黒い糸
好きになってはいけない人を好きになってしまった。
彼や私に婚約者がいるわけでも、ましてや結婚しているわけでもない。
身分が違うとか、つりあわないとかそういう問題があるわけでもない。
それでも、あの人は好きになってはいけない人。
私の命を、削る人。
運命の赤い糸。2人を幸せに導くはずの糸。
でも、私の小指に結ばれた、私にしか見えないこの糸だけ、黒ずんだ紫色。
……あの人を想う気持ちが強くなればなるほど黒ずむ糸。
それは、前世の私が犯した罪の報い。
どんなことをしたのか、はっきりとは覚えてはいない。
覚えているのは、たくさんの赤い糸を切って、たくさんの赤い糸を結んだこと。
理不尽だと思った。
前世の私が犯した罪を、どうして私が償わなければいけないんだ、と。
だから、半ば意地になっていたのだと思う。
すぐにこの赤い糸を切ってしまえば、こんなにも苦しまなかったのに。
私は、この赤い糸を切ろうとしなかった。
……それが間違いだった。
寝ぐせじゃないと言い張るちょっと跳ねた髪とか。
ごつごつとした大きな手とか。
拗ねたときの唇とか。
照れて真っ赤になった耳とか。
たまに見せる笑顔とか。
会えば会うほど、話せば話すほど、関われば関わるほど、知らなかったことを知って。
その度に、彼を好きになって……苦しくなった。
鮮やかな赤色だった糸がだんだんと紫色に変わり、黒色に近付いていく。
その変化と同じように私の体調も悪くなっていく。
もちろん、病院へ行っても原因はわからない。
耳元で「今なら間に合うよ」と誰かに囁かれる。
「糸を切りなよ。楽になるよ」
その度に私は1人呟くのだ。
「そうだね、きっと楽になるね。……身体は」
運命の赤い糸を切ることは、その人との永別を意味している。
会おうとしても、絶対に会えない。……避けているわけでもないのに、絶対に会えなくなるのだ。
そんなことできない。……できるわけがない。
あの人に会えないまま生き続けるなんて、そんなことしたくない。
だから、私はこの糸を切らない。……一生。
真っ白の病室で、ぼんやりと天井を見る。
小指を見ると、すっかり黒くなってしまった糸が見えた。
ああ、もうそろそろ時間か。
周りが騒がしい。でも、その中にあの人の声はない。
最期にあの人に会いたい。……でも、無理なんだろうな。
目の前が小指に結ばれた糸と同じ色に染まった。
私は最後の力を振り絞って小指に結ばれた黒い糸にキスをする。
「……大好き」
今までも。……これからも。
◆ ◆ ◆
目を開けると、ぼやけた視界の向こう側に彼がいた。
目を擦って彼を見ると、何やら心配そうな顔をしている。
「大丈夫か?」
「……なにが?」
意味がわからず首を傾げると、大きな手が私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「なんか、魘されてるみたいだったから」
「そうなの?」
「ああ」
夢の内容なんて全然覚えていない。
……まあ、夢ってそういうものだからしょうがないか。
でも、なんとなく寂しくなって彼に抱きつく。
「ねえ、ギュってして?」
「……ん」
彼は短い返事の後に、ギュって抱きしめてくれた。
幸せなのに、どうしてだろう。無性に泣きたくなる。
よくわからない感情に戸惑う。
そうしたら、彼は黙って私の頭を撫でてくれた。
「……ごめんな」
どうして、謝るのだろう?何を、謝っているのだろう?
私にはわからない。
彼と、彼と私を結ぶ黒い糸だけがそれを知っていた。
こうで、ああで、そうで…とかいろいろ説明するよりも、シンプルに書きたいところだけを書きました。…案の定、不思議な終わり方に。
いろいろな解釈ができる話を書きたかったのに…失敗した。
でも、短編の練習にはなった…ような気がする。