第Ⅳ話 『買う話』
“人間は皆平等ではない”
俺は物心ついた時から今に至るまでずっとそう思っていたし、これからもずっとそう思っているだろう。
人間は人間で生まれた時点で何かしらの上下関係が付きまとうのだ。
金持ちか貧乏か。
健康か病気か。
平和な国か戦時中の国か。
王様か奴隷か。
正常か異常か。
喰う側か喰われる側か。
もとい、生きているか死んでいるか
確かに人間は平等じゃない。
人間社会という物が作られた、その時に自分達を苦しめる側か苦しめられる側かに区別したのだ。
さあ今一度考えて欲しい。
貴方に問おう――『貴方は苦しめられる側デスカ???』
「ふぅん」
とまあこんな下らない話は置いといて俺は今小さな一軒の店先の前で一枚の張り紙を眺めている。
一体いつから張っていたんだと突っ込みたくなるほど黄ばんでいて、シミがついている。
それと同じぐらいにこの店はボロボロで所々の壁に穴が開いていたり、壁の木が腐って露出している場所があったりする。
とにかく商店には間違いないのだがこれじゃあ誰も入りたくないであろう。
勿論俺だってこんな商店には入りたくもないし興味だって無い。
だけどこの一枚の汚い張り紙の事が凄く気になっていたりする。
『人生売ります』
「……」
俺が今まで生きていた中で人生を売るって言うのは初めて聞いたし、まさか人生が売り物になるなんて思っても見なかった。
おおかた人生を旨く行かせるマニュアル本の売り文句だと思うが見る限り本屋ではないと思う。
本屋ではないと思うと言ったのは店の中がスリガラスでこちらから見えないのだ。
「人生か……」
なんで俺がこの張り紙に興味があるのかはきっと俺の考えがずっと脳裏に焼きついて離れないからなのだろう。
何しろ俺は今までずっと社会の底辺を這いつくばって生きてきた、別に俺は悪くない。
悪いのは俺の両親。
俺は望まれない子供だったのだろう、生まれてすぐに捨てられた。
そして拾われたのがとある一家なのだが俺のことを虫けらのように扱った。
衣食住を与えてもらう代わりに奴隷のような扱いを受けていたのだ。
だから逃げてきた。
逃げて逃げて逃げて……やっとここまでたどり着いた。
勝ったと思った、俺の人生はやっと始まる――そう思った。
「失礼します」
気がつけば店の扉を開いていた。
異様な空気を感じた。ここの空間だけ何か違った物を感じたのだ。
店の中と外とでは明らかに違う何か……。
もしかしたらここだけ重力の影響を受けないだとか誰もが超能力を使えるだとかそもそもここは日常から切り離された空間だとか。
そう言われても「ああ。だからか」と納得できるような不思議な空気に包まれていた。
あれあれ???
ここは確か商店だったはずだ。なのに品物と言う品物は全く無かった、置かれていた形跡と言うのだろうか??? それは確かにあるのだ。
そこいらの地面にダンボールの箱が落ちていたり、値札が落ちていたり。
だけど商品は無かった。
ここにあるのはこの奇妙な空気と僕――そして目の前に座っている店の店主らしき人。
「いらっしゃい」
「……あの張り紙を見たんでけd……」
「ああ……“人生”を買いにきたのかい」
■
人生を……買う……。
こいつは確かにそう言った。じゃあ何か???
俺はどっかの人間の人生を買う事が出来るって事か???
それってもしかして今までの自分の人生を無かった事に出来るってことか???
もしそんな事が出来たなら――そんな事が許されるのなら。
「人生を……買う???」
「そうさ。世の中では常に人の人生は売り買いがされている。
例えば奴隷、貧乏人が自分を売って金持ちがそれを買う。
よく考えればこれは人生の売り買いだとは考えられないかい???
つまり人間として生まれてきたなら人生を売る事も買う事も出来るのさ」
ああ、成る程。
つまりここは奴隷市場だと言いたいのだろうか。
――つまらない。
俺が買いたいのは本当の人生だ。本当の意味での人生を買いたい。
「具体的に……何が売っているのですか???」
「本当の意味での人生ですよ。言うなれば誰かの売った人生を買う事が出来る。
つまり、その人生を売った人間と入れ替わる事が出来るといっても過言ではありません」
これだ。これが俺が求めていた人生の売買。
こんな人生を終わらせたい。
否――人生を始めたい。
社会の底辺を這いつくばっていた俺にとってどうやっても苦しめる側の人間になる事は出来ない。
人間社会とヒエラルキーの前では成り上がる事など出来ない。
「買います」
「はい???」
「 人 生 買 い ま す 」
命を捨てる。それが人生をやり直すリスク。
“俺”と言う存在を抹消し、新しい存在へと俺は進化を遂げる。
これで良かったんだ。これで俺はやっと生まれることが出来るんだ。
俺は――俺は――
飛んだ。
▲
俺は誕生した。
それも苦しめる側の人間として、この世界に立っていた。
越える事の出来ない壁を……越えたのだ。
具体的に言えば、とある会社の社長として偉そうに座っていた。
偉いのだから当たり前か。
歳は20代後半だろうか。
容姿も良くて、権力もある、地位さえも持っている。完璧な人間だった。
だけど何か違和感が残っていた。
そう、そんな完璧な人間がなぜ人生を売ったのか俺には全く理解出来なかったからだ。
まあいいや、俺は勝ち組なのだから。
~~~~~♪
テーブルの上の携帯電話が鳴り響く。現在PM10時高級マンションの最上階自宅。
こんな時間に誰だろうか???
「もしもし」
『もしもし。俺ですよ○○ですよ』
そんな名前に聞き覚えは無かった。
それもそうだ。
記憶自体は人生を買う前の自分の物だし、こっちの人生を始めてまだ一週間も経っていない。
さて……これは困った。
「ああ、何のようだ???」
『何のようだとは酷いじゃないか。あれから具合どうだ???』
「……」
あれからとは一体何時の事なのだろうか???
とにかく当たり障りの無い返答をすることにする。
「あー、もう大丈夫だ」
『そうか。そりゃよかった。
だけど初め聞いたときは驚いたよ』
「そうか???」
『そりゃそうさ。お前みたいに完璧な人間が
―― ま さ か 「 死 に た い 」 な ん て 言 う わ け 無 い と 思 っ た か ら さ 』
絶句。俺だって驚いた。
完成しきった人間が自殺志願の感情を持っているなんて絶対にありえないと思っていたから。
そしてその男は実行した。人生を売るという方法を用いて。
「あ……ぁ。あの時疲れていてさ……俺なんて言ってた???」
『んー。まあ簡単に言えば
(子供の頃は蟻を見て人間に生まれて良かったなと思った。
でも高校の時には働き蟻にはなりたくないと思った。
だから俺は必死に勉強した。そして今の地位に立つことが出来た。
でも先日公園に行った時に蟻を見てこう思った。
俺も蟻に生まれたらどれ程良かっただろうかと。
人間に生まれたのはきっと間違いだ、今だから言える。
今なら子供の頃の俺がいかに世界を知らなかったか解る。
だから無くなりたい。人間でありたくない)
みたいな???』
「……」
あーれー???
何で同感しちゃってるのー???
●
「そうか……そんな事を言ってたのか」
『俺は最初気でも狂ったのかと思ったよ。まあ今元気ならいいや。またな』
ブチッ・・・ツーツー
俺は携帯をソファに投げて深呼吸をする。
こいつは何で蟻になりたいと思ったのだろうか???
蟻になっても苦しめられるだけ、何かに縛られてもがき苦しむだけ。
だけどこいつはソレを選んだ。
「フー……」
確かに人間に生まれたのは間違いだったかもしれない。
人間社会という物がある限り。
きっと人間達はそれを心のどこかでヒッソリと思っているのだ。
そして何かきっかけがあるとソレは俺たちの目の前に姿を現す。
こいつはそれに遭遇したのだろう。
「……」
その思想は誰もが平等。つまり誰にだって自殺する可能性だってある。
あれ??? それなら社会って平等なんじゃねぇの???
人間で生まれた時点で必ず終着点がある。それが死ぬ事。
死は誰もが平等に所持している。それは当たり前のこと。
後はタイミング。何かのきっかけでソレと眼が合ってしまえば……。
「……ィォヵ」
!
ここは高級マンションの最上階自室。
俺は飛んだ。