逆転の一瞬
宣国という国に、貧しい一軒のうちがある。農業を生業としており、今日、食べるというのもやっとという有様だった。
「夏だから、まだ食べるものがあっていいけど…」
長男の揚白明は独りごちる。20代で一家の大黒柱だった。今日も朝早くから夜遅くまで、仕事するのである。そんな彼らに対し、村の人々は良い顔をせず、無視したり、悪口を言ったりするのだった。
「あのうちは…ねえ?」
「まあね。ちょっとね」
そういう連中の声には聞かないようにと、白明は家族に言い聞かせていたのだった。そんなある日、村に羊の羹ーいわゆるスープみたいなものだが、ふるまわれるというので、白明も家族のために恥を忍んで行ったのだった。しかし、鍋を一生懸命、差し出したのだが、
「お前は駄目。次」
あしらわれてしまったのだった。白明は空の鍋を胸に抱き、
ーくそ、覚えていろよ!! 食べ物の恨みは怖いからな!!
怒りを発散できないまま、日々が過ぎていった。そして村の会合がある日、白明は爆発してしまったのだった。普段からあまり喋らないほうで、親しくする人間もいないのだが、参加しないわけにはいかなかった。隅のほうで静かに手酌で酒を飲んでいると、ふらりと1人が近寄ってきた。
「ーよう。1人で飲んでいるのかよ?」
「…」
白明はお猪口を持ったまま、顔を背ける。村でも1番偉いとされているうちの息子ー長光大が何故か話しかけてきた。いつもなら、取り巻きと一緒につるんでいるのに、今日に限って何の用だと思ったら、頭から酒をかけられた。
「へっ。お前なんかいなくていいんだよ。帰れ!!」
「…っ!!」
反撃したかったが、他の人達の目があるので、できなかった。ぐっと拳を握りしめ、立ち上がる。貧乏人の自分には来るなということかと、よく思い知ったのであった。
ーくそ!! くそ!! くそ!! 悔しい!!
唇を噛みしめる白明に向かい、光大は、にやにやしながら声をかける。
「おや? お気に召さなかったか? 普段から酒なんか飲んでいないものだものな」
「…ざけるな」
「は? 何だって? 大きな声で言え!! お前、口がないのか? え? な、皆!!」
その場にいた全員が白明と光大に注目し、声を立てて笑う者、顔を背けて知らん顔する者、何か言おうとしてやめる者と分かれた。その様子を白明は横目で見、
「ーふざけるな!!」
ついにきれたのだった。光大の襟元を掴み、吐き捨てる。
「俺と1対1で勝負しろ!! 負けたほうがこの村から出ていけ!!」
「…ふーん、別にいいけど。俺、強いし。な、皆?」
どっと笑い声がわきあがり、白明はじろりとねめつける。たったそれだけの仕草で、周りは静かになった。白明が本気で怒っていると悟ったのである。しかし光大だけは空気を読まず、白明の手を強く払うと、嫌な笑みを浮かべる。
「お前が出ていくんだよ。貧乏人!!」
「誰が…!! お前なんか!!」
白明は強く声を荒げると、外へ飛び出す。
「早く来い!! 今、決着をつけよう!!」
「…面倒くさっ。ま、いいか。はいはい、行きますよ」
かったるそうな様子で、光大が外へ出てくる。皆、酒を飲む手を止め、2人に注目する。
「あ、そうだ」
光大はまだにやにやしており、続けて言う。
「この前の羊の羹な、美味しかったぞ。お前のうちはもらえなかったらしいけどな」
「!! お前のせいか!!」
「当たり前だろう? 誰が貧乏人なんか相手にするか。それに滅多に飲めないのに、分けるなんて馬鹿だっていうの」
「くっそー!! お前という奴は…!!」
「こら!! 手を出すな!!」
手を伸ばすと、聴衆から声があがったが、光大が止める。
「いい。こいつに勝てばいいだけの話だ。勝負しよう」
「当然だ!! 負けてたまるか!!」
そう言うと、2人はぶつかり合ったのだった。光大は自信満々のようだが、白明も負けていない。農業で体を鍛えているから、むしろ強いほうだと、皆、驚いた様子で観戦している。
「ー俺をなめるな!! 貧乏人だって、心があるんだよ!!」
酷いことをされれば傷つくし、良いことがあれば喜ぶし。人間、生まれも育ちも違うが、基本的には同じだと白明は思っていた。光大が拳をくり出したのを避け、殴りかかる。
「痛っ!!」
綺麗にきまったらしく、光大が頬を押さえる。
「貴様ー!! 俺を誰だと思っている!!」
「ただの弱虫だろう。取り巻きがいないと、何もできない」
「なっ…!! くそ!! お前なんか、村から出ていけ!! 出ていけ!!」
光大が乱れて暴れ出したが、白明は冷静だった。ひょいひょいと避けると、代わりに腹に一撃を入れる。光大は「うっ」と呻き、よろめいた。そこを見逃す白明ではなく、光大に拳を何発も食らわす。
「この!! この!! この!!」
凄まじい剣幕に、誰も声を出すことができなかった。気づいた時には、光大が地面に倒れており、静かになっていた。
「な…」
皆、決着を見、驚いた表情となった。白明は肩で息をし、拳を構える。まだ攻撃する連中がいるなら、やるつもりだった。
「や、やめておけ!! ここはもう終わりにしてな? な?」
数人がやっと光大のところへ来、白明に下手に出る。
白明は何も言わず、呼吸を整えていく。1番下だと思われていた人間が、1番上だと思われていた人物に勝った瞬間だった。
「…俺に文句言う奴はいるか?」
低い声で問いかけると、皆、急いで首を横に振る。ざまあみろと心の中で思い、白明が背を向けたその時、
「お、おい。白明」
村の人達が怯えながら声をかけた。白明はまだ興奮状態にあったが、振り返る。
「何? 言いたいことがあるの?」
「あの、その…。…お前、言えよ」
「嫌だよ。怖いもん」
「あのな…。ちっ。しょうがねえ、俺が言うか」
1人が白明に近づき、両手をあげる。手をあげる気はないというつもりらしい。
「お前、光大に勝っただろう? あの、それで」
「それで? 何? まずいわけ?」
「まずいというか、明日から誰が皆を束ねるかが問題になってくるんだよ」
「は? 何だ、それ? 皆で話し合えばいいだろう?」
「それはそうなんだけど、誰か代表がいないと…そのな、まずいというか」
「俺になれって? …はっ。散々、馬鹿にしたくせに」
白明が唾を吐くと、皆を見回す。下を向く者、おどおどする者、中には何故か目を輝かせる者もいた。
「農業、なめるなよ。体の鍛え方が違うんだ」
「わ、分かったよ。お前が強いことはよく分かった。だから、お前が皆の意見を聞いてやってくれ。頼む!!」
「…。何だ、それ」
はっと笑った白明だったが、皆が真剣な表情をしているのに気づき、胸をさする。気分を落ち着かせると、興奮を少しおさめ、
「誰が束ねるとかじゃなくて、皆で協力すればいいんじゃないのか?」
「え…。ど、どういうこと?」
「1人に頼ろうとするから、不公平が生まれるんだよ。そうじゃなくて、家が大きいとか小さいとか、関係なく、意見を出し合ったほうがいいと思うけどな。そのほうが村が豊かになるような気がする」
まだ気絶している光大を足で蹴ると、白明は腰に手を当て、返事を待ってみる。
「どうだ? 俺の意見に賛成か、反対か」
「…」
皆は互いの顔を見つめ合い、黙り込む。白明は髪を掻きむしると、返事を待ってみる。
「…そうだな。皆で協力したほうがいいよな? な?」
「う、うん。俺も言いたいことがあるもん。どう、皆?」
「今まで光大が偉そうにしていたからな。皆、もう仲間外れはやめようぜ」
皆が口々に意見を言い、白明に向かって居ずまいを正す。
「お前の言う通りだ。皆で助け合おう。な?」
「そうか、ありがとう」
少し照れくさそうに言うと、皆、安堵の息をもらした。
「じ、じゃあ酒を飲もうぜ。もう意地悪したりしないから」
「…いいのか? 俺、皆に嫌われているんじゃ…」
「光大のせいだ。あいつが全部、いけないんだよ」
皆、光大に白い目を向けると、白明の背中を押す。
「ほら、早く!! 少ししか飲んでないんだろう?」
「酒はその…貧しいから普段から飲まないし」
「だから今、飲むんだよ。皆、大歓迎だ」
何故か雰囲気が穏やかなものになり、白明も誘われるまま、中に戻る。その際、一言告げる。
「俺を仲間に入れてくれて、どうも」
「いいって。これからよろしくな」
皆に歓迎され、白明はうっすらと笑みを浮かべた。
「じゃあとり直して、いただきます!!」
酒を注がれ、白明は口にする。今まで美味しいと思ったことはなかったが、皆と話せるのは嬉しいことだった。
ー自分の身を守れるのは自分だけ。少しの勇気と度胸が環境を変えてくれる。
そう悟ると、白明は初めて酒が美味しいと思ったのだった。




