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第33話 手紙に込めたもの


イファが仕事へ出かけたあと、リアはマリナとふたりで柔らかな時間を過ごしていた。

それは、ここで、紛れもなくリアが積み重ねてきた変わらない日常だった。


けれど、リアの心は重たい鉛を抱えていた。

窓の外を眺めながら、そっと胸に手を重ねる。



セリオが告げた危険という言葉が、耳の奥で何度も反響していた。



──私は、本当にここにいていいのだろうか



そんな疑問がリアを蝕んでいく。



そのとき、控えめなノックの音が響いた。



「リア? 私よ、ミナ」


リアは少し驚きながらも、扉を開けた。

そこには心配そうに微笑むミナの姿があった。



「ちょっと顔が見たくてね。……入ってもいい?」


「もちろん」


ミナは家の中へ入る。



「マリナさん、こんにちは。お邪魔してもいいですか?」


「もちろんよ、いらっしゃい。私はお茶を淹れてくるわ。二人でゆっくりしていてね」




しばらくして、湯気の立つティーカップが二人の前に置かれる。

マリナは「ごゆっくり」と笑顔で一言こぼして、自室へ向かった。



リアは湯気越しに、そっと視線を落とした。


少しの沈黙が続き、やっと出た言葉は、ほんのわずかに揺れていた。



「……ごめんね、ミナ。せっかく来てくれたのに……。ちょっと、考え事をしていて……」


ミナは軽く首を振る。


「そんなの気にしないで。心配だったから、少しでも顔が見られてよかったわ」


優しい声だった。

リアはひとつ呼吸をおくと、小さく呟いた。



「……わたし、悩んでいることがあるの……」


リアの小さな呟きに、ミナはそっと微笑んだ。


「悩むって、悪いことじゃないと思うわ。むしろ、悩んだり迷ったりしない人なんていないんじゃないかしら」


少しだけ間を置いてから、ミナはゆっくりと言葉を続けた。


「リア、前に私が手紙を渡せたって言ったの、覚えてる?」


リアは頷いた。


「うん。あの日、水祈の星灯の時……」


ミナはカップの縁を指でなぞりながら、少しだけ目を伏せた。


「実はね、あれ、簡単にできたことじゃなかったのよ。小さい頃からユウトが好きだったのに、ずっと言えなくて……。何度も諦めようと思ったわ。怖かったの。もし、私の気持ちを伝えたら、今まで積み上げてきた大切なものが壊れてしまうんじゃないかって。一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、変化を恐れてしまったの……」


リアは、静かに耳を傾けた。


「ユウトは、昔から変わらないわ。優しくて、まっすぐで。でも、誰にでも優しいから、余計に怖かったのよね。私だけが特別じゃなかったらって」


ミナはふっと苦笑した。


「だから、本当はずっと心の中に自分の気持ちを押し込めてた。でもね……」


ミナはリアの目をまっすぐ見つめた。


「リアと約束したでしょう? ちゃんと気持ちを伝えてみるって。私一人ではできなかった。あの時リアと出会ってなかったら、私はきっと今でも何も言えないままだったと思う」


リアの胸の奥に、ほんの少し暖かいものが広がる。


自分の過去すら知らない自分が、

たしかに誰かの未来を変えられたのだと。



「そして、私も知ったの。自分の気持ちって、自分の中で抱えているだけじゃだめなんだって。言葉にして初めて、自分自身がその想いをちゃんと受け止められるのかもしれない……」


ミナの声は小さかったが、その瞳はとても強かった。

そして、目を細め、柔く笑った。



「手紙を渡すとき、手が震えたのよ。緊張して、身体全部が心臓になっちゃったのかと思ったわ。だけど……渡してよかった。心からそう思うの。今までで一番怖くて、一番勇気が必要だったけれど、私、彼に自分の気持ちをちゃんと伝えられた」


「ミナ……」


リアは思わず呟くように呼んだ。

ミナは微笑んで、続ける。


「もし断られたら、もちろん辛かったと思うわ。けど、それでも、言えずに後悔する方がずっと嫌だったのよ。気持ちを閉じ込めていたら、誰も知らないまま、私の心の中だけで消えてなくなってしまうでしょ?」


リアは、心の奥でゆっくりと反芻していた。


「言葉って、誰かのために紡ぐものだけじゃなくて、自分のためにも必要なのかも。……少しでも前に進む勇気をくれるから」


しばらく静かな沈黙が流れる。


怖くて動けないのは、自分だけじゃない。

自分と向き合うこと、言葉にして伝えること。


それは、こんなにも怖くて勇気がいることなんだ。




「……ねぇ、リア。今、悩んでいるって言ってたわよね? きっといま、怖かったり、不安だったり、いろいろな気持ちに押しつぶされそうになっているんじゃないかしら。でも、だからこそ言葉にしてみて。大切な人と、気持ちを分け合って。そうすれば、一緒に悩んで、考えて、支え合えるはずだから」



ミナは、そっとリアの手を握った。


「大丈夫よ。リアは一人じゃない。 あんたの周りにいる人は、そんなに弱くないんだから」


初めて会った時と同じように、唇の端だけで笑うミナ。


その言葉は、まるで静かな雨が乾いた土を潤すように、リアの心に沁み込んでいった。




──私は一人じゃない。



ここで、たくさんの大切な人に出会った。

そして、みんなとの日々を、記憶を、ちゃんと大事に積み重ねてきた──



リアの胸の奥で、また小さな光がそっと揺れた。

そして、ミナは小さなバッグから一枚の封筒を取り出す。


「これ、良かったら受け取ってくれる?」


リアは驚きつつも、両手でそっと受け取った。


「……これ……?」


「今日、もし会えなかったらって思って書いてみたの。私があの時、ユウトに渡した手紙と同じ便箋を使ったのよ。私の一番のお気に入り」


リアは、胸の奥で言葉にならないほどの感情が溢れていくのを感じながら、そっと微笑んだ。


「ありがとう、ミナ……」


静かな部屋に、ほのかに漂うお茶の香りと、二人の優しい沈黙が満ちていた。


そして、リアの胸の奥で、またひとつ、小さくも確かな光がそっと灯った。


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