第Ⅸ話 『溶解死』
「え???」
時刻は深夜3時。
場所は近所のコンビニ。
こんな時間にコンビににいるのはおかしいかもしれないが、単に眠れなかったから暇つぶしに雑誌を読みにきただけ。
この街は大体11時を過ぎると外に出ている人間は少なくなり始める。
どちらかと言うと田舎な方なのかも知れない。コンビニだって最近出来たばかりだ。
俺はそのコンビニで雑誌を読んでいるとき、ふと何気なく視線を上げたのだ。
そこには俺が映り、棚を挟んでその奥に俺と同じくらいの歳の女性が立っている。
――異変はその時、起こった。
その女性が何の前触れも無く、その様はまるで熱したフライパンの上に落としたアイスクリームのように
ドロドロと溶け始めた。
「……」
俺は何かの見間違いかと思い、雑誌を置いて真後ろにある棚に周り込む。
そこには誰の姿も無く、地面にバケツ一杯分の水が流れているだけだった。
きっと疲れているのだと思い、家に帰って寝た。
朝起きれば疲れも無くなっているだろう。
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翌日の昼間。俺は京都の地下鉄に乗っていた。
大学の講義は昼から始まるのでこの時間に通学しても何ら問題は無い。
文型学生の特権かもしれない。
得に知り合いも居ないのでipodで音楽を聴きながら窓に映る。
自分を見て髪型をセットする。
ふと視線を感じた。何気ない視線、恐らく意識しなければ気づかなかった。
「なんですか???」
窓に反射して30歳くらいのおっさんが俺を見ているのに気がつく。
何だかニヤニヤして気持ち悪かった。
おっさんは何も言わないまま、ジッと俺を見たまま相変わらずニヤニヤしている。
変質者だろうか。
少し怖くなったが音量を上げて無視しようと手をipodに伸ばした時
「 」
――おっさんはドロドロと溶け始めた。
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それは昨夜見た女性を同じように始まった。
頭がドロドロと溶け始め、やがてそれは肩に達し、最後は足をも溶かした。
俺は何も言えないままつっ立ったまま動かない。いや動けない。
そして足元に液体が広がり、初めて恐怖を感じる。
この光景……昨日のコンビニと同じだ。
あれ??? 少し様子がおかしい。
電車の中を見渡す。
本を読んだり、化粧をしたり、友達と話したり、先ほどと何ら変わりない様子だ。
――まるで俺だけにしか見えていなかったような。
『ツギハー、ニシクジョウ。ニシクジョウ』
今日は大学に行くのは辞めておこう、そんな気分じゃない。
世界がぐるぐる回る。視界が回転して、足元がふらつく。
俺はいつもは降りない西九条で電車を降りる。
皆あの男が溶けたことに気づいていない。
それどころか列車に広がる水にも気づいていない。
幻覚??? ウェッ……。
急いでトイレに駆け込み、胃液をぶちまける。
そしてその場に座り込んだまま、しばらく硬直。
「うー……ちょっとラクになった……」
立ち上がって個室トイレから出る。
ふと鏡を覗くとそこには顔色の悪い男が立っていた。
きっと何かの見間違いだったんだ、幻覚幻覚。あまり深く考えないでおこう。
顔を水で洗って、西九条の地下鉄から外に出て家に向かって歩き出した。
今は地下鉄に乗りたくない、いくら幻覚だったとしても又吐いてしまうかもしれない。
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次の日。俺は大学で講義を受けていた。
と言っても昨日の事がまだ脳裏にやきついていて中々集中できない。
あれは一体なんだったんだろう。
しかしテストも近いし、そんな事考えるだけ時間の無駄だ。ふと視線を上げた。
――二つ前の長机に座っている男に眼が行った。
彼は講義だというのに机の上には何もおかずに黙って黒板を睨みつけている。
極めつけは口元の動き。
誰かと会話しているという感じは無い、彼はブツブツと呪文を唱えているみたいであった。
その姿はどこかで見たことがある……そうだ。昨日のおっさんが――
「!!!」
彼はゆっくりとこちらを振り返った。
そして何か言った。口の間から微かな音が漏れていた。
俺をじっと睨みつけて……にやりと笑う。
そして溶け始めた。
▲
「うっうわああああああああああ!!!」
俺は椅子から転げ落ちる。
その途端に周りの視線が一気に俺を突き刺す、今目の前で溶けている彼ではなく俺に。
頭がおかしくなったのかもしれない、発狂したのかもしれない。
とにかく俺は異常だ。
あたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたいあたまがいたい
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「ん」
眼が覚めたのは白いベットの上だった。
この鼻を刺すような臭いですぐに保健室だと分かった。
時刻はあれから1時間は立っている、どうやらあの後気絶していたようだ。
少し頭がクラクラする。
今日は家に帰って寝よう。そして明日は病院で検査を受けよう。
重い体を無理矢理動かしながらそう思った。
「気分はどう???」
丁度保健室の入り口のところから女の人の声がした。
視線を少し上げてみるとそこには白衣を着た女性がいた。
俺は大学に入って保健室は利用した事が無かったので保健室の先生を見るのはこれが初めてだ。
だから俺は
「最悪です」
「それはどうして???」
「……ここしばらく幻覚を見るんですよ」
別に先生に助けを求めているわけでもなかった。
ただ、誰かに話さないともう危なかったと思う。
精神的に崩壊寸前だったのだ。
「そうでしょうね。
貴方ここに運ばれた時“何か信じられないものを見たような顔”してたらしいわよ」
「でしょうね。ところで先生、
溶解死ってわかりますか???」
俺は咄嗟に溶解死と言った。
勿論、そんな言葉は無いだろう。
だけどあれはどう見ても、誰がどう表現しようと溶解死だ。
すると先生は困った顔して答える。
「 」
先生は溶け始めた。
●
彼女はドロドロと溶け出し、保健室の床を流れた。
その一連の流れを見て、俺は何か違和感を感じた。
今までなら叫び散らすか固まって恐怖を感じていた。
この感情は以前に感じたことがある……アレは確か。
あれは確か俺が高校生での初めての夏休み、お爺ちゃんの葬式での出来事だった。
初めはよく解らなかった。何せ自分の周りでの初めての死だった。
ああ、じいちゃんは死んだのか。
そう思っただけで不思議と他の感情は出てこなかった。
死ぬという事がいまいち解らなかったからだろう。
しかし、じいちゃんが火葬場に入った時に思った。
「ああ、消えていく」
じいちゃんの身は灼熱の炎で消えていく。と。
そして骨だけとなり、それは壷に収められた。じいちゃんはこの中に居る。
しかしそこで気がついた、この壷もいつかは消えていまう。
きっと何百年と経ったら、この壷も忘れ去られてしまう。
そしてじいちゃんの存在を知っている人も居なくなれば、じいちゃんが消えていく。
そうだ――溶けていくんだ。
じいちゃんよりもっと昔の人はどうだろう???
彼らは土葬だった。それならもっと早くに溶けて、地面と一体化する。
多少の骨は残るかもしれない。
しかしそれが誰なのかを知る人物は居なかったら???
それはもう“溶けた”と表現できる。
「となれば」
水死、圧死、薬死、毒死、窒息死、老死、病死、凍死、熱死
つまり
どれも
溶解死なのではないだろうか???
多少の時間は掛かるかもしれない。だけど、それらは全部
溶解死なのではないだろうか???
そうだ。
この世に生きる全ての生物は溶解死だ。
人間以外ならもっと解りやすい。ウサギやネコ、犬でもいい。
死んだ後は土に埋もれて微生物に分解される。そして地球と一体化する。
つまり地球に溶けたんだ。
人間だってそう、皆気づいていないだけで毎日どこかでだれかが地球に溶けていく。
「そうか」
俺はそれを理解した。少し自分の知識が広がった気がした。
とまあ少し時間が掛かったけどまあいいや。
明日は講義の時間が早いから早く帰ってねy
暫くして保健室の床には少し広がった水溜りだけ残っていた。