第参.伍話 『聞耳ネクロフォビア』
時刻は昼休みが始まってから20分経過した12時50分。
場所は人気の無い中庭の端にある池。
状況はりるらが投げた石に反応して一人の男が池の中から姿を現した。
これは非常に気に入らないパターンだ。
こういう出会い方はきっと面倒ごとに巻き込まれてしまうパターンだ。
僕は逃亡を図ろうかとも思ったがそれは無駄だと気がつく。
もう“出会ってしまった”のだ、この男と“関わってしまった”のだ。
勿論この場から逃げてしまうことは出来る。
しかしそれは状況から逃げているだけで根本的に逃げることは出来ないのだ。
この場合の根本と言うのは関係を持ってしまったことから逃げること。
「紹介するわ。彼はアリゴ、気狂プログレッシ部の部員よ」
「宜しく」
「こちらこそ」
綺麗な茶髪に灰色の瞳。そして口元には竹筒。
なるほどシュノーケル代わりだろうがあれで呼吸するのは中々難しそうだ。
そして僕が一番気になってのが、耳を隠しているヘッドホン。
まだ音が聞こえる為防水らしい。
――ギュィィッィィン!!! ギュイイイイイイインと大音量の音が漏れている。
曲じゃなかった。
しかもその雑音が耳に入ると何だか気持ちが悪くなる、黒板に爪を立てた時のような感じ。
僕は耳を封じようとしたがその前にアリゴは音を切るとノイズはピタリと止まった。
「なあ、お前は……お前は“人間の怖さ”を知っているか???」
「……エ……???」
「俺の異常体質はな。聞耳と言って相手の考えていることが聞こえるんだ。
それはどんな感動の事であろうが、どんな憎悪の事でも関係ない。全て聞こえる」
「……」
隣でりるらはニヤニヤと笑ってアリゴを眺めている。
ここで僕は気がついた。
そんな能力を持っていて、なぜ彼はヘッドホンでそれを遮断しているのか。
僕のような訳の解らない能力よりずっと便利なのだと思うのだが。
「便利……!? 便利だと!? そりゃそうだ。
最初のうちは俺もとても便利な能力を持ったと思ったさ!!!
だけどな、そんな気持ちも一週間と続かなかったさ!!! なぜか解るか!?
俺は知ってしまったのだよ。聞いてしまったんだよ。
“人間の怖さ”に気がついてしまったんだよ!!!
“アレ”は駄目だ……。俺達異常体質者よりもっと狂ってる……!!!」
「僕達より……狂ってる???」
彼の言っていることが理解できない。否、理解しがたい。
僕も心のうちはかなり壊れている。
それは人とは違う世界を持って生きているから、だから壊れた。
だけど彼の言い分はそんな僕より一般の人間達のほうが狂っていると言う。
ありえない。それだけは本当にありえない。
「俺はな……。友人に裏切られた奴の心の声を聞いた。
何ていったと思う??? “ゴロジタイ。コイツノハラワタヲエグリダシタイ” 強烈な憎悪の言葉だ。
ある医者は言った “アア、カンジャヲタスケテナンニナルトイウノダ……”
極めつけは5歳児が大きな蟷螂を握りつぶした時の言葉。
“ミテ!!!オカアサン!!!ボクコロシタヨ!!!コノチッポケナセイブツヲコロシタヨ!!!” 」
「でもそれは状況によるんじゃ・・・」
「違うな……。あいつらはエゴイストなのさ、自己中心的な生物だ。
自分が生きる為には大量の人が死んでもいいと思っている」
それは……そうなのだろう。
そこが異常体質者と人間の違い。
異常体質者は自分の持つ体質のおかげで考え方や思考が壊れている。
彼もそう、僕だってそう、彼は聞きたくも無いことを聞いてここまで壊れた。
だからもし彼の言った選択があれば……一を殺して千を助ける。合理的な生き物だから。
「アイツ等は自分さえ良ければいい。こういう話を知っているか???
ある実験でそのボタンを押せば1億円が手に入る。その代わり自分の知らない人間が5人死ぬ。
この実験で全ての人間はこのボタンを1分以内に押すことが解ったのさ。
なあお前ならどうする??? 異常体質者ならこれをどうする???」
「押さないだろうね。自分の知らない人間が死んでも何の得にもならない。
だからと言って1億円も別に欲しくない」
「その通りさ」
「つまりこういう仮説が成り立つのさ。
俺達が正常であり、人間達が異常である。とな」
「そうですね、そういう視点もありますよね」
僕は彼の仮説を流した。馬鹿馬鹿しいと思ったから。
確かに彼の言っている事は間違ってはない。
100%の正解だろう――だからこそ不自然なのだ。
こじつけているというのが正しい。だから彼の仮説は違うと思った。
僕の背後から声がした。
「話は終わった???」
「ああ、終わったさ。終わったとも」
「そう。じゃあいこ」
りるらは振り返って歩き出したので僕はそれについていく。
この時、僕はりるらの態度に違和感を感じた。
そうだ……彼女は確か部長だと言っていたか……。
アリゴに対する視線は僕やコルヴォに比べると――素っ気無かった。
あれは知っている、何の興味も無い物を見る時の目だ。
僕はふと池の方を振り返ってアリゴを見る。
「……」
そこには黙ってりるらを睨みつけているアリゴが居た。
あの眼は一度僕は味わったことがある気がした……あれは憎悪だ。
それももっと強烈な・……『殺意』
――それは小さなノイズだった。
身に感じない風にも掻き消されるような小さな雑音、しかし僕には聞こえた。
まるで耳元でささやかれているように
「バケモノガ・・・」
・
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僕とりるらは部室に帰る道を歩いていた。会話は無い。
暫く僕は考え事をしていた。
彼は人間を憎悪し、彼は本当の声が聞こえたから人間は異常だと言った。
でもそれだけであそこまで強烈な憎悪を持てるだろうか??? それはなz……
「彼はね。ネクロフォビアなの」
「ねくろふぉびあ???」
「聞いたことが無いかしら??? 分類だとパニック障害や恐怖症の類なんだけどね。
もしかするとその中でも最上級になるほど性質の悪い物なのかもしれないわ。
逃げられない、絶対に逃げられない。絶対に逃げる方法を使うことを許されない」
そう言えば先ほど僕は恐怖症について思考していたっけ。
それよりネクロフォビアと言ったか???
このフレーズはどこかで聞いたことがある……。
“絶対に逃げる方法を使うことすら許されない”
僕は気がついた。
「“死恐怖症”か」
「そう。彼は死に対して途轍もなく恐怖を抱いてしまう。
常に死の瞬間を想像してそれに恐怖してしまう。
死ぬのが怖い、現実から逃げたい――でも死ぬのが怖いから自殺が出来ない。
悪循環ね。彼は生まれた時からそんなたちの悪い物を持っていたの」
「それがどうかしたの???」
「考えてみて……さっきの彼の話と彼がネクロフォビアだという事実をつなげて考えるの。
さあどう??? なぜ彼はあんなにも人間を恨んでいた???」
僕が感じていた違和感。
ほつれていた紐が――解けた。
「彼は・……聞いてしまったんですね……」
「そう。人間の本心と――“アリゴを殺してしまいたい”と言う言葉」
それは彼の人生の中で一番大きな打撃だっただろう。
死ぬのに対し、思考することでさえ恐怖になる彼にとって自分が殺されると言う言葉を聞いた時、発狂するだろう。
だから彼はあんなにも人間を嫌っていたのか、そして誤った解釈をしてしまった。
“異常体質者が正常”であると。
「何だか可哀想な人ですね」
「そうね、まあ私にとったらどうでもいい人だから興味ないけど」
りるらはどうやら本当に、完全にアリゴの事に興味が無いらしい。
そのまま部室に入っていった。
きっと彼女も彼の仮説を聞いて馬鹿馬鹿しいと思ったんだろう。
まあとにかく僕は別にアリゴと仲良くなんかしなくてもいいかと思いながら部室の扉を開いた。
「挨拶は済んだのか???」
「うん、アリゴに会わせてきた」
「あ、君が噂のヤックンだね♪」
僕が教室に入ると二人が目に入った。一人はクロウ、そしてもう一人は……女の子
同じ制服でココにいるって事は部員なのだと思う、彼女がこちらに小走りで走ってきた。
そして僕の手を取って口を開いた。
「こんにちは♪ 私の名前はヤナだよ。仲良くしてね」
この子が……異常体質者???
長い黒色の髪に整った容姿。部類で言えば可愛いになるこの女の子。
僕はこんな可愛い女の子が僕やアリゴと同じ異常体質者だとは信じがたかった。
こんな子でも……取り返しのつかない程壊れてしまっているというのだろうか。
「じゃあ私はこの後用事があるから♪ ジャアネ」
「さようなら……」
ヤナは教室からパタパタと小走りで出て行った。
それを教室の後ろの方に居たコルヴォがジッと見つめている。
否……見つめているというより警戒している。
僕はコルヴォの事をなぜか危険人物だと思い込んでいた。
余り関わらないほうがいいと思っていた。
だが、そのコルヴォが警戒するヤナは一体何なのだろう。
「彼女には絶対に関わらないで、あれは空けちゃならないパンドラの箱。
もし中身を知ってしまったら、それは地獄を知る事と同じ事。
ね。コルヴォ」
「……ああ……。俺は2.3回殺されかけてる。
俺だから生きていたがもしそれが別の奴なら……確実に殺されてるだろな」
「……ご忠告……どうも」
僕はりるらとコルヴォに忠告を受けたのだがやっぱりあんなに可愛い女の子がそんな恐ろしい事をするとは思えなかった。
だから僕はヤナを怖い人間リストには加えなかった。――それが間違いだった。
“綺麗な物には棘がある”
その棘はもはや狂気にも値していた事を僕はこの時は一切知らなかったのだ。
・
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放課後。僕は何も無い美術室で彫刻と会話していた。
彼はこの何世紀もの間、世界の移り変わりを見てきたらしい。
そりゃまあ人間の悪行は酷い物だと断言した。
そしてこれからもそれは変わらないと予言さえした。
「でもそんな人間に君は作られたんだろ???」
「……」
途端に僕の頭痛は治まって、目の前の彫刻は何も喋らなくなった。
何だかりるらとあってからこちらの世界に来る事が増えた気がする。
まあでも……別に僕はこっちが嫌いな訳じゃないし、別にどうでもいいかなと思いながら美術室を出た。
グチャ!!! ……ピチャピチャ
何かが潰れる音、それと同時に液体を踏む音。音源は美術室の隣にある準備室。
おかしいなと僕は時計を眺める。
時刻は6時を回ったところ、この時間にはもう美術部の人達は帰っているはずだ。
帰っているからこそ僕はこの場所に導かれ、そして彼と会話していたのだから。
……何だか嫌な予感がする。
あの扉の奥には途轍もなく狂っている世界が広がっている。
僕はそんな予感がしていた。
「まさか……な……」
僕は恐る恐るその扉の前に立ってドアノブを握り――ゆっくりと開いた。
扉を開く時に軋む音がして思わず耳を塞ぎたくなった。
それと同時に鼻の奥を刺激する異様な臭いが僕の嗅覚を支配する。
「うわ……」
それは酷かった。何が酷かったか。
まず僕の視界に入った準備室の壁、まるでライオンに引っ掻かれたような大きな引っかき傷が壁一面に広がる。
そして女性の彫刻。
穏やかな顔の眼球に太い杭が貫通している、これが人間の顔なら……そう考えるだけでもおぞましい。
部屋の中心にあった机は潰されていて、足元をよく見れば木の破片が飛び散っていた。
一体何をしたら机が潰れるのだろうか。
黒板は真ん中で割れていて右半分が完全に地面に落ちてしまっている。
足元にはショーケースの物であろうガラスが散乱していて、まるでここで銃撃戦があったようだった。
そしてこの臭い。これは血の臭い、人間の体を流れている血だ。
――その血が数々の破壊された物の上からコーティングされるように撒き散らされている。
血まみれだった。倒れたショーケースも、美しい油絵も、真上にある蛍光灯も。
――部屋の奥で倒れている人間も
「ぅわ……」
死体。四対。肢体。シタイ
男の体は八つ裂きにされて何とも痛々しかった。
そして胸のところが集中的に攻撃を受けていた。
心臓だ。心臓を幾度も幾度も刺されたんだ。
――その心臓は倒れている男の右手がしっかりと握っていた。
自分自身の心臓を……守っている。
僕はそれ以上のことは何も考えずに準備室を出た。気持ち悪い、吐きそうだ。
「一体……誰が……ウヘェ……」
僕は胸の奥から込み上げてくる物を抑え這いながらその場から逃げるように進む。
早く逃げなければ、ここに居ては駄目だ。気が狂いそうになる。
落ち着け。落ち着け僕、よし……大丈夫。
慣れっこじゃないか??? あれが始めての体験でも無いだろう。
血迷うな、何をすべきか考えろ。
……僕は深呼吸をする。そして立ち上がって振り返る、もう美術室は見えない。
「あれ???」
恐らくさっきからずっと鳴っていたのだろうけど、何しろあんな状態だったのだから気がつく訳も無かった。
――僕は長く続く廊下と数メートル先の倉庫が視界に入った。
この倉庫と言うのは体育大会で使う大玉なんかが入っていたと記憶している。
その倉庫から、『音』がするのだ。耳を澄まさなくても解るくらいの音が漏れている。
僕はその『音』に好奇心を持ったのだろうか倉庫の扉を開いた。
「――なんで???」
「……」
彼は何も喋らなかった。虚ろな眼で僕を見据えながら、ただただ“揺れていた”
その光景が僕には何か引っかかった。何か……何かこの光景がありえないと思った。
僕は何も言わないまま彼を見つめていた、別に友達だったわけでもない。
それなのに彼には親近感が沸いていた。
一体彼はどんな気持ちで最後を迎えたのだろう。
――ちょっと待て。何かおかしい、何かが違う……そうか……。
「じゃあこれは一体“誰が”……」
僕は暫くの間、首吊り死体を眺めていた。
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次の日の朝。僕はいつもより早く目覚めたので早めに学校に行くことにした。
それにしても時間を少しずらすだけでこんなにも生徒の数が違う物なのかと思った。
その日の登校中には僕は同じ高校の生徒は見なかった。
学校が騒がしい。パトカーが何台も停まっているしカメラを持った人達が沢山居る。
頭痛は……ない。
「今日から暫く休校らしいよ」
「おはよう、りるら」
休校らしかった。それにしても一体この騒ぎは何なのだろうか。
僕とりるらは校門から数メートル離れた所からその光景を眺めていた。
「ほんと迷惑だよね。殺しはいいけど、私に断り無しにするからこういう事になっちゃうんだから」
「何があったの??? 僕は全く知らないんだけど」
「ヤックンってテレビとか新聞とか読まない人???
じゃあ知らないね。美術室の隣に準備室ってあるんだけど、そこで惨殺死体があったの。
いつかこうなっちゃうと思ってたけど本当になっちゃったわね。
コルヴォもちゃんと監視してなきゃ」
そう言えば昨日死体を見たな。
……あれ???
「どうしたの??? 今のヤックン凄い変な顔してるよ???」
「……りるら。ちょっと相談があるんだけどさ」
「ああ、ジルバの事??? うん、勿論知ってるよ。
あれは対処できたの、精神誘導してちゃんと処理したからヤックンは気にしなくていいよ」
違う。僕が言いたいのはそういう事じゃない。
もっと根本的なこと、まさか忘れてしまったわけじゃないだろ???
彼がどんな人間か……彼がどんな欠陥があったか……。
本当に君は、本心で君は―― 気 づ い て い な い の か ? ? ?
「馬鹿だよねー。まさか自分で自分を殺めるとはね」
「……待てよ……どう考えてもオカシイだr」
思い出した。りるらがジルバに対してどんな視線で見ていたのか。
あの目は何の意味も無い、そこに何の感情も無い、あれは“無関心”だった。
本当の意味でりるらは彼に何の興味も持ちえていなかったのだ。
だから君は気づいていないのか???
「 ダ カ ラ ナ ニ ? ? ?
気 ガ 付 イ テ イ ナ イ 訳 ナ イ ジ ャ ナ イ 。
ソ ウ 。
彼 ハ “ 死 恐 怖 症 ”ヨ 、 ツ マ リ 自 殺 ス ル 訳 無 イ 。
知 ッ テ ル デ シ ョ ? ? ?
私 ハ 彼 ヲ 本 当 ニ ド ウ デ モ イ イ ト 思 ッ テ ル 。
ダ カ ラ 彼 ガ 誰 ニ 殺 サ レ タ 何 テ 興 味 ナ イ ノ 」
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アリゴ。君は聞耳と言う異常体質を持って人間を知りすぎてしまったんだ。
怖かったんだろう??? 人間が怖かったから『音』から逃げた。
人間を憎悪していたんじゃなくて単純に逃げていただけなんだろう???
水の中にもぐってまで『音』から逃げたかったのか……。
だからこんな事になってしまったんじゃないか???
君は聞かなくちゃならない『音』を聞いていなかったんだ。
聞いちゃいけない『音』だけ聞いていたんだろう。
気づいちゃいなかったのか??? 聞耳を使えば君は殺される事なんか無かったんだよ。
君は逃げる事が出来たはずなんだよ。でも君はそれをしなかったんだ。
そして何より――ネクロフォビアな君。
でも良かったじゃないか。ようやく逃げる事が出来たじゃないか。
君は――死んだんだ。
「バイバイ。ちなみに僕は君の事は大嫌いだった」
『そうか??? 俺はお前が結構好きだった』