第十八話 『奇妙な模様の羊達』
私は旅人である。死ぬまで旅人をやるであろう。
旅とは良い物だ。想像が出来ないものが世の中には沢山あるのだ。
今まで色々な物を見た。下から上に水が流れる滝、一日で姿を消してしまう洞窟。歪な愚形の果実のなる木。
私の思う旅はその想像すら出来ないものと出会うことに意味があり、意義がある。
そしてこのお話はそんな私がある大草原の中で生活していた一人の羊飼いと出会ったところから始まる。
「羊飼いよ。この地方には何か不思議な物は無いだろうか???」
「不思議な物でございますか。それなら私の羊達などはどうでございましょう」
「お前の羊が不思議なのか??? ふうん、私はもう何十年も不思議なものと出会ってきたがまだ不思議な動物は見ていないのだよ」
羊飼いの家はこの街から少し離れた草原の丘の上にあるという。
私はどんな不思議な羊なのかと想像してみる。
体重が存在しない羊。見えないほど早く走る羊。もしかしたら人語を話す羊かもしれない。
私はどんな不思議な羊なのか、早く見たくてウズウズしてきた。
すると、丘の上に小さな家と柵が見えた。その柵の向こうに何百は居るであろう羊達がうごめいている。
私は羊に駆け寄る。
「羊飼いよ。これの何が不思議だというのか」
近くで見るといたって普通の羊なのだ。何かが違うだとか何かがおかしいというのは無い。
羊飼いに反応したのか、数頭の羊がワラワラと集まってくる。
そこで私はぎょっとした。
それは余りにも異常は模様だった。模様――というよりシミがあったのだ。
羊達はシミのような物があった。別にそれなら問題は無い。
それが人の顔のように見える、『ムンクの叫び』のムンクのような顔、何かを訴えかけているような……そんな顔。
不思議――いや不気味だった。
羊飼いは言う。
「ここの牧場の羊は全部、このような模様が浮かび上がるのですよ」
「この羊達は一体なぜこのような模様があるのだ」
「彼らは知っているんですよ――
自 分 の 存 在 理 由 を
■
「存在……理由???」
「その通りでございます。実はこの羊達は食用として私が街に売りに行っている羊達でございます。
だから彼らは街に連れられていき帰ってこない仲間を見て自分達が一体なぜ存在しているのか???
なぜこの牧場でこのような羊飼いに餌を与えられているのか。
自分達はいずれ殺されて人間に食べられる。と知っているのです。
存在理由を知っているのです。だから彼らはそれに気がつくと不思議な事に身体に模様が出来る。
あの叫んでいるような何かを訴えかけているような顔が……」
「自分がいずれ死ぬと……知っているのか???」
羊飼いは頷きながら群れの中の一頭の羊の頭を撫でる。
自分達がいつか食べられるという事を知っていながらこの羊達は生活しているという。
それはどんな気持ちなのだろう。
自分の死期を知っているとは――どんな感情なのだろう。
私はその場に座り込んでしばし考える。
きっとそれは恨みなのだろう。自分は誰かの為にしか存在できない単なる栄養にしか過ぎない。
自分を恨むだろう。なぜ自分は食用の羊として生きてしまったのだろうかと。
人間を恨むだろう。なぜ他の生き物が生きていく為に自分が殺されて食べられなければならないのだろうかと。
あるいは食物連鎖の過程で仕方のない事だと思うのだろうか???
人間が生きていく為には食べなければならない。自分だって草を食べている、生き物として生まれてきたなら当然の法則。
そう解釈するのだろうか???
私は彼らの模様を見る。
あの悲痛を叫んでいるような、何かを訴えているような顔の模様。暫くそれを見ていた。
気がつけば夜空には星が輝く。
▲
その日の晩。羊飼いは親切にも私を一日ばかり泊めてくれるらしい。
夕食はこの地方に伝わる料理。来客が来たときに作られる羊を使った料理らしい。
しかし何だか私はそれを食べる気にはなれなかった。彼らの感情が私の中に流れる。
そんな私を見て羊飼いは言う。
「貴方もあの羊達がどういう感情を持っているのか考えているのでしょう???
ここには数多くの旅人が来ました。彼らは全員、そのことについて深く考えているのですよ」
他の旅人も……と言うことはここに旅人が来たのは初めてではないのか。
私が思うところは旅人と言うのはそういう性分なのだろうか。
私はそんな事を思いながら肉を一口食べる。――おいしい。おいしいのだ。
こんなに美味い肉は今まで食べたことが無かった。私は二口、三口と食べていく。
あっという間に食べ終えた。羊飼いは言う。
「これは私の想像のお話です。
この牧場の羊達は“恨み”や“怒り”。そんな感情は抱いていないでしょう。
おいしいでしょう??? ここの羊は確かにおいしいのです。
それはなぜか??? 私は特別何もしておりません。普通に生活させております。
じゃあなぜこんなにもおいしいのか???
きっと彼らは“誇り”とまではいかないかもしれませんがそれに近い感情を持っているのではないでしょうか。
自分の死期を知りながら、自分の存在理由を知りながら。
彼らは私達人間においしいと言ってもらえるように、そう思っているんじゃないでしょうか」
「そうだろうか……いや……そうなのかもしれないな……」
なぜかこの羊飼いの言うことは納得できるのだ。
“誇り”彼らはそれすら抱いているのかもしれない。
彼らはそれを訴えたかったのか??? あの表情で……
――突如、目の前の視界が悪くなる。これは睡魔だ……
霞んだ景色の中で羊飼いが言う。
「旅人よ。貴方は愚かだ。
彼らの気持ちが知りたいなら、彼らと同じようになればいい。
大丈夫、すぐにどういう感情なのか解かりますから」
●
朝、目が覚める。
私はあのまま寝てしまっていたのだろうか……。
ベッドから立ち上がろうと足に力を入れる――立てない。
今度は腕に力を入れて立ち上がろうとする――立てない。
仕方なくベッドから転がり落ちるようにして地面に足をつける。
一体どうしてしまったのだろうか??? 身体がうまくいう事を聞かない。
声が出ない、そもそも今までどうやって声を出していたのか解からないほど声を出そうとするのが辛かった。
今度は二足歩行しようと立ち上がる――が立てない。仕方なく四つん這いで歩く、これは案外楽だ。
「ああ、起きたんですね」
「……」
「大丈夫さ、恐れることはない。君は全てを知ることが出来るんだから」
そう言って羊飼いは家を出て行く。
一体何を言っているのか解からない。私は部屋の中にあった大きな鏡をふと見る。
そこには一頭の羊がいたのだ。
これが私??? なぜ――
な ぜ ―――
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数ヵ月後、私は柵の中に居た。
逃げることは出来ない。逃げたらどうなるか知っているから出来ずに居る。
私の体にも例の模様がある。
確かに私はあのモヤモヤした感情を知ることが出来た。
――ふと柵に近づいてくる二人の人影が見えた。
一人は羊飼い。もう一人は見覚えの無い顔。
「これが“奇妙な模様の羊達”です」
「ほう……私は長いこと旅をしてきたがこんな奇妙な羊は始めて見た」
私は叫んだ。私はあの旅人に“訴えた”。
逃 げ ろ ! ! ! そ の 羊 飼 い は 危 険 だ ! ! !