笑って話し始めるシャラ様と王子を横目に、ひらひら四方へ落ちていくそれらを眺めていた。
――ほら、冠。
「……」
ああ、また。
最近はどうも頭が変だ。無意識に伸びた指の先には、リングのピアス。右耳にだけの、シンプルな、不完全なそれ。いつから持っていたんだか思い出せない。それでも何故だか大切なものなのだと認識している。
その先にあんたはいるのだろうか。
脳裏の幼い少年がひどく柔らかく笑う。声も、分からない。空気だけを震わせて、僕を責め立てる。一体誰なんだろうか。僕は、一体何なのだろう。
僕はいわゆる、記憶喪失の人間らしい。一年前、王子に拾われるまでの記憶が一切ない。王子やシャラ様に聞いても、二人は一向に口を開いてはくれない。ただ、知らなくてもいいのだと同情ばかりの瞳で僕を宥める。
ああ、もう、一体何なんだ?
なあ、あんたは一体誰なんだ? あんたに会えたら、全部分かるのだろうか。全部、晴れるのだろうか。
僕とあんたは一体どんな関係だったんだろう。
自分のことよりも、優しく笑うあんたのことばかり気になるんだ。あんたを思い出すと、泣きたくなるんだ。変なの。あんなにも笑って優しそうなのに、誰よりも可哀想な人だと思っているんだ。一体、何なんだ? 僕はあんたの何を知っているんだろう。それから、……そう、あんたは僕をなんと呼んでいたんだろう。
王子のくれた名は、何故だか違和感ばかりなんだ。それはまあ、光栄ではあるけれど。きっと本名ではないのだろうな。
でも、何なのだろう。
あんたに会えば、この胸にぽっかりと空いた穴が埋まるなんて勝手に期待している。この無感動な心も変わると、勝手に思っている。
そんな風に思うだなんて、あんたは一体どんな人なんだろうか。
……なんて、無駄な期待だな。
当時は子供だ。人間なんてどうとも変わるさ。それに、もし変わってなんていなくたって。どうせ、……死んでるだろう。このご時世だ。
珍しい髪色をした、整った女顔の少年。格好の餌食だ。御愁傷さま。もしかしたら、奴隷かも……。なんて。
「……」
ああなんて嫌な奴。
そうやって誰かを貶して貶して、自分を保っているんだ。もしもその人が生きていたとして、その人はきっと今の僕を見て落胆することだろう。金色の長い髪は男みたいに短くなった。無邪気になんて笑えない。人の嫌なところばかり目につく。余計なことばかり口に出す。体は、いつつけたんだかわからない傷だらけ。無愛想で、可愛げのない、男みたいなこんな僕なんて。
「……」
ああ、きっと捨てられてしまう。
取り柄の一つもない僕なんて、きっとあんたに相応しくないのだろう。
笑う横顔を思い出して、目を閉じた。
あんたは一体どんな人なんだろう。
それでもきっと、すごい人なんだろうな。
綺麗で、多才で、まるで住む世界が違うような人なんだろう。ちっぽけな僕なんて、もしかしたら覚えていないかも。
ため息をついてもう一度目を開けて。視界でちらつく花弁を見て、また息をはいた。ああ、そう言えばこの花は、その人に似ているような気がする。……なんて。
「おーいシキ! ほら花吹雪ー!」
「……」
「シキちゃん、こういうときはね、おぬしも悪よのうっていうのよ!」
「なんだそれ、どういう意味なんだ?」
「さあ? でもおばあさまがそういうものだとおっしゃっていたわ」
「ほう、そうなのか。ではもう一度だ、シキ。ほれ」
「……」
「……シキちゃん?」
「……おい、シキ?」
「……」
「ご、ごめんなさい」
「すまん……」
本当に、何なんだこの人たちは。
花弁を手のひらいっぱいに集めて放る後ろ姿を睨みつけて、小さくため息をついた。
ああ、不味い。土まで掬っている。口に入ったじゃないか。
――あはは、土まみれ。
……。
「おいシキ、進むぞ。暗くなるまでに街につかなければ」
ばさりと上着を羽織って、王子が土を払った。いつの間にやら座り込んでいるシャラさまに手を差し伸べて、立ち上がらせた。
ああ、もう行くのか。ここからならば、街までそうかからないだろう。
「そうね、次はどんな街なの?」
「ヒグレという。そろそろ国境が違い。気を付けるんだぞ」
「はあい」
「シキ、お前もだ」
「……はい。お二人は、僕がお守りします」
不満げに、王子が鼻で笑う。こういう時ばかりはプライドが高い人なのだ。歩き出した二人の背中を見て、あとを追う様に一歩足を踏み出す。
なあ、もう良いんだ。
思い出して、このままこの人たちと入れないのだとしたら、過去なんて捨ててしまおう。
何もない僕だけど、それでも傍に置いてくれるこの人たちがいるから。
「……さよなら」
夢は、もういいんだ。
昔に夢を見たって、どうにもならない。
このまま僕は、この人たちと一緒にいるよ。
もうその声は聞こえない。
もしあんたに会えたならなんて、そんな期待はもういらない。
ーー何故だか、誰かが柔らかく笑った気がした。