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第19話 アネモネの祈り


次の日、朝の陽射しは静かに町を照らしていた。


図書館の扉を開けると、涼やかな空気がリアを包む。

本の香りのするこの空間は、いつもと変わらず穏やかだった。



今日、図書館に来たのは、ミナに会うため。


イファの言葉を聞いて、直接聞こうと思った。

リゼットから聞いた、手紙の本当の意味。



──ミナは、わざと言わなかったのだろうか。

──二人の秘密ではなかったのだろうか。



あの日、交わした約束は、霧がかかったようにリアの胸に違和感を残す。

そんな胸の奥にひっかかったままの言葉たちを抱えて、足を進める。


書架の間を歩いていると、見覚えのある背中が目に入った。



──ミナ。



いつもの席で、分厚い本に向き合っている。

相変わらず、真剣なまなざしだった。


リアは足を止め、しばらくその様子を見つめていた。


声をかけようかどうか、迷う。


心のなかで何度も問いかけていた感情の正体は、まだうまく言葉にならない。




──けれど、そのとき。

ミナがふと顔を上げ、リアに気づくと、いつもと変わらない笑みを浮かべて手を振った。


「リア! こっち、こっち!」


その変わらない声に、リアはふっと肩の力が抜けるのを感じた。


「……こんにちは、ミナ」


「お祭り以来ね! 今日はどうしたの?」


ミナは本を閉じて、椅子を少し引いた。


リアは迷いながらも、静かに口を開いた。


「……私、ミナとの、二人の秘密の約束を守りたくて、手紙を、イファに渡しました。けれど……」


「……?」


微かな不安が混ざる、ミナの笑顔を見て、リアは一瞬口を紡ぐ。

でも、噛んだ唇の痛さより、胸の方が痛かった。


「……リゼットから、聞きました。私たち二人の約束なのに……。」


絞り出した声は、自分のものなのになぜか遠く聞こえる気がする。


「水祈の……星灯で、手紙を渡すのは……“告白の手紙”だって……イファが、がっかりしたかもって……」


リアの真剣な瞳は、微かに揺れる。


「……イファは、嬉しかったって言ってくれたんです。でも……」


ミナはリアの瞳から目を離さなかった。

リアは胸の辺りに手を置く。


「ここ、なんだか、痛いんです……イファは、とても大切で、がっかりさせるかもしれないこと、したくなかった……ミナとの大切な二人だけの秘密の約束が、今も胸の奥でぎゅってします。」


ミナは少し目を伏せ、静かに息を吐いた。


「そう……誤解を生むようなことを言ってしまったのね。ごめんなさい、リア。」


リアは黙ってその言葉を受け止めていた。


「リアを戸惑わせて、悲しい思いをさせてしまったのね。ほんとうに……ごめんなさい」


その声はとても静かだったけれど、たしかにリアに届いた。

リアはそのとき、やっと、自分の中の感情の名を知った。




──戸惑い。悲しみ。そして、寂しさ。




「……そっか……私……知らなかっただけで……。なんだか、胸の奥がずっと不思議な感じで……うまく言葉にできなかった。ここがぎゅってなって……。こういうの、この気持ちが、悲しい、っていうんですね。」


リアの声もまた、小さく、けれどはっきりしていた。

ミナは黙って、リアを見つめていた。


「……でも、この気持ちの名前がわかって、とても嬉しいです……教えてくれて、ありがとう。ミナが……私にちゃんと伝えてくれて、胸の中でざわざわしていたものが、なくなりました」


微かに笑うリア。


ミナは、ほんの少しだけ目を細めて、やさしく言葉をつづけた。


「リア……私、本当にあなたに感謝しているの。リアと約束したから、私は彼に……ユウトに手紙を渡せたのよ。怖かったけれど……リアがいたから、勇気が出たの。本当に、ありがとう」


微笑むミナは、綺麗だった。

リアは、少し考え込むように視線を落とした。





──そうか。


誰かの背中を、そっと押すことができた。

それは、わたしのしたことだったのだ、と。


「……ミナ、ありがとうございます」


「こちらこそ、会いに来てくれて、本当の気持ちを伝えてくれて、ありがとうね、リア」


「……あの、ひとつ、教えてもらってもいいですか?」


「えぇ、もちろんよ、なにかしら?」


「白い、アネモネの、花言葉を知りたいんです。……調べたいけど、どの本がいいのかわからなくて」


ミナはきょとんと目を丸くしたが、すぐににっこりと笑った。


「リアっていつも唐突ね。花言葉ね。いいわ、一緒に調べましょう! 私もちょうどこの前、読んでいた本に出てきた花を調べたわ」


ふふっと笑うミナに案内されて、本棚の奥へ進む。


「リアはどうして、白いアネモネの花言葉が知りたいの?」


「イファから、いただいたんです。……初めての、プレゼントでした。イファに、手紙を書いていたら、自分で調べたい、意味を知りたいと思いました。」


ミナは振り返り、小さな声で「やっぱり」と言葉を落とす。


「……リアとイファって……。わたし、リアはイファのことが好きなんだと思っていたわ」


「……好き、の言葉の意味はわかります。でも、好きって気持ちは、私には、まだわかりません。」


ふーん、と口を尖らせるミナは、幼い女の子のようだった。




ミナが手に取った重厚な表紙の図鑑を開くと、繊細なアネモネの花の絵がリアの目に飛び込んできた。

そのページの隅に、リアは見つけた。





──白いアネモネ

花言葉:「希望」「真実」「あなたを信じて待つ」──





その言葉を見つめながら、リアは小さくつぶやいた。


「……綺麗な、言葉ですね」


「そうね。白いアネモネは、雪解けの季節に咲く花。寒い冬を超えて、春の光を迎える花よ」


リアはその言葉を胸に刻みながら、ページをそっと閉じた。



──わたしも、誰かにとっての光になれるだろうか。

──誰かが笑顔になる理由になれたら、いいな。



心のなかで、ぽつんと芽吹いた想いは、ゆっくりと根を伸ばし、いつか美しい花を開く準備を進めているかのようだった。





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