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海の音

作者: 桜木紅実

海の音

 


雨に濡れた町は、朝の光によってようやく乾こうとしていた。

昨日の夕方ごろにざあざあ降った雨のせいで、まだあちこちに水溜りができていた。

由里はぼんやりと、きたなく染みのできた天井を何の気なしに眺めていた。

気のせいか、その染みが愛犬に見えるのは。

―シャドウに会いに帰ろう―

そう思いついて、やっと布団からはいだす。

時計の針は7時を指していた。いつもの癖で、黄ばんだカーテンをさぁーと開けて、コーヒーを入れる。

インスタントのキリマンジャロ。

ここ数日、家に帰っていない。それは同居人兼彼氏:司と喧嘩したからだった。

この歳になって、実家に帰るのも忌々しい。

仕方なく、祖父の所有する廃ビルで密かに隠れ住んでいたのだ。


大きな鏡の前で身だしなみを整えることにした。

髪をブラシで梳かし、スプレーをする。

ミディアムの長さの髪は、いつもどんなふうにしようか迷うけれど、一つにまとめてダンゴにした。

今日のファッションはジーンズにTシャツ。

ふと、時計に目をやると7時45分を指していた。

―別に、時間なんてどうでもいいのに―

そう、司に会いに帰るんじゃない。愛犬シャドウに会いに帰るんだから。

自分にそう言い聞かせる。

司の出社時刻はいつも8時。ゆっくり行けばはちあわせすることはない。


8時。

廃ビルの外に出る。ここでは必ず右から左にむかって風が吹く。

髪をそのまま垂らしているときは、正面から撮ればすごくいい画になっていると思う。だけど、おダンゴヘアには

関係ない。

ジーンズのポケットをまさぐると、500円玉が一枚と、たくさんのレシートが。

―家に帰ったら全財産もっていこう―

そして、駅に向う道を歩き出した。


何故、司とケンカしたのか―

それは、司に好きな女性ができたからだった。

もちろん、由里は司と付き合っているけれど、司にもっと好きな人ができたと言う。

古谷亜季、というアマだ。ムカつく奴だ。

しかしそれ以上に、司にムカついてもいた。

「ごめんね、僕、他に好きな人ができたから」

結局、私はそれだけの価値しかないオンナなのだ。

この「他に好きな人が」というのは、最強の言葉といえる。簡単に、乗り換えられるし。

私は着の身着のままで家を飛び出してきた。だからシャドウもつれてこれなかった。

―だいたい、司は御曹司で、優しくても結局自分本位なんだから!―

どんなに寂しい思いをしているだろう、シャドウ。


******************************


小さな駅に電車がつっこむ。

急ブレーキをかけて。

今までクールに、冷静気張ってた私も台無し。

ドアの前に立って、手すりもつかんでなかったからメチャよろけた。サイアク。

あんま人、乗ってないけど。キモいオヤジが何頭かハァハァしてて、超キモい×∞だし。

椅子に座ってる子豚。こいつの名前は司。今日は会社を休んだ奴。

御曹司の癖にいつまでたってもマザコンが抜けない、ウゼー奴。

まあ肩書きなかったら、ただのキモオタ童貞だけどね。ペッ。

「ねぇ、亜季ちゃん座りなよ。開いたから」

子豚が言う。いまのちっこい駅で司の隣に座ってたオッサンが一人降りた。

誰が座るか、そんな生ぬるい席。ケッ。

「ううん、いい。景色を見ていたいから」

メチャかわいこぶって返事してやったぞゴルァ。

なのに司ったらなんかマジにとったらしい。

「ふぅん・・亜季ちゃんって、ロマンチストなんだね」

世界のドコにそう取るやつがいるのか。もうアホかと。バカかと。

まあしょうがない。こいつに付き合ってやんのはもう少しだし。

姉さんのためにも・・ね。


******************************


「お忘れ物にご注意ください」

そんなアナウンスが流れて、今まで乗っていたたくさんの人が降りる。ひとつの波みたいに。

それに流されながら、私も降りる。

しばらくは身動きできなかったけど、駅の外に出て歩いていくうちに、だんだんと人数が減っていった。

海の音が聞こえる。

司と1年くらい過ごした、海沿いの団地が見えてきた。

そこからはもう無意識のうちだった。

真中にそびえる建物。エレベーターは8階。

♪ピンポン

ドアが開いたら一直線。一番奥の部屋。[Tsukasa&Yuli]のプレート。

気づけば懐かしい、古びた部屋の前にいた。



潮の満ち引きにあわせて、ここでの生活のエピソードが押し出されてくる。

エアコン壊れて、扇風機にふたりはりついて過ごした日。

海辺で貝殻ひろった。クッキーの焼き方、試行錯誤してがんばった。

シャドウがやってきた。そう、こいつはもともと、捨て犬だったんだ。

まだこいつは仔犬で、いたずらっ子だった。今もだけど。

涙がひとつぶ、地面におちて弾けた。司は私がここに来て泣いたことは知らないだろう。

涙の痕にも気づかないと思う。新しい彼女と、空を眺めるのに夢中で。

とてもやるせない感情。

「キャンキャン!」

中からシャドウが呼んでいた。分るんだなぁ。

ちょっと嬉しくなって、合鍵を差し込んだ。

ガチャン・・

目の前には狂ったように吠え回る一匹の犬がいた。だけどそいつはシャドウじゃない。

たぶん血統書つきの犬―ダックスフンドだった。

視線を奥にやると、大きなソファーが見えた。これは前からある。

しかし上のタオルがグチャグチャになって、血・・じゃない。ピンクと白の液体が混ぜこぜになってグッチョリついていた。

決定的・・すぎる。司は亜季と寝たんだ。

私と司が笑いながら揃えた家具の上で。

―もう我慢できなかった。見知らぬ犬に吠え立てられながら、衝撃的なものを見せ付けられて。

膝をついて、音もなく泣いた。涙をぽろぽろこぼして。


どれくらい、そうしていたんだろう。

気づいたのは、お隣さんらしき人が苦情を言いに来たからだった。

「お宅の犬?ここはペットOKだけど、少しは黙らせてもらえない?」

不満そうなおばさん。耐えかねて言いに来たに違いない。

「あ・・っ・・ごめんなさい」

「まったくもう」

おばさんは文句たれたれ、部屋に戻っていった。

やっと立ち上がり、ドアを閉めた。

私がいなくなれば、この犬も静かになるに違いない。

「そうだ・・この犬!」

ドアを再びあけて、この名も知らぬ犬を連れて行こう、と思いついた。

魔が差した・・とはこう言う事かもしれない。

小型犬だったら前足の後ろ―人間でいえば脇の下のあたり―をすくい上げれば、どんな凶暴犬でも持ち運べる。

さあ、さっきのおばさんがまたでてこないうちにさっさと逃げよう。

犬をかかえて走り出す私を、海の音が見送る感じがする。


******************************


司と私はとあるデカイ駅から外にでた。

ロータリーの中にあるファーストフード店。めっちゃ混んでる。昼時だし。でもサイアク。

うちと司が出会ったのは一週間くらい前。

夜道をとぼとぼと歩く(本人は気づいてないけど)オトコがいた。それが司。

酔っ払ってたし、ダチと別れてもあそびたりなかったうちは、勢いで声をかけちゃった。それがはじまり。

んで、いろんな夜の街つれまわして、派手な魅力に酔わせ、メロメロにさせた。

最終的には抱かれることになったんだけど、そのときに

「ご・・5万出すから・・」

どうやら司は、由里さん以外の女を抱いたことを深く後悔しているらしくて5万はらって今日の事は忘れたい

らしかった。

でもこれでお里が知れた。売春だって2〜3万だし。

きっと金持ちだ、ということに気づき私は無理やり抱かせて、金をとっていた。

密かに売春婦やってたことがあるから、テクには自信あるし。

派手な街、きらめくネオンサイン。最高の夜。

彼はいつのまにかすっかり私に惚れてて、もう由里さんなんか眼中になかった。

それで、由里さんと別れてうちとくっついてくれたんだけど・・

実はそんなに司に惚れてたわけじゃない。お姉ちゃん、亜由姉さんのため。

亜由姉ちゃんは眼がみえない。でも、すごくきれいな眼をしてる。

貧乏だったから手術うけさせてあげられなかったし。司からもらった5万も半分以上貯めてるけど、そんなの雀の涙。

勢いで結婚でもして、そのお金で亜由姉さんに光を与えてあげたいな。と思う。


ずっと大通りを眺めていた司は、ふいにこっちを向く。

「どうしたの?」

司は暗い顔つきだった。思い切って言い出してみる。

「由里・・さんのこと?」

「ううん・・」

すぐに否定してくれて、正直嬉しかった。でも、どうしたんだろう?

ちょっと躊躇ためらいがちな司。

「ほら、亜季ちゃんが家に来た時に、一匹犬がいたよね。あいつ、シャドウっていう犬なんだけど・・どこ行っちゃったんだろう」

「玄関ドアに爪を立てて外に出たそうにキャンキャン吠えるからドア開けてやったよ。それっきり」

「そんなぁ」

勿論嘘に決まってる。シャドウがうちの犬、リリィをやたらと攻撃するもんだから、頭に来て外ほっといてやった。

それが元カノの犬だったら、なおのこと。

「でも誰かに拾われてるかもしれないし。気にすることないよ」

「うん・・」


******************************


私は犬を持って走っていた。

だんだん吠えなくなったので、運よく持っていた麻袋に入れて持ち帰る。

電車の中でも気づかれなくて、よかった。

途中コンビニによって、餌を買う。

さて、廃ビルの前。

前に立ったから左の耳から右の耳に風が通る。

何か大切なものとあっさり縁を切って、でも何かまだもってきちゃった、感じ。



部屋の中。

怯えるワンコに餌をあたえ、自分は日記つけたり、パソコンやったりコーヒーを入れたりした。

黄ばんだカーテンも、夜になると元々こんな色だったという気がする。

ワンコはまだぐるぐる部屋の中を歩き回っていて、時折「くぅん」と寂しそうな泣き声を出す。

その時、私はちょっと後悔する。


そんな感じで、3〜4日が経った。

犬に餌をやるとパソコンを起動させた。

すると、カンカン、と階段を上ってくる音がした。

―司だ―

本能?勘?・・さぁ。私にもよくわからない。

ただ、不気味な来訪者がこちらにむかってくるのをただ待ってるだけというのは、非常に辛い。

バンッ

思い切ってドアをあける


階段を上がってきた、司。やっぱり当たってた。

そして彼はイヌ・・シャドウを抱いていた!

司は無表情―長く過ごしても見たことのない表情―で、感情をこめずに言った。

「亜季のリリィを返してくれないかな」

犬、とは言わなかったけれど、私にはそれが一発で分かってしまった。

部屋の中で彷徨さまよっていた犬をつかまえると、司に押し付ける。

薄暗いコンクリの四面の中で、司は人間とは思えなかった。

司はシャドウを床に放す―シャドウは不安そうに足元に擦寄ってきた―と、犬、リリィを抱いた。

「ごめん。亜季が嫉妬したらしくて、シャドウに。問い詰めたら吐いた。川岸においてきたって」

「そう」

全然怒りを覚えなかった私。それが嫌な私。

足元を見ると、確かにシャドウは薄汚れていて葉っぱなんかもついていた。

他に話すこともなくて、沈黙。重いな空気が。

ふいに司が私を抱きしめた。

「最後にキスだけでも」

「ダメ。もう亜季のものなんでしょう?」

そして本能的に押し戻した。それがいいのか、悪いのか・・

泣きそうな顔の司。これから、亜季になびいた経緯を話そうかどうか迷っているのかが、目に見えて分る。

でも、そんなのいらない。聞きたくもない。

昔から、結末の悲しい物語には二度と手を触れない私だから。

「さよなら」

シャドウを抱きあげて、部屋のドアを勢いよく閉めた。


******************************


僕にとって、その音は牢屋の鍵を無情に閉める音のようだった。トラウマになるかもしれない、

こんなに鮮烈に記憶しているのだから。


******************************


部屋の中で、ワンワン泣いた。今までにないくらいに。

自分の取った行動が正しかったのか、そうじゃないのか。

それ以前に、正しいことと悪いことが混同されて、もうなにもわからなくなった。

だから、いつ司が去ったのかは知らない。

次の日、あれは夢だったって思い込もうとして外に出たとき、はじめて司のいないのに気づいた。

そして、私と司は永遠の別れになるのかな、とあまり実感のわかない頭でぼんやり思った。

もう、泣いてなんかやんないんだから。


******************************


あれから。

密かに司が由里さんちにいって、犬をとりかえてきた。

ちょっと嫉妬したけど、これで今までずっと司と一緒にいた、って感じになった。

もう二度と、由里さんと司の人生が交わることはないので、ちょっと安心。

でも、私も司とくっつくことはなくなった。絶対に。

何故なら、司は亡くなってしまったから。

理由は、交通事故。ありきたり。

正直泣けなかった。これは愛してない、ってこと?金目当てだったから?

それとも、老人の筋肉痛と同じで、ずーっと後に涙が溢れるのかなぁ。

でも、泣いて鬱憤うっぷんを晴らせないので、心のなかがじとじとする。


司は私と付き合っていたことを親に言ってなかったので、私のことは「ただ近くにいただけの人」と思われて(即死だったから)

なんにももらえなかったけど、かえって涙ながらにうじうじ司のことを語られないほうがよかった。あっさりしてて。

だって、私現代っ子だし。


このあいだ、亜由姉さんのところに遊びにいった。

「私、御曹司と結婚するんだ。そしたら、亜由姉さんの眼も治せるねっ」

暫く前までは、そう言ってたんだっけ。今となっては悲しすぎるけど・・

こじんまりした一軒家には、亜由姉さんと、その彼氏、というか、ボーイフレンド(このほうが健全な感じがする)

秋庭あきばさんがお茶を飲んでた。

あったかくて、すっごくいい雰囲気。ひとしきり世間話をしたあと、明るく切り出した。

「あのね、あの御曹司・・ 別れちゃった。」

流石に死別したとは言えなかった。

「ふぅん。でも、今は別にいいよ。だってさぁ・・」

亜由姉さんは首を傾げながら秋庭さんを見た。

「翔がどんな顔してるかわかったら、絶対別れるから。間違いない」

秋庭さんは亜由さんを不満げに見た。

「そんなこと言うなよ。俺ってめちゃカッコいいぜ。亜由が気づいてないだけで、町を行けば

みんな振り返るんだからうん、仮面ライダーのなんとかに似てる」

亜由姉さんはあははっと笑う。

「だからぁ、私が眼ぇ見えるようになったら、翔にもめっちゃカッコよくなってもらわなきゃ

これで美男美女」



秋庭さんが帰ったあと。

「亜季の彼氏、別れちゃったんだね」

「そう。ごめんね」

「謝る必要なんてないよ。ただちょっと思うところがあるだけ」

「え?」

「翔はフリーターでお金持ちって訳じゃないけど、自由にできるお金がいくらかあるから、それをちょっとづつ貯めれば

手術代なんか捻出できるんだ。でもね、亜季を見てたら目が見えなくたって別にいいかなーって」

「なんで?」

「だって、亜季ったら眼に見えるものを悲しんだり辛がったり、駆け引きがあったり、泣いたり・・波乱万丈で私には

ややこしすぎるよ。それに、カッコよくなきゃつきあえないっていうきまりががあるし」

「そんなぁ」

ちょっと否定してみたけど、おおむね事実だ。うらやましい、とはいえないけど、こういうときは純粋なだけの恋愛ができる

姉もいいなぁと思った。

亜由姉さんはニコニコ笑いながら、

「新しい恋をはやく見つけなさいよ」

とやたらババ臭いアドバイスをくれた。



******************************


私はふと、都会の真中で薄い色の青空をみあげた。

別れ、がどういうものか未だにわからないけれど。

愛犬をを抱っこしながら次の恋のはじまりを告げる鈴の音に、ひたすら耳を澄ませていた。

―だれか、かわいい犬と飼い主ともに、引き取ってくれる方はいませんか―


 


 




思いついて書き始めたので、結構早く完結できたかと思います。

正直、恋愛経験0%なので(゜Д゜ )ハァ?って思う箇所もあるかと・・

そういうときは迷わずにメールをくださいねっ。次作の参考にします。

ちなみに******************************←は、視点の変更の時に入れました。

わかりにくかったらすみません(_ _(--;(_ _(--; pekopeko

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