第31話 真実のかけら
「ノアレ……」
リアは、頭でマリナが発したその三文字の言葉を繰り返す。
つい数時間前にセリオに告げられた言葉が、また胸の奥でざわめいた。
──三年前、君はノアレである事故に巻き込まれ、命を落としかけていた──
「私の過去を知る人が、教えたくれたんです。私の故郷はノアレだと……」
マリナとイファは息を呑んだ。
沈黙が耳に響く。
ごくりと唾を飲み込んで、ゆっくりマリナが口を開いた。
「……ノアレは……もう、消えてしまった町なの」
「え……?」
マリナは、すうっと息を吸い、胸に手を当てる。
「あの日、私は何も知らず、木の実を取りに出かけていた。アルメリアの南の森で。そこは小高い丘になっていてね、盆地になっているノアレが見渡せたの。昼前だったわ……。突然、ノアレの町が、音もなく青白い光に包まれた……。あまりにも眩しくて、すぐに目を閉じたわ。でもその光は、まぶたの裏に焼きついて、消えてくれなかった……。地面に手をついて、もう一度目を開けたときには……町は、もう、焼け焦げた瓦礫の影しか残っていなかった……」
語尾が震える。
マリナはそれ以上言葉を継がず、ただ静かに、目を閉じた。
リアは息を呑み、手をぎゅっと握りしめる。
沈黙の中で、キッチンから水が一滴、落ちる音が響いた。
「……ルクシミウムが、どんなものかは知っているかしら?」
「いいえ……何も知らなくて……」
イファは、呼吸が浅いリアを見逃さなかった。
「リア、大丈夫? 無理しなくていい。ゆっくりでいいんだ」
「大丈夫。知りたい。ちゃんと知って、自分で、決めたいの」
イファはゆっくりと頷き、リアの手に自分の手を重ねる。
そしてイファは、いつもよりも低い声で言葉を落とす。
「ルクシミウムは……この国で発見された、まだ正体がはっきりしていない物質なんだ。普通の鉱石でもないし、元素と呼ぶには説明がつかない。光を出したり、熱を作ったり、普通のエネルギーとは全然違う性質を持ってる。……その、莫大なエネルギーを利用して、軍は戦争に勝つための爆弾を作ろうとしたんだ」
リアはイファの手をぎゅっと握り返した。
そうでもしないと、不安や恐怖に押しつぶされてしまいそうだった。
イファは、重ねた手を見つめながら言う。
「……それで、軍は三年前、ルクシミウムの爆発実験をしようとした。……それが、ノアレの南に広がる砂漠だったんだ」
でも、とイファは言葉を詰まらせ、小さく息を吐いてから続ける。
「……実験は、失敗した。……あの日、実験の予定時刻よりも随分前に爆発が起きたんだ。それも、想定をはるかに超える爆発が……。ルクシミウムは、砂漠だけではなく、ノアレの町すら飲み込んだ。実験に関わっていた父さんたちは、町をよく見渡せる安全な崖の上にいた……そして、ノアレの町が、青白い光で飲み込まれて、消えてしまった光景を見たんだ……」
リアの瑠璃色の瞳からぽろりと涙が溢れた。
初めてだった。
こんなふうに、涙を流したのは。
「……わたし、何も、知らなくて……。何も、思い出せない……。わからない……こんなに大事なことも、何も……」
故郷の景色も、
その過去も。
本当のお母さんも、お父さんも、兄弟がいたのかさえ。
その涙の理由は、
悲しみなのか、寂しさなのか、怒りなのか…。
それでも、ただ苦しかった。
ぽろぽろと溢れるそれを手で拭う。
イファがリアの名前を小さく呟き、重なった手はしっかり握られていた。
マリナはそっとリアのもとへ寄り添うと、優しく、包み込んだ。
「大丈夫よ。リアが、何も思い出せなくても、過去を知らなくても。リアはしっかり今を生きているわ。……そしてこの先、リアが何を知っても、どんな過去があっても、私はずっと、あなたの味方よ」
耳元で聞こえるマリナのその言葉がリアを安心させた。
深く、深く息を吐く。
「教えてくれて、ありがとう……ございました」
マリナは、ふわりと微笑み、しばらくリアの頭を撫でてくれた。
──その夜。
マリナとリアが眠りについた静かな家の中で、イファだけがまだ目を覚ましていた。
自室の隅、机の前に座り込んだまま、古びた記録帳をじっと見つめている。
父、レオが残したものだ。
その表紙を指先でなぞりながら、イファは小さく息を吐いた。
ルクシミウム。
希望と呼ばれたその光は、
イファから故郷を奪い、母の世界を閉ざし、父を連れ去った。
その未知の物質は、今もなお、イファの心を飲み込んでゆく。
「……本当に、俺にできるのかな……」
かすれた独り言が、静かな部屋にぽつりと落ちた。
誰にも届かない声。
あの日、リアに言った。
──大丈夫だ。俺が守る。
あの言葉を口にした瞬間から、胸の奥にはずっと、重く渦巻くものが残っていた。
自分は本当に守れているのだろうか。
この腕で、彼女を。
リアの中にある“何か”を、イファはまだ何も知らない。
失われた記憶。
ルクシミウムの研究者であるサンティス博士。
そして、あの男──セリオ・ヴァイス。
父が残した記録帳にも、ルクシミウムへの危惧は幾度となく綴られていた。
──ルクシミウムは人が触れていいものじゃない。
その光がもたらしたのは、破壊だった──
それでも国家は、今もなお、戦争のために、その危うい光を手にしようとしているのか。
「こんなもの……」
静かな恐怖が、じわじわと彼の胸を蝕んでいく。
もし、リアが、ルクシミウムと関わっていたら。
もし、誰かに狙われたら。
もし、もう俺の手が届かなくなったら。
机の上のランプの灯りが、ふっと揺れた。
イファは慌てて両手を添え、灯を守るように包み込む。
しばらく、ただ揺れる炎を見つめていた。
やがて、静かに拳を握りしめる。
「……それでも……」
不安や恐怖は消えることない。
けれど、決意だけは、消さない。
「それでも、俺はリアを守りたい。最後まで、絶対に」
ランプの小さな光が、再び静かに揺らぎながら灯る。
その灯りのように、イファの胸にもまた、揺るぎない小さな決意が、静かに灯り続けていた。




